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yanokami/yanokami

矢野顕子+レイ・ハラカミによる、メロディーレスな電子音の点描画

『yanokami』(2007年)は、矢野顕子とレイ・ハラカミによるコラボレーション・ユニットであり、J-POPにおける電子音と声の幸福な融合を実現した作品である。矢野が歌とピアノを、ハラカミがエレクトロニクスを担当し、「>恋は桃色」などのカバーを収録。アコースティックとデジタルが呼吸するように溶け合い、人間とテクノロジーの共生を音楽として体現した。

暴力的なピアノ──矢野顕子という異能

ここ数年、NHKホールで行われる矢野顕子の「さとがえるコンサート」に足げく通っているが、そのたびに感じるのは、壮絶としか言いようのないミュージシャンとしての圧倒的な凄みである。

チャイルディッシュな詩世界と、チャーミングなヴォーカリゼーションで中和されてはいるが、そのピアノは山下洋輔ばりに激しく暴力的。問答無用とばかりにリスナーに襲い掛かってくる。

転調に次ぐ転調、独特のコード感、そして音の跳躍。彼女の紡ぐ音楽はいつも、感情の臨界を軽やかに越えていく。

THE BOOMの『中央線』、ムーンライダースの『ニットキャップマン』、くるりの『ばらの花』、ELLEGARDENの『右手』、細野晴臣の『恋は桃色』――彼女は数多くのカバー曲をアルバムやコンサートで披露してきた。

そのすべてが「矢野顕子の曲」として再生される。メロディーもコードもリズムも、彼女の身体を通過することで組み替えられ、別の生態系として立ち上がる。それは再解釈ではなく再誕。カバーでありながら、もはや“新曲”なのだ。

だからこそ、矢野顕子とレイ・ハラカミの邂逅は奇跡ではなく、必然だった。矢野が持つ「過剰な人間性」と、ハラカミが体現する「非人称的な風景」。この二つのベクトルは本来、交わるはずのない軸を共有している。

矢野が音楽を“生き物”として奏でるなら、ハラカミは音楽を“気配”として描く。矢野が“生の震え”を弾き出すとき、ハラカミは“生の余白”を静かに受け止める。その関係は、衝突ではなく共鳴。音の中心をめぐる、静かな対話である。

レイ・ハラカミの音楽には核がない。旋律の中心を持たないかわりに、音そのものが有機的に漂い、時間とともに呼吸をする。彼の言葉を借りれば「主役のいない風景」だ。

その風景のなかに、矢野顕子という“主役”が入り込むことで、音楽は初めて重力を得る。ハラカミが設計した無重力の空間に、矢野が血と体温を流し込む。その瞬間、電子音は“人間の声”を得る。

yanokamiというプロジェクトの本質は、「テクノロジーが呼吸する音楽」を実現したことにある。

呼吸する音楽──yanokamiという奇跡

彼らの音楽を聴くと、メロディーでもリズムでもない何かが、確かに鳴っている。矢野のピアノの間(ま)をハラカミが電子の粒で埋め、ハラカミの無音の間に矢野の歌が降り立つ。

それは“演奏”ではなく“共在”。人間と機械、即興と構築、声と残響――相反するものたちが、ここでは互いを否定せずに並んでいる。だからこそyanokamiの音楽は、どこか祈りに似ている。世界を調律し直すような、静かな希望が宿っているのだ。

くるりの『ばらの花』をレイ・ハラカミが大胆にリミックスし、その音に矢野顕子が衝撃を受けてコラボをラブコールした――というエピソードは今や伝説だ。

その結果生まれた『yanokami』(2007年)は、J-POPのなかで“電子音と声の幸福な融合”を最初に実現したアルバムとして記憶されるべき作品である。

人間と機械、アナログとデジタルという二項を超えて、彼らが見出したのは「音の呼吸=共生の音楽」だった。そこにはテクノでもジャズでもポップでもない、21世紀の“うた”があった。

DATA
  • アーティスト/yanokami
  • 発売年/2007年
  • レーベル/ヤマハミュージックコミュニケーションズ
PLAY LIST
  1. 気球にのって
  2. David
  3. 終りの季節
  4. おおきいあい
  5. Too Good to be True yanokami version-
  6. You Showed Me
  7. La La Means I Love You
  8. Night Train Home -yanokami version-
  9. Full Bloom
  10. 恋は桃色