『ハイファイ新書』──演出された“無垢”と打算の音楽
『ハイファイ新書』(2009年)は、バンド・相対性理論がリリースしたセカンドアルバム。やくしまるえつこをボーカルに迎え、前作『シフォン主義』とともにネット世代の支持を集めた。「バーモント・キッス」「さわやか会社員」「ふしぎデカルト」などを収録し、都市的な感覚と日常の断片が交錯する構成となっている。YMO以降の電子的サウンドとコピーライティング的言語感覚を組み合わせ、2000年代後半のJ-POPに新しい方向性を提示した。
文系ポップの革命児──冷たい知性としての相対性理論
相対性理論という奇妙な名前のバンドの存在を知ったのは、確か2008年末頃だったか。
音楽系ブログを中心に「今年のJ-POPシーンを語るには、perfumeと相対性理論だけでオッケー」みたいな言説が流布していて、なんじゃそのスノビッシュな感じのバンド名は?とフンガイしたのがそもそもの出会いだったように思う。
2009年1月、セカンドアルバム『ハイファイ新書』がリリースされるやいなや、デビュー作『シフォン主義』と共にiTunesランキングを独占。瞬く間にネット世代の寵児となった。
初めて聴いたときの印象は、低血圧のようにけだるく、しかし奥に妙な熱を感じる音楽だった。リズムは軽やかに跳ね、ベースは腰を打つ。ミニマルなビートの上に、やくしまるえつこの声が降り注ぐ。
だがその声は、人間の息づかいを排除した、どこか機械的な響きを持つ。歌うというより、“発声する装置”のような存在。そこにこそ、相対性理論の特異性がある。冷ややかで理知的なポップ。聴く者に熱狂ではなく観察を強いる音楽である。
サウンドの演算──80年代的意匠とゼロ年代的距離
『ハイファイ新書』のサウンド・デザインは、80年代シティポップとゼロ年代アキバ文化のあいだを精密に設計している。ギターのトーンやベースのハネ方には、YMO以降の“ポップにおける冷却装置”の系譜があり、同時にその上に乗る言語感覚は、コピーライティング的な人工感を持つ。
ミックスは極端に中域が整理され、ベースとヴォーカルが浮遊するように配置されている。残響の浅い空間処理が、音の距離感をゼロ化し、“無機的な親密さ”を生む。
リスナーは、あたかもデータベースの中で音を聴いているかのような錯覚に陥る。この“人工の温度”こそが、相対性理論のサウンドの核心だ。
たとえば「フジカラーで写す 七不思議 ふしぎ」(『ふしぎデカルト』)というフレーズ。郷愁を装った引用だが、それは記憶から自然に滲み出たノスタルジーではない。
あらかじめ“懐かしさ”を演出するための選択である。「メガネは顔の一部じゃない」(『さわやか会社員』)にしてもそうだ。既に消費期限を過ぎたCMコピーを再利用することで、80年代広告文化の“象徴記号”を再構成している。
歌詞は文脈を拒む短句の連なりで構成され、俳句やキャッチコピーに近い“断片の詩学”を形成している。意味を積み上げるのではなく、切断によって感情を生成する。言葉が物語を語るのではなく、言葉そのものが音楽化されるのだ。
「わたしやめた 世界征服やめた」(『バーモント・キッス』)という一行に象徴されるように、やくしまるえつこの声は“諦めの宣言”すらも可愛くデータ化する。
世界征服を“やめる”ことが、ゼロ年代的な自我のあり方を示す。能動ではなく放棄、挑戦ではなく回避。だがそれは敗北ではなく、“観察する側”の美学である。
演出された無垢──理知と虚構のポップ・アーキテクチャ
相対性理論の音楽を聴くと、しばしば「不思議」「脱力」「キッチュ」といった形容が飛び交う。しかしその脱力は偶然ではない。彼らの構築は、極めて知的で冷徹な戦略の上に成り立っている。
やくしまるえつこの無機質な声が“感情の欠如”を装うのは、むしろ感情を演出するための逆説的装置である。音楽的には、ファンク/ニューウェーヴの構造を下敷きにしつつ、そこに“女子的言語感覚”を乗せることで、男性的ロック構造への異物として機能している。
彼らがメディア露出を極端に避けるのも、その“計算された匿名性”を守るためだろう。やくしまるえつこの匿名性は、メディアが女性像を規定する構造への静かな抵抗でもある。
顔を隠し、声だけを晒すことで、彼女は“見られる女”から“聴かせる主体”へと転位する。沈黙や不可視性を戦略化したその在り方は、ゼロ年代以降のフェミニズム的ポップの先駆でもある。
また、『ハイファイ新書』が登場した2009年前後は、初音ミクの出現とニコニコ動画文化が拡張し、“非人間的な声”がポップの主語を奪い始めた時代だった。
やくしまるえつこのヴォーカルは、その流れを人間の身体に取り戻す試みのようでもある。機械に似せた声で、逆に“人間らしさ”を問い直す。
彼らの音楽には、80年代の軽薄さとゼロ年代の自意識、そして2010年代以降の“ポスト・インディペンデント”感覚が複層的に混在している。俗っぽさは偶発的ではなく、理知的な再演。
ポップ・カルチャーのアーカイブを巧妙にサンプリングし、“意味”より“雰囲気”を優先する。そこに漂うのは、情報社会における感情の再現実験としてのポップである。
だからこそ、相対性理論の音楽には「狙っている感」が常に付きまとう。だがその打算すらも作品構造の一部だ。感情を模倣し、無垢を演出し、軽薄さを理論化する。
『ハイファイ新書』は、J-POPの構造を自己言及的に書き換える“冷たいポップの論文”であり、タイトル通りの“新しい教科書”だった。
- アーティスト/相対性理論
- 発売年/2009年
- レーベル/みらいレコーズ
- テレ東
- 地獄先生
- ふしぎデカルト
- 四角革命
- 品川ナンバー
- 学級崩壊
- さわやか会社員
- ルネサンス
- バーモント・キス
