『キムズビデオ』(2023)
映画考察・解説・レビュー
ドキュメンタリー映画『キムズビデオ』(2023)(原題:Kim’s Video/2023年)は、ニューヨークに実在した伝説的レンタルビデオ店「キムズ・ビデオ」の歩みを追った作品。膨大なコレクションの行方と、それを取り巻く人々のドラマが描かれ、やがて映画保存とアーカイブの未来をめぐる数奇な物語へと展開していく。
伝説の棚を目撃した者として
ひとつ自慢すると、僕はキムズビデオに行ったことがある。1990年代、ニューヨークを訪れた折に、知人に連れられて入ったレンタルビデオ店がキムズビデオだったのだ。
目の前に立ちはだかるのは、床から天井まで埋め尽くされた膨大な映像ソフトの棚。背表紙をなぞっていくと、そこにはハリウッドの最新作から無名のインディーズ作品、さらには世界の辺境で撮られたような得体の知れない映画までが整然と並んでいた。圧倒的な物量と未知の香りに、胸が高鳴る。まさに「映画ファンの聖地」と呼ばれるにふさわしい光景だった。
ドキュメンタリー映画『キムズビデオ』は、この伝説のレンタルビデオ店の数奇な運命を追った作品である。単なる記録映像にとどまらず、映画そのものの未来、そして物質としての映画の保存と伝承をめぐる壮大な寓話へと発展していく。
キムズビデオの文化的意義
1987年、韓国系移民のキム・ヨンマンがニューヨークに開業したキムズビデオは、瞬く間に映画ファンの間で神話化されていった。5万5000本にものぼるコレクションは、レンタル店という枠を超えて「もうひとつのシネマテーク」として機能した。
メジャーなシネマから実験映画、前衛的なアート作品に至るまで、あらゆる映画的営為を収蔵し、シネフィル同士の交流拠点となったのだ。
映画は単なる商品ではなく、文化資本であり、知的な冒険の扉。NetflixもAmazon Primeも存在しなかった時代、映画を観るためには「探し、借り、持ち帰る」という身体的な行為が不可欠だった。その身体性こそが、映画体験に熱を与えていたともいえる(僕もそうだった)。
しかしビデオレンタルの黄金期は長くは続かない。DVDの普及、ストリーミングサービスの台頭によって、2008年にキムズビデオは惜しまれつつも閉店する。
その後、膨大なコレクションは「文化交流」の名目でイタリアのシチリア島サレーミ村へと移送された。だが、待っていたのは夢の継承ではなく、管理体制のずさんさだった。
湿気でケースは歪み、フィルムはカビに覆われ、VHSテープのラベルは剥がれ落ち、判別すら困難。もはやここは「アーカイブ」ではなく「墓場」だったのである。
サレーミの倉庫を訪れた場面には、現職市長ドミニコ・ヴェヌーティの姿も映し出される。本来であれば、この膨大なコレクションは適切に管理され、市民たちに開放されるはずだった。だが、現実はまるで違う。
映像遺産の意義を必死に説いても、市長は「これから娘を空港へ送らなければならない」の一点張り。まさに暖簾に腕押し状態。文化遺産の未来が、政治家の無関心によっていとも容易く踏みにじられてしまっている。
だが物語はここで終わらない。むしろ、このあたりから映画は「アーカイブの悲劇」を超えて、政治サスペンスへと舵を切るのだ。かつての市長やその取り巻きたち、現地の警察、さらにはマフィア、そしてそのマフィア撲滅委員会会長に至るまで、次々と胡散臭い人物が登場。ノリはほとんど『シチズンフォー スノーデンの暴露』(2014年)や『ナワリヌイ』(2022年)と変わらない。
腐敗と癒着の匂いが漂い、アーカイブ問題は単なる文化保存の不備ではなく、地方行政や権力構造そのものに深く根を下ろしていることが暴き出されていく。
かくして『キムズビデオ』は、現代イタリアの政治腐敗を暴露するスリラーへと変貌し、ビデオテープが朽ちていく哀しみ以上に、権力の無関心と腐敗が文化を殺すという現実の恐怖が突きつけられる。
ドキュメンタリーが選んだ「奪還劇」
さらにここから映画は意外な方向へ舵を切る。元会員であり監督のデビッド・レッドモンは、放置されたビデオテープから「助けてくれ」と訴えかける“声”を聞く。その声に導かれ、彼はコレクション奪還を決意するのだ。
しかも、その手段は「架空の映画撮影を装う」という大胆不敵なもの。機材を持ち込み、スタッフを装い、村の人々を煙に巻きながら進むその過程は、まるで『オーシャンズ11』(2001年)のリアル版。
しかも、ジャン=リュック・ゴダールやら、アルフレッド・ヒッチコックやら、チャールズ・チャップリンやら、イングマール・ベルイマンやら、ジャッキー・チェンやらの覆面を被って。この行為は、あくまで映画の神々によるおぼしめしであるかのように。
ドキュメンタリーでありながら、スリリングなフィクションのような筋立てを獲得していく。ここにあるのは「映画を救い出す」という実践が、同時に「映画のような物語」になるという二重の奇跡なのだ。
冷静に考えれば完全に犯罪なのだが、そんなの関係ねえ(あるけど)。だってこんなマニアックなドキュメンタリー映画を観ているの、マニアックな映画ファンしかいない。我々は完全にデビッド・レッドモンの味方だ。
奪還計画を済ませて、創業者キム・ヨンマンに報告すると、彼はデビッド・レッドモンたちをなじるばかりか、こんな言葉を投げかける。「ゴダールは映画の神だ。だから君たちは正しいことをした」。
この一言は、キム・ヨンマンにとって映画が信仰対象であることを高らかに宣言するものであり、まるで祈祷のような響きを持つ。泣けるではないか(そしてキム・ヨンマン、めっちゃいい奴!)。
この瞬間、映画を愛するすべての人々の行為──ビデオを探し、借り、観ること──が、単なる消費行為ではなく、文化を守り継ぐ信仰告白であったことが明らかになる。映画とは生き方であり、共同体であり、魂の救済なのだ。
当時のスタッフに伝説のビデオレンタルショップのことを聞くドキュメンタリーと思いきや、政治サスペンスとなり、リアル『オーシャンズ11』に帰着する。『キムズビデオ』、なんて映画だ。そして、なんて最高の映画なんだ。
- 原題/Kim's Video
- 製作年/2023年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/87分
- ジャンル/ドキュメンタリー
- 監督/アシュレイ・セイビン、デヴィッド・レッドモン
- 製作/アシュレイ・セイビン、デヴィッド・レッドモン、デボラ・スミス、デイル・スミス、フランチェスコ・ガラボッティ、レベッカ・タバスキー
- 撮影/デビッド・レッドモン
- 編集/アシュレイ・セイビン、デヴィッド・レッドモン、マーク・ベッカー、キム・ヨンマン
- キム・ヨンマン
- キムズビデオ(2023年/アメリカ)