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チャイナタウン/ロマン・ポランスキー

『チャイナタウン』──虚無と腐敗のハリウッドにて

『チャイナタウン』(原題:Chinatown/1974年)は、ロマン・ポランスキー監督がロサンゼルスを舞台に描いたフィルム・ノワールの傑作。水利権をめぐる陰謀の裏で、探偵ジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)が権力と罪の連鎖に飲み込まれていく。脚本を担当したロバート・タウンによる緻密な構成に、ポランスキーが亡命者としての虚無を重ね、ハリウッドの光と闇を対位法的に映し出す。フェイ・ダナウェイ、ジョン・ヒューストンの圧巻の演技が、腐敗した都市の寓意をさらに深める。

悲劇の構造──脚本と演出のねじれ

As little as possible.

『チャイナタウン』(1974年)のラストで探偵ジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)が発するこの言葉は、単なる皮肉でも怠慢の表明でもない。

クラクションが鳴り響き、少女の絶叫が遠のいていく終幕の混沌の中で、それはこの街の倫理を代弁する一行の詩のように響く。腐敗した権力のもとで、何をしても救えず、何を言っても届かない。ならば「何もしないこと」が最良の選択なのだ。

この言葉に凝縮されているのは、行動の放棄ではなく、世界そのものへの諦念である。ロサンゼルスという楽園の表層を剥いだときに現れる、欲望と支配の汚濁。『チャイナタウン』(1974年)は、アメリカ的楽観主義の残骸の上に成り立つ、絶望の映画である。

ロバート・タウンによる脚本は、ハリウッド映画史上もっとも完成度の高い構築の一つとして知られている。ダムの水利権、不倫、土地売買、そして過去の罪──それらが蜘蛛の巣のように繋がり、最終的にロサンゼルスという都市の“水”の支配構造へと収斂していく。

しかしポランスキーは、その論理的構成を“物語の解明”のためではなく、“人間の崩壊”を描くために使う。観客が事件の全貌を把握するより早く、登場人物たちはそれぞれの運命に押し潰されていく。

これはタウンの脚本が緻密すぎるがゆえに、監督の演出が意図的にそれを破壊しているという、奇妙なねじれの関係でもある。ハリウッドのプロデューサー、ロバート・エヴァンスはハッピーエンドを望んだというが、ポランスキーは断固として拒否した。

彼にとって『チャイナタウン』は娯楽ではなく、帰還の儀式──そして、アメリカという“母なる都市”に向けた呪詛だったのだ。

帰還する亡命者──ポランスキーのアメリカ

ポランスキーは、この映画を撮るためにハリウッドへ帰ってきた。しかし、その帰還は希望ではなく、悪夢の再訪に近い。

数年前、カルト集団マンソン・ファミリーの信者によって、妊娠中の妻シャロン・テートを惨殺された。そのトラウマを抱え、ヨーロッパで長らく隠遁していた男が、あえて“殺された場所”と同じアメリカの地で、再びカメラを回す──この構図自体が『チャイナタウン』の主題と重なっている。

過去の罪と喪失の記憶を抱えた男が、再び腐敗の中心に戻る。ジェイク・ギテスにとってのチャイナタウンとは、警察時代に介入できなかった「失敗の記憶の場所」であり、愛した女を救えなかった“原罪の空間”である。

彼が事件を追うことは、過去の贖罪であり、同時にその繰り返しでもある。つまりポランスキーは、自身の人生のメタファーとして、ジェイクを再び“失敗へ導く”のだ。だからラストの「As little as possible」は、監督自身の祈りにも等しい沈黙なのである。

ロサンゼルスという地獄──腐敗の構造と都市の神話

『チャイナタウン』の本当の主人公は、ロサンゼルスという都市そのものである。砂漠に人工的に引かれた水路、利権のために歪められた地形、そしてそれを牛耳る不死の父──ノア・クロス(ジョン・ヒューストン)。水という生命の象徴が、ここでは死と支配の道具に変わる。

ノアは都市の創造主であり、同時に近親相姦という禁忌を犯した父でもある。その神話的構図は旧約の再解釈であり、ポランスキーが『テス』などで繰り返し描いてきた「父=権力の暴力」のテーマに通じる。

エヴリン(フェイ・ダナウェイ)はその犠牲者であり、ジェイクは彼女を救おうとするが、結局またしても“間に合わない”。水は流れ続け、死体は増え続ける。街は何事もなかったかのように朝を迎え、太陽が昇る。

ロサンゼルスは清濁を併せ呑む巨大な神殿であり、誰もそこから逃れることはできない。だからこそ、ポランスキーはこの都市を撮るたびに、冷笑と哀しみを同時に滲ませるのだ。

ノア・クロスの「彼女は私の娘だ。そして私の妹だ」という台詞は、映画史に残る衝撃の瞬間だろう。それは単なる犯罪の暴露ではなく、アメリカ社会に潜む“父権構造の象徴”を暴き出す。

権力は血によって再生し、罪は世代を超えて継承される。ポランスキーにとって、これは単なる物語的タブーではなく、個人的トラウマの投影でもある。人間の内に潜む“暴力的父性”──それは彼自身が憎みながらも逃れられなかった原理だ。

ノアがロサンゼルスを創り出したように、ポランスキーもまた自らの過去を創り出し、そこに囚われていく。ジェイクが真実を暴くたびに、それは彼自身の無力さを露呈する行為となる。真実は救済ではなく、再び傷口を開くナイフなのだ。

“清濁併せ呑む”映画──ポランスキーの虚無と祝祭

『チャイナタウン』は、構造的には完璧なフィルム・ノワールだが、感情の核にはポランスキーの「虚無」が横たわっている。

悲劇的なラストを拒むことは、彼にとって不誠実だった。ハリウッドの快感原則に抗うように、彼は絶望を肯定する結末を選んだ。「As little as possible」という言葉は、その虚無の哲学の凝縮である。何をしても、何も変わらない。だからこそ人は、沈黙し、受け入れるしかない。

黒幕ノア・クロスを演じるジョン・ヒューストンは、『マルタの鷹』を撮ったハリウッドの巨匠であり、かつての映画黄金期を体現する存在。その娘アンジェリカ・ヒューストンが、当時ニコルソンと愛人関係にあったことを思えば、ポランスキーがこのキャスティングに託した“現実と虚構の二重露光”も見えてくる。

『チャイナタウン』とは、映画の内部に潜む現実と、現実の内部に潜む映画を、同時に焼き付けた作品なのだ。清濁を併せ呑み、光と闇を併置したこのフィルムこそ、ロマン・ポランスキーという亡命者がハリウッドに残した、最も精緻で冷酷な墓碑銘である。

DATA
  • 原題/Chinatown
  • 製作年/1974年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/131分
  • ジャンル/ミステリー、サスペンス、クライム
STAFF
  • 監督/ロマン・ポランスキー
  • 脚本/ロバート・タウン
  • 製作/ロバート・エヴァンス、アンドリュー・ブラウンズバーグ、C・O・エリクソン
  • 撮影/ジョン・A・アロンゾ
  • 音楽/ジェリー・ゴールドスミス
  • 編集/サム・オスティーン
  • 美術/リチャード・シルバート
  • 衣装/アンシア・シルバート
CAST
  • ジャック・ニコルソン
  • フェイ・ダナウェイ
  • ジョン・ヒューストン
  • バート・ヤング
  • ペリー・ロペス
  • ジョン・ヒラーマン
  • ダレル・ツワーリング
  • ダイアン・ラッド
  • ブルース・グローヴァー
  • ロイ・ジェンソン
  • リチャード・バカリアン
FILMOGRAPHY