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『マルホランド・ドライブ』(2001)夢と現実が反転する、まやかしの迷宮

『マルホランド・ドライブ』(2001)
映画考察・解説・レビュー

8 GOOD

『マルホランド・ドライブ』(原題:Mulholland Drive/2001年)は、デヴィッド・リンチ監督が夢と現実、欲望と罪を交錯させた迷宮的サスペンス。記憶喪失の女リタと、女優志望のベティが出会い、ロサンゼルスを舞台に幻想と現実が溶け合う。やがて「青い箱」を開けた瞬間、世界は反転し、夢の物語は崩壊する。リンチは“映画とはまやかしである”という真理を、愛と嫉妬、虚構と現実の錯綜の中に封じ込めた。

夢と現実の二重構造

「これはまやかしだ」。クラブ・シレンシオに現れた“魔術師”が発する言葉は、観客に向けられた直接の宣告である。

舞台上で繰り広げられる歌はすべて録音、つまり“本物ではない”。しかしその虚構に観客は涙を流す。ここでリンチが提示するのは、映画というメディア自体が「まやかし」であるという冷徹な真理だ。

空間も時間も軽々と飛び越え、リンチは甘美な糸を紡ぎあげる。現実と夢の境界は曖昧で、すべてがファジーだ。観客は“本物”と“虚構”の区別を失い、ただ映像の流れに身を任せるしかなくなる。この強制的な没入感こそが、『マルホランド・ドライブ』(2001年)の魔力である。

物語を駆動するキーアイテムは「青い鍵」だ。記憶喪失の女リタが鍵を使って箱を開けた瞬間、世界は反転する。観客が目撃していたのは、実は“夢”であり、その背後に横たわっていた現実が立ち上がる。

女優ダイアンは恋人カミーラの裏切りに傷つき、嫉妬に駆られて殺害を依頼。罪悪感に耐えられず、やがて自滅へと追い込まれる――その惨めな現実を覆い隠すために、彼女は“夢”の中で理想化された物語を紡ぐのだ。

ベティとしての自分は天使のように才能にあふれ、リタとの性愛は純粋で、ハリウッドは成功を約束してくれる。だがそれはあくまで願望の投影であり、クラブ・シレンシオの一声によって幻想は崩壊する。リンチ作品に一貫して登場する“二重構造”の仕掛けは、ここでも観客を惑わせる装置として機能している。

嫉妬と性愛の迷宮

『マルホランド・ドライブ』をより個人的な物語として捉えるなら、中心にあるのは女性同士の愛と嫉妬だ。ナオミ・ワッツ演じるダイアンは、恋人カミーラとの関係に翻弄される。そしてカミーラは映画監督アダムと婚約し、ダイアンを置き去りにしてしまう。裏切られたと感じた彼女は、チンピラにカミーラ殺害を依頼してしまう。

夢の中では、二人の関係はベティとリタの性愛として美しく再生される。しかしそこに潜むのは、現実での嫉妬と罪悪感。性愛は愛と欲望を結びつけると同時に、裏切りと絶望をも照らし出す。リンチはこの複雑な感情の渦を、観客に突きつける。性愛は祝福であると同時に呪いでもあるのだ。

二人の女優が、この”祝福であると同時に呪いでもある”物語を完璧に体現する。ナオミ・ワッツは、華奢な身体に陽性のセックスアピールを秘め、希望に満ちた新人女優を体現する。一方、ローラ・エレナ・ヘリングは陰性の魅力を湛え、記憶喪失のミステリアスな女性を演じる。二人の関係性は、陰と陽、欲望と不安が交錯する磁場となる。

ベティ/リタの性愛は、古典的ファム・ファタールの現代的変奏であり、同時にジェンダーと権力の不均衡を象徴する。女性が互いを欲望し合う瞬間でさえ、ハリウッドという男性支配の構造が背後で彼女たちを支配しているのだ。

ハリウッドという幻想工場

もちろんこの映画は、ハリウッド批判として読むこともできる。劇中で映画監督アダムを翻弄する闇の権力者たちは、映画産業の縮図。夢を売るはずの工場は、実際には欲望と嫉妬を増幅させ、人間を破壊する。リンチはそれを冷笑的にデフォルメし、辛辣なユーモアを添える。夢の都市ロサンゼルスは、実際には夢を食い潰す場所なのだ。

この構造は『ブルーベルベット』(1986年)におけるアメリカ郊外の裏側描写とも響き合う。リンチは常に「表の夢」と「裏の悪夢」を対比させ、その両義性を映像化してきた。『マルホランド・ドライブ』はそのテーマの集大成といえる。

「表の夢」と「裏の悪夢」を行き来する鍵となるのは、音楽だ。クラブ・シレンシオでの口パク演出や、ロイ・オービンソンの『クライング』の引用は、観客の感情を操作しながら「虚構に涙する」という矛盾を体験させる。50’sガール・ポップの引用もまた、ハリウッドの夢をキッチュに反転させる仕掛けだ。

リンチの盟友アンジェロ・バダラメンティの音楽は、不安と幻想を同居させる。甘美な旋律はすぐに不協和音へと転じ、観客を落ち着かせることなく不安の淵へと突き落とす。ちなみにバダラメンティ本人が、コーヒーをまずそうに飲むマフィア役でカメオ出演しているので、要チェックなり。

解釈不能性と観客体験

本作で最も不気味な瞬間は、空港でナオミ・ワッツを見送った老夫婦の笑顔だ。最初は善意に満ちていたはずの顔が、やがて悪夢の化身として彼女を追い詰める。笑顔が狂気に転じるこの演出は、ジェイソンやフレディといったスラッシャー映画の怪物を凌駕する。

リンチは、日常に潜む「最も無害に見えるもの」を恐怖の源泉へと変質させる。笑顔こそがもっとも恐ろしい――その逆転の発想は、ホラー史においても特筆すべき到達点だ。

『マルホランド・ドライブ』は、あらゆる解釈を拒み続ける。筋道を立てて分析することは可能だが、映画はそのような理詰めの読解を望んではいない。リンチは観客に「理解」を与えるのではなく、「混乱」と「没入」を強いるのだから。

「これはまやかしだ」という声は、映画体験そのものを指し示している。観客は虚構に涙し、幻想に酔いしれる。それでいいのだ。映画は解釈されるものではなく、体験されるもの。リンチはそのシンプルな真理を突きつける。

夢と現実、欲望と嫉妬、希望と絶望が交錯する迷宮。観客はそこで迷い、混乱し、そして快楽に浸る。リンチが仕掛けた罠は、理性では解けない。だがその不可解さこそが、彼の映画の真価なのだ。

まずは、美しきブロンドとブルネットに酔いしれよ。異次元への扉は、すでに開かれている。

DATA
  • 原題/Mulholland Drive
  • 製作年/2001年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/146分
STAFF
  • 監督/デヴィッド・リンチ
  • 脚本/デヴィッド・リンチ
  • 製作/ニール・エデルスタイン、ジョイス・エライアソン、トニー・クランツ、マイケル・ポレール、アラン・サルド、メアリー・スウィーニー
  • 製作総指揮/ピエール・エデルマン、デヴィッド・リンチ
  • 撮影/ピーター・デミング
  • 音楽/アンジェロ・バダラメンティ
CAST
  • ナオミ・ワッツ
  • ローラ・エレナ・ハリング
  • アン・ミラー
  • ダン・ヘダヤ
  • マーク・ペレグリノ
  • ブライアン・ビーコック
  • ロバート・フォスター
  • アンジェロ・バダラメンティ
  • キャサリン・タウン
  • メリッサ・ジョージ
  • パトリック・フィスクラー
  • マイケル・J・アンダーソン
  • ビリー・レイ・サイラス
  • スコット・コフィ
  • チャド・エヴェレット