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『マーヴェリック』(1994)軽さの奥にある西部劇の終焉

『マーヴェリック』(1994)
映画考察・解説・レビュー

5 OKAY

『マーヴェリック』(原題:Maverick/1994年)は、リチャード・ドナー監督がメル・ギブソン、ジョディ・フォスターと共に贈る西部コメディ。舞台は19世紀のアメリカ西部。ギャンブラーのマーヴェリックが大勝負に挑むなかで、詐欺師の美女アナベルや保安官らとの駆け引きを繰り広げる。

西部劇が“冗談”になった時代

リチャード・ドナーがメル・ギブソンと再びタッグを組んだ『マーヴェリック』(1994年)は、19世紀の西部開拓期を舞台にしたギャンブラーの冒険譚である。しかしそのトーンは従来の西部劇とはまったく異なる。ここにあるのは、銃声よりも笑い声が響く“ポスト西部劇”だ。

『リーサル・ウェポン』シリーズで築かれたドナー=ギブソンの軽妙な掛け合いの延長線上にあり、クラシック・ウエスタンのコードを全編ジョークとして再演している。

オープニングからエンディングまで、緊張感よりも遊び心が支配しており、往年の西部劇が象徴してきた“男の矜持”や“荒野の孤独”はすべて笑いの対象に転化されている。リチャード・ドナーは、かつて神話だった西部を“テーマパーク的ユーモア”の中で蘇生させたのだ。

本作の最大の特徴は、クラシック西部劇へのオマージュとパロディが綿密に組み込まれている点にある。音楽はランディ・ニューマンが担当し、『大いなる西部』(1958年)や『夕陽のガンマン』(1965年)といった往年の名曲を巧妙に引用する。

さらに、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年)で誇り高きインディアンを演じたグレアム・グリーンが、今作では文明化した皮肉屋の先住民をユーモラスに演じる。彼の存在は、かつての“ノーブル・サベージ”像を茶化しながら、ハリウッドが生み出してきた西部劇的異文化表象の嘘を暴くものだ。

極めつけは、TVシリーズ『マーヴェリック』の主演だったジェームズ・ガーナーの出演である。彼が保安官役として登場し、最後に意外な正体を明かすという趣向は、メタ的構造の完成形といえる。

『マーヴェリック』というタイトルが指すのは、単なる人物名ではない。ハリウッド映画史そのものが自己言及的に“再演”される構造体──つまり、映画そのものが“西部劇という虚構を演じる俳優”なのである。

オーディエンス・オリエンテッドという職人性

リチャード・ドナーは“作家主義”とは正反対のフィルムメーカーだ。彼は常に観客を中心に置き、作品のトーンや演出をマーケットに最適化する。

『スーパーマン』(1978年)では神話的正義を、『グーニーズ』(1985年)では少年の冒険心を、『リーサル・ウェポン』ではバディ・ムービーの快楽を、それぞれ観客の欲望に合わせてパッケージ化した。

『マーヴェリック』も例外ではなく、クラシック西部劇を“娯楽ショー”としてリブートする狙いが明確。だがこの徹底したサービス精神は、時に映画の芯を空洞化させる。

メル・ギブソンの軽妙でアクの強いキャラクターが前面に出ると、作品全体が彼のワンマンショーと化し、構造的なバランスが崩壊するのだ。ドナーは観客の笑顔を最優先するが、その笑顔の裏で、映画の形式そのものがどんどん軽くなっていく。

『マーヴェリック』の軽さは快楽であると同時に、虚無でもある。

キャラクターの“空洞”とジャンルの漂流

メル・ギブソン演じるマーヴェリックという男は、早撃ちガンマンなのか、詐欺師なのか、それともただの軽口屋なのか、その正体が最後まで掴めない。

彼の笑顔は信用できず、善悪の基準もあいまいで、物語の重心が常に漂っている。観客は「次に何を信じればよいのか」を失う。これは意図的な設計であり、同時に“ジャンルそのものの迷走”を象徴している。

西部劇はもはや単一のジャンルではなく、パロディ・アクション・コメディの要素が混ざり合った“雑種”としてしか存在できない。『マーヴェリック』は、西部劇の死を真正面から描く代わりに、“笑い”という形でその死を誤魔化している。

リチャード・ドナーは“西部劇の最後の職人”として、かつての英雄神話を徹底的に娯楽へと変換した。銃弾の代わりにジョークを撃ち、血の代わりに笑いを流す。彼の映画に流れるのは、暴力を中和した後の静かなカーニバルである。

この軽薄な世界の中で、ジョディ・フォスター演じる女詐欺師アナベル・ブランズフォードだけが異質な存在として輝く。彼女の芝居には、コメディエンヌ的軽やかさと、どこか淫靡なフェロモンが同居している。

彼女は“西部劇における女性像”を更新する存在であり、かつての“悲劇のマドンナ”ではなく、“快楽の主体”として物語に介入する。男性たちが賭けと銃で虚構を構築する一方で、彼女は身体と欲望を武器にそれを撹乱する。

つまりアナベルは、この“ポスト西部劇”における新たなガンマンなのだ。彼女のウィンクや軽口が、メル・ギブソンの軽薄さと奇妙に共鳴し、映画をかろうじてバランスさせている。

ジョディ・フォスターの存在がなければ、『マーヴェリック』はただのセルフ・パロディで終わっていただろう。彼女はジャンルの崩壊を、笑いながら受け止める最後の観客でもある。

西部劇の墓標としての軽やかさ

『マーヴェリック』は、銃撃戦や正義の物語ではなく、“笑い”という形で西部劇を弔った映画だ。リチャード・ドナーは自らの職人的キャリアを総括するように、あらゆる要素を軽やかに組み合わせる──音楽の引用、キャメオ出演、メタ的ユーモア。

だがその軽やかさの奥には、ハリウッドという巨大装置がかつて生み出した神話への鎮魂がある。メル・ギブソンの笑顔の裏で、映画というメディア自体が老い始めている。観客は笑いながら、その終わりを見送るのだ。

そう考えれば、『マーヴェリック』の“ゆるさ”は単なる娯楽ではなく、ジャンルの終焉を包み込む優しい毛布のようなものだ。リチャード・ドナーは西部劇という形式を“温かい冗談”として見送り、同時にそれを愛した観客に最後のウィンクを送る。

そう、この映画は西部劇の棺の上で踊る、ハリウッドの最後のカーニバルなのである。

DATA
  • 原題/Maverick
  • 製作年/1994年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/127分
  • ジャンル/西部劇、コメディ、アクション
STAFF
  • 監督/リチャード・ドナー
  • 脚本/ウィリアム・ゴールドマン
  • 製作/ブルース・デイヴィ、リチャード・ドナー
  • 撮影/ヴィルモス・ジグモンド
  • 音楽/ランディ・ニューマン
  • 美術/トム・サンダース
  • 衣装/エイプリル・フェリー
  • SFX/スティーヴ・プライス
CAST
  • メル・ギブソン
  • ジョディ・フォスター
  • ジェームズ・ガーナー
  • グレアム・グリーン
  • アルフレッド・モリーナ
  • ジェームズ・コバーン
  • ダブ・テイラー
  • ジェフリー・ルイス
  • ダン・ヘダヤ
  • ダニー・グローバー
FILMOGRAPHY