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『真夜中の弥次さん喜多さん』(2005)笑いと幻覚が交錯する“リヤル”の果て

『真夜中の弥次さん喜多さん』(2005)
映画考察・解説・レビュー

4 OKAY

『真夜中の弥次さん喜多さん』(2005年)は、しりあがり寿の漫画を原作に、宮藤官九郎が監督・脚本を務めた日本映画。江戸時代を舞台に、薬物に溺れる弥次さんと恋人の喜多さんが「お伊勢参り」を目指して旅に出る。現実と幻覚のあいだを行き来しながら、ふたりは道中で出会う人々との交流や奇妙な出来事を通して、自分たちの存在を確かめようとする。幻視と夢の連続の果てに、旅は次第に生と死の境界へと踏み込んでいく。

オウムと現代の宗教的テンション

唐突なようでいて、この映画を語るうえでオウム真理教の話題は避けられない。

あの宗教の新しさは、修行による神秘体験もドラッグによるトリップも、同じ“覚醒”として等価化してしまった点にあった。プロセスではなく結果。瞑想であれLSDであれ、「悟っちゃえばOK」という単純化。それが90年代という時代の病理を象徴していた。

しりあがり寿原作の『真夜中の弥次さん喜多さん』(2005年)は、まさにこの“明快さ”の危うさを、笑いと狂気の中で可視化する映画だ。

弥次さんと喜多さんが追い求める「リヤル」とは、生きている実感であり、生への証明書のようなもの。現実が空虚であるがゆえに、ドラッグによる幻覚のほうがむしろ“手触りのある現実”として感じられる。

この構造そのものが、オウム以後の日本的精神風景と地続きにある。現実よりも幻覚のほうがリアルで、苦行よりも即効性のある麻薬的覚醒のほうが真理に近い。

この倒錯を、「ギャグ」という形式で突きつけてくるのが、しりあがり寿という作家の恐ろしさであり、宮藤官九郎という監督の天才的センスでもある。

小ネタの洪水とハイテンションの構造

映画版『真夜中の弥次さん喜多さん』は、しりあがり寿の原作をベースにしながら、宮藤官九郎の脚色によって異常なまでのハイテンション映画へと変貌している。

そのテンションは、単なるノリの良さではなく、〈覚醒の手段〉として機能している。まるで観客をドラッグ状態へ誘うように、場当たり的なギャグが雨あられと降り注ぐ。

クドカンの小ネタは三谷幸喜のような周到な伏線ではない。その場のノリとテンポが命であり、即興的リズムによって観客の思考を止め、身体を揺さぶる。その“過剰さ”が、作品世界のリアリティを保証しているのだ。

お伊勢参りを目指す弥次喜多の旅が、いつの間にか夢と幻覚と死後の世界を横断していく。現実と虚構の境界線が崩壊する瞬間、観客は「今、何を見ているのか」わからなくなる。だが、まさにその“わからなさ”こそが、この映画の核心なのだ。

例えば、弥次喜多がバイクで旅立とうとして寺島進に止められるシーン。現実のロケなのに、どこか芝居がかって見える。虚構の演技なのに、どこか真実味を帯びている。

この“逆転”が持続する限り、映画は常にトリップ状態にある。宮藤官九郎は、観客の知覚そのものを揺さぶることで、「リヤルとは何か?」という問いを形式そのもので描き出した。

暴走の果てにある純文学

この映画を観て笑えるかどうかは、人によって大きく分かれるだろう。僕自身、正直あまり笑えない。だがそれでいい。この映画は“笑わせる”ことを目的としていない。むしろ、笑いの構造を通して、生と虚構の関係を問う作品だからだ。

『真夜中の弥次さん喜多さん』の本質は、徹底的に軽薄なノリで貫かれた“純文学”である。笑いと狂気の境目を走り抜けるその姿は、太宰治や村上春樹の作品に通じるメタフィクション的構造を持つ。弥次喜多の旅は、お伊勢参りという形式を借りた“魂のデトックス”であり、現実という舞台装置からの脱出劇でもある。

しりあがり寿が原作で描いた「リヤル」という概念は、まさに現代における“信仰の置き換え”だ。神でも宗教でもない。ただ「今、生きている」という感覚。

それを手に入れるなら、ドラッグでもギャグでも手段は問わず!プロセスをすっ飛ばして結果に直行する――その短絡の危うさが、現代社会の縮図になっている。

宮藤官九郎はその構造を、暴走的テンションと過剰演出で完走した。映像的には破綻しているが、精神的には一貫している。虚構を信じること、つまり「嘘の中にこそ現実がある」という倒錯を、ここまで真正面から描いた映画はほかにない。

異論や反発は当然あるだろう。だがこれは“実験作”ではなく、“暴走作”だ。クドカンはやりたいことをやりきった。その潔さと狂気を前にして、僕はただ敬意を表したくなる。

DATA
  • 製作年/2005年
  • 製作国/日本
  • 上映時間/124分
  • ジャンル/コメディ
STAFF
  • 監督/宮藤官九郎
  • 脚本/宮藤官九郎
  • 製作/宇田充、藤田義則
  • 製作総指揮/豊島雅郎、小川真司
  • 原作/しりあがり寿
  • 撮影/山中敏康
  • 音楽/ZAZEN BOYS
  • 編集/上野聡一
  • 美術/中澤克巳
  • 照明/椎原教貴
CAST
  • 長瀬智也
  • 中村七之助
  • 小池栄子
  • 阿部サダヲ
  • 竹内力
  • 森下愛子
  • 古田新太
  • 山口智充
  • 清水ゆみ
  • 松尾スズキ
  • 中村勘九郎
  • 研ナオコ
  • 井浦新
  • 麻生久美子
  • 荒川良々
FILMOGRAPHY