『拳銃王』(1950)
映画考察・解説・レビュー
『拳銃王』(原題:The Gunfighter/1950年)は、ハリウッド黄金期の巨匠ヘンリー・キングが、従来の痛快な活劇としての西部劇を否定し、名声という名の檻に囚われた男の心理的葛藤を冷徹な視線で切り取った、リアリズム・ウエスタンの先駆的傑作。アーサー・ミラーのカメラが捉える、酒場の窓から差し込む斜光と、ジミー・リンゴ(グレゴリー・ペック)の顔に深く刻まれた苦悩の陰影。物語は、かつての荒くれ者が普通の人間に戻ろうともがく24時間を描いていく。
『真昼の決闘』を置き去りにする、早すぎたアンチ・ヒーローの疲労
映画史の教科書を開けば、西部劇に心理描写を持ち込んだ革命的傑作として、必ずフレッド・ジンネマンの『真昼の決闘』(1952年)が挙げられる。
だがその2年も前に、もっと過激で、もっと救いようのない心理西部劇が存在していた。巨匠ヘンリー・キング監督による、『拳銃王』(1950年)である。
主人公ジミー・リンゴ(グレゴリー・ペック)は、最強のガンマンだ。だが、その称号は栄光ではなく、呪いでしかない。彼が酒場に入れば、誰もが息を呑み、そして必ず「俺がリンゴを倒して有名になってやる!」という勘違いしたチンピラが絡んでくる。
リンゴは戦いたくない。だが、撃たなければ殺される。結果、彼は自分の意志とは無関係に死体の山を築き、その悪名だけが雪だるま式に膨れ上がっていく。この構造は、まるで現代社会におけるトキシック・ファンダムのようだ。
劇中の町民たちは、窓の外から彼を覗き見し、子供たちは学校をサボって彼を一目見ようと集まる。彼らはリンゴを人間としてではなく、消費すべきコンテンツとして見ているのだ。
『真昼の決闘』のゲイリー・クーパーには、少なくとも愛する新妻という希望があった。だが、リンゴには何もない。別れた妻と息子に一目会いたいという、あまりにもささやかな願いすら、この有名税という名の暴力によって阻まれる。
脚本のウィリアム・バワーズ(アカデミー原案賞ノミネート)が描き出したのは、広大な西部ではなく、名声という名の檻に閉じ込められた男の逃げ場のない閉塞感だ。
この孤独、この疲労感。グレゴリー・ペックの、あの彫刻のように美しい顔に刻まれた深い皺こそが、アメリカという国が抱え込み始めた「暴力の歴史への疲れ」そのものに見えてくる。
20世紀フォックス社長が激怒した、200万ドルの口髭事件
本作を語る上で避けて通れないのが、グレゴリー・ペックのあの立派すぎる、そして野暮ったいカイゼル髭だ。
当時の20世紀フォックス社長スピロス・スコースは、ラッシュフィルムを見て「誰だ、あの大スターの顔を毛だらけにしたのは!」と激怒したという。
当時のペックは、『ローマの休日』(1953年)前夜の、甘いマスクの二枚目スターとして絶頂期にあった。スタジオは彼に、女性ファンがうっとりするようなロマンチックな英雄像を求めていたのだ。
しかし、ペックと監督のヘンリー・キングは譲らない。本物のガンマンは、髭を剃る暇もなく逃げ回っているはずだとばかりに、薄汚れた衣装とむさ苦しい髭で通したのだ。
その結果、スコース社長の不吉な予言通り、当時の女性ファンは「汚いペックなんて見たくない」とドン引きし、興行成績は伸び悩んだと言われている。社長が「あの口髭のせいで200万ドル損した」と嘆いたという逸話は、あまりにも有名。
だがこの興行的な失敗こそが、本作を不朽の名作へと押し上げた要因なのだから、皮肉なものだ。あの口髭があったからこそ、ペックの甘さは消え失せ、ジミー・リンゴの時代遅れ感や、世間とのズレが視覚的に強調されたことは間違いない。
もし彼がツルツルの顔で演じていたら、この映画はただのスター映画に堕していただろう。スターの輝きを自ら汚してまで役になりきったペックの役者魂。それは、マーロン・ブランドらが確立するメソッド・アクティングの先駆けとも言える、プロフェッショナルな狂気だったのである。
酒場という密室、重なり合う4つのサスペンス
この映画の真骨頂は、西部劇でありながら、広大な荒野を捨て、薄暗い酒場に主人公を幽閉した点にある。
物語の大部分、ジミー・リンゴはこの酒場の椅子からほとんど動かない。彼はただ、別れた妻ペギー(ヘレン・ウェスコット)が会ってくれるのを、じっと待っているだけ。
そして、この「動かなさ」こそが、観客の心拍数を爆上げするサスペンス装置となっている。ここには、4つの異なるサスペンスが多重奏のように重なり合っているからだ。
第一に、復讐三兄弟のタイムリミット。リンゴに兄弟を殺された三人の男たちが、町へ向かって馬を飛ばしている。彼らが到着するまでの残り時間はわずか。刻一刻と迫る死の足音が、壁の時計を見るたびに観客の胃をキリキリと締め上げる。
第二に、窓の外の狙撃手。通りの向かいの二階には、復讐に燃える中年親父がライフルを構えてリンゴを狙っている。つまり、酒場を一歩でも出れば即、頭を吹き飛ばされるのだ。酒場は避難所でありながら、同時に牢獄にもなっている。
第三に、功名心に憑かれた若造。酒場の片隅には、ハント・ブロンリー(スキップ・ホメイヤー)という卑怯な若者が、隙あらばリンゴを撃とうと目を光らせている。内にも外にも敵がいる、この八方塞がり!
そして第四にして最大のサスペンスが、「妻は会ってくれるのか?」という感情的ドラマだ。これだけ命を狙われているのに、リンゴが逃げない理由は、8年も会っていない息子と妻に会いたいから。
保安官マーク(かつての悪友・ミラード・ミッチェル)が仲介に走るが、妻は頑なに拒否する。このラブストーリーとしてのサスペンスが、アクションの緊張感よりも重く、切実に響く。最強のガンマンが、ただ一人の女性の「YES」を待って、グラスを片手に震える、この哀愁。
この映画に、カタルシスはない。あるのは、暴力のウイルスが次の世代へと感染していく、呪いの継承だけだ。ボブ・ディランが名曲「Brownsville Girl」の中で、この映画を引用し、「何度も観たけれど、彼が撃たれるシーンではいつも泣いてしまう」と歌ったのも納得だ。
『拳銃王』は、酒場という密室に、男の人生のすべて(過去の罪、現在の恐怖、未来への微かな希望)を凝縮させた、室内劇なのである。
- 監督/ヘンリー・キング
- 脚本/ウィリアム・バワーズ、ウィリアム・セラーズ
- 製作/ナナリー・ジョンソン
- 制作会社/20世紀フォックス
- 原作/ウィリアム・バワーズ、アンドレ・ド・トス
- 撮影/アーサー・ミラー
- 音楽/アルフレッド・ニューマン
- 編集/バーバラ・マクリーン
- 美術/ライル・ウィーラー、ロジャー・ホーマン
- 拳銃王(1950年/アメリカ)
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