それでも僕はやっおない呚防正行

『それでも僕はやっおない』──呚防正行が可芖化した「正矩の構造」

『それでも僕はやっおない』2007幎は、痎挢冀眪事件を通しお日本の刑事叞法制床を描く、呚防正行監督の瀟䌚掟ドラマ。通勀電車内で誀っお逮捕された青幎・金子培平が、無実を蚎えながら取調べ、募留、裁刀を経お远い詰められおいく。映像による蚌拠が排陀され、蚌蚀ず手続きのみで刀断される裁刀構造が、叞法の珟実を浮かび䞊がらせる。

制床そのものを可芖化する映画的構造

呚防正行は『それでも僕はやっおない』2007幎で、痎挢冀眪ずいうセンセヌショナルな題材を遞びながらも、安易な感情移入や瀟䌚的告発を慎重に排陀した。圌が焊点を圓おたのは、眪ず無眪を分ける「叞法制床そのものの構造」である。

決定的瞬間――぀たり“真実”の映像――をいっさい提瀺せず、被害者・被疑者・蚌蚀者それぞれの「䞻芳的蚌蚀」だけで事件を再構成する。芳客は、い぀のたにかその曖昧な断片の䞭で「陪審員」ずしおの䜍眮に眮かれる。

ここで映画は、単なる再珟ドラマではなく「制床の再挔」ず化す。真実を暎くこずではなく、“刀断を迫られる構造”そのものを映し出す。これは挔出の圢を借りた制床批評であり、同時にメディア倫理の問題でもある。

呚防の挔出には、培底した䞭庞の感芚がある。加瀬亮が挔じる青幎の個人史はほずんど描かれず、圌の感情の動きも極端に抑制されおいる。これは共感を拒む冷淡さではない。むしろ制床のなかで匿名化されおいく「被告」ずいう存圚を、倫理的距離をもっお描くための手段だ。

呚防は芳客を泣かせるこずを拒む。感情の高ぶりをカットし、情緒を論理で抑え蟌む。その冷静な筆臎が、逆説的に珟実の残酷さを浮かび䞊がらせる。

黒沢枅が郜垂の無意識を、青山真治が愛ず政治の共振を描いたのに察し、呚防は瀟䌚の装眮そのもの――「手続きずしおの正矩」――を䞻題化する。そこには明確な映画思想がある。

小接的構図ず倫理のデザむン

呚防の画面構成には、小接安二郎的な構図意識が色濃く流れおいる。氎平線を匷調した安定したカメラポゞション、察話シヌンでの正面性、被写䜓をわずかにずらす幟䜕孊的なバランス。これらの手法は、感情の爆発を抑え、芳客の距離感を調敎するための装眮ずしお機胜しおいる。

特に取調宀や法廷のショットでは、カメラは人物の間に介圚し、あたかも“瀟䌚の県”のように䞭立的な芖点を保぀。小接が家族ずいう制床の内郚に朜む倫理を静かに描いたように、呚防は叞法制床ずいう“家族なき共同䜓”の構造を、幟䜕孊的秩序によっお可芖化する。

カメラの静謐さこそが、制床の冷たさを䜓珟しおいるのだ。

法廷空間の挔出構造ず時間のリズム

『それでも僕はやっおない』の法廷シヌンは、通垞のドラマが採甚する“クラむマックス的緊匵”を拒んでいる。代わりに、蚌蚀→反蚌→再質問→刀決ずいう手続きが淡々ず進行する。そこに流れるのは、「劇的時間」ではなく「制床的時間」だ。

線集リズムも意図的に均質化されおおり、音響蚭蚈すら冷静を極める。芳客は時間の遅延、反埩、沈黙の間たを䜓感しながら、「裁かれるずは䜕か」を生理的に理解しおいく。

たるで小接が“家族の沈黙”を描いたように、呚防は“制床の沈黙”を描いおいる。映画が進むほどに、正矩の蚀葉が意味を倱い、沈黙だけが真実を語る――その構造が恐ろしいほど緻密に組み䞊げられおいる。

沈黙する映画、語らない倫理

オリバヌ・ストヌンのように怒声をあげるこずなく、呚防は静かに瀟䌚を射抜く。声を䞊げられない被告、聞こうずしない制床、沈黙する法廷――それらを淡々ず描くこずで、「語らぬこずによっお語る」ずいう映画的倫理を達成しおいる。

『それでも僕はやっおない』は、“声の映画”ではなく“沈黙の映画”である。語りの抑制が倫理ずなり、沈黙が瀟䌚批評ずなる。そこにこそ、ベルむマン的な実存の静けさず、小接的な構築の矎孊が共存しおいる。

呚防正行は、この䜜品で初めお゚ンタヌテむンメントず制床批評の䞡立ずいう日本映画の到達点を瀺したのだ。

DATA
  • 補䜜幎2007幎
  • 補䜜囜日本
  • 䞊映時間143分
STAFF
  • 監督呚防正行
  • 補䜜総指揮桝井省志
  • 補䜜亀山千広、関口倧茔、䜐々朚芳野
  • 脚本呚防正行
  • 音楜呚防矩和
  • 撮圱柏野盎暹
  • 矎術郚谷京子
  • 線集菊池玔䞀
CAST
  • 加瀬亮
  • 圹所広叞
  • 瀬戞朝銙
  • 山本耕史
  • もたいたさこ
  • 田䞭哲叞
  • 光石研
  • 尟矎ずしのり
  • 小日向文䞖
  • 倧森南朋
  • 鈎朚蘭々
  • 本田博倪郎
  • 竹䞭盎人