『アジャストメント』(2011)
映画考察・解説・レビュー
『アジャストメント』(原題:The Adjustment Bureau/2011年)は、フィリップ・K・ディックの短編『調整班』を原案に、ジョージ・ノルフィ監督が描いたSFサスペンスである。上院議員候補デヴィッド(マット・デイモン)は、偶然出会ったバレエ・ダンサーのエリース(エミリー・ブラント)に惹かれるが、彼らの関係を制御しようとする「運命調整局」によって二人の運命が操作されていく。愛と自由を懸けた逃避行が始まる。
運命に逆らって恋を貫く中年男の純愛譚
マット・デイモンは、密かに嫉妬し続けていたに違いない!
1982年に没後も、あまたの作品が次々にハリウッドで映画化されているフィリップ・K・ディック。リドリー・スコット監督作『ブレードランナー』(1982年)、 ポール・バーホーベン監督作『トータル・リコール』 (1990年)、スティーヴン・スピルバーグ監督作『マイノリティ・リポート』(2002年)、リチャード・リンクレイター監督作『スキャナー・ダークリー』(2006年)…。
ディック原作モノ”はどれも独創性にあふれ、盟友ベン・アフレックも『ペイチェック 消された記憶』(2003年)に出演。「畜生!何でベンにはオファーが来たのに俺には何もないんだ?俺様もディック原作の映画に出たーい!!」と、マット・デイモンは思っていたに違いない。
という訳で、フィリップ・K・ディックの短編小説『調整班』を原案に、『ボーン・アルティメイタム』(2007年)etc.を手がけた脚本家出身のジョージ・ノルフィを監督に迎えた『アジャストメント』(2011年)は、待ちに待ったマット・デイモン主演の“ディック原作モノ”映画だ。
だが本作は、ディック原作の中では異色の部類に属する。なぜなら本作には、『ブレードランナー』や『マイノリティ・リポート』に通底するような「現実崩壊のめまい」も、「自己同一性の不確かさ」も存在しないからだ。
ここで描かれるのは、運命を操作する神々に抗う哲学的ディストピアではなく、「運命に逆らって恋を貫く中年男の純愛譚」である。つまり、ディック的幻惑を捨てた代わりに、ハリウッド的ロマンスを手に入れた作品だ。
“神のシステムエンジニア”たち──形而上の設定がコメディに堕する瞬間
映画の設定自体は魅力的だ。運命を司る「調整局」のエージェントたちは、すべての人間の行動を監視し、あらかじめ定められた“プラン”から逸脱しないように現実を修正していく。
人類は自由意志を持たない──という神学的テーマが潜んでいる。ところがこの崇高な設定が、あまりにも“人間的なドジ”によって崩れていくのが『アジャストメント』の悲喜劇である。
エージェントは公園でうたた寝をし、運命の歯車が狂い、二人の恋人が偶然再会してしまう。世界を調整するはずの神々が、まるで職務怠慢の官僚のようだ。
その姿はもはや宗教的存在ではなく、システムエラーに振り回される人間そのもの。ジョージ・ノルフィはここで、神話的構造を現代的ユーモアで脱臼させる。だが同時に、それは作品全体を軽くしてしまい、ディック的深度を削ぎ落としている。
マット・デイモンの宿命的リアリズム
主人公デヴィッド・ノリスは、上院議員候補という立場にありながら、恋に落ちると全てを投げ出してしまう。理想と現実、理性と衝動。その揺れを、マット・デイモンは実に地味な方法で演じている。
『ボーン・アイデンティティー』で記憶を失いながら世界を救った男が、ここでは運命を奪い返すために走る。しかし、その“運命への反逆”は、ディック作品における形而上の戦いというよりも、恋人の手を離さないという人間的な執念にすぎない。
デイモンはこの“凡庸さ”を演技の核に据える。世界を動かすのではなく、たった一人の女を選ぶ。大仰な哲学を拒否し、日常的感情のレベルで「自由意志」を証明しようとする。
その潔さは、ディック的知的スリラーを期待した観客にとっては拍子抜けかもしれないが、俳優マット・デイモンのリアリズムを貫いた結果でもある。
この映画を成立させている最大の要素は、エミリー・ブラントの存在だ。彼女が演じるバレエダンサーのエリースは、自由奔放でミステリアス、そして一瞬で男の運命を狂わせるほどの吸引力を持つ。
彼女がスクリーンに現れるたびに、映画の重力は変わる。ジョージ・ノルフィの演出は決して洗練されていないが、ブラントの肉体的なリアリティがすべての矛盾をねじ伏せる。
胸元を強調したドレス、ステージ上での舞い、ふとした笑み──それらは脚本上の必然を超え、観客に「この女のためなら、運命など書き換えてしまえ」と思わせる。もはや理屈ではない。映画はこの“恋の強度”によって辛うじて立脚している。
調整される物語の限界
『アジャストメント』は、ディック的世界観をラブストーリーの枠組みに調整した作品である。つまり、ディックを“ハリウッド仕様”にアジャストした映画なのだ。
自由意志という壮大なテーマも、最終的には「恋人を選ぶ勇気」という普遍的メッセージに還元される。脚本家出身のノルフィらしく構成は緻密だが、アイデアの発火点は浅く、宗教的問いの深みにまでは踏み込まない。
ただし、“寓話としての軽さ”は欠点ではない。星新一的ショートショートのように、どこか間の抜けたユーモアと皮肉を抱えたまま終わるその結末は、むしろディックが生きていたら笑って受け入れたかもしれない軽妙さを持つ。運命を操作する神々がポンコツで、人間の恋の方がよほど熱い──そんな皮肉こそ、最も人間的なディック解釈なのだ。
『アジャストメント』における自由意志とは、世界を変える力ではなく、“誰かを選ぶ覚悟”のことだ。人は神のプランの外側に出ることはできない。しかし、その中で一瞬でも「自分で決めた」と信じられるなら、それこそが人間の尊厳である。
ディックの原作が提示した問いを、ノルフィとデイモンはロマンティックに、そして軽やかに着地させた。哲学的深淵の代わりに、恋人の手を取るクライマックスがある。だからこそ、この映画は欠陥だらけで愛すべき寓話なのだ。
運命を調整する者たちが眠りこけ、人間が偶然恋に落ちる──その“バグ”こそが、この世界の希望である。
- 原題/The Adjustment Bureau
- 製作年/2011年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/106分
- ジャンル/サスペンス、恋愛、SF
- 監督/ジョージ・ノルフィ
- 脚本/ジョージ・ノルフィ
- 製作/マイケル・ハケット、ジョージ・ノルフィ、ビル・カラッロ、クリス・ムーア
- 製作総指揮/イサ・ディック・ハケット、ジョナサン・ゴードン
- 原作/フィリップ・K・ディック
- 撮影/ジョン・トール
- 音楽/トーマス・ニューマン
- 編集/ジェイ・ラビノウィッツ
- マット・デイモン
- エミリー・ブラント
- アンソニー・マッキー
- ジョン・スラッテリー
- マイケル・ケリー
- テレンス・スタンプ
- ローレンス・レリッツ
- スティーヴ・ソーレソン
- フローレンス・カストリナー
- フィリス・マクブライド
- ナタリー・カーター
- アジャストメント(2011年/アメリカ)
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