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その土曜日、7時58分/シドニー・ルメット

『その土曜日、7時58分』──シドニー・ルメットが描く“家庭という最終法廷”

『その土曜日、7時58分』(原題:Before the Devil Knows You’re Dead/2007年)は、シドニー・ルメット監督が手がけた犯罪サスペンス。ニューヨーク郊外を舞台に、兄アンディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)と弟ハンク(イーサン・ホーク)が、金銭問題から実の両親が営む宝石店を襲撃する計画を立てる。しかし強盗は失敗し、予期せぬ死が家族を引き裂いていく。時間軸が交錯する構成の中で、欲望と罪が連鎖し、崩壊していく家庭の姿が浮かび上がる。

老監督が見た終末の都市

齢八十を越えたシドニー・ルメットが、自らのフィルモグラフィの終着点として放った『その土曜日、7時58分』(2007年)は、監督の長いキャリアを総括するかのような沈黙と崩壊の映画だった。

『十二人の怒れる男』、『セルピコ』、『狼たちの午後』といった社会派の傑作群で描かれてきたのは、制度と個人の衝突、理想と現実の亀裂。しかし本作においてルメットが照射するのは、もはや社会の外部ではなく、〈家庭〉という極めて内側の崩壊である。

フィリップ・シーモア・ホフマン演じる兄アンディと、イーサン・ホーク演じる弟ハンク。彼らが犯すのは、他ならぬ自らの両親が営む宝石店の強盗という、倫理の臨界点を越えた犯罪だ。

光に満たされたホワイトトーンの映像設計は、都市の無機質な明度と、登場人物の内側に沈殿する暗黒とを対照的に映し出す。ルメットはここで若返ったのではない。

むしろ、あらゆる欲望が燃え尽きた後に残る「白い灰」のような老成の眼差しを、完璧に映画へ転写している。

罪の記憶が構築する非直線の物語

『その土曜日、7時58分』の語りは、時間軸を自在に行き来するフラッシュバック構造を採用している。

事件の結果を先に提示し、そこへ至る経緯を断片的に再構築していく形式は、一見モダンなサスペンスの語法に見える。だがルメットにとってそれは技巧ではなく、罪の意識そのものを映像的に表現するための構造だ。

過去と現在が交錯し、記憶と事実の境界が曖昧になる。そこに浮かび上がるのは、時間の連続性が断ち切られた“罪人の意識の断層”。編集の緊張感は鋭く、しかしどのカットも過剰に演出されることなく、フィックスされた構図の中に閉塞を刻みつける。

血の色が漂白されるようなホワイトライト、静止する空間、硬質なリズム。これらすべてが、家族という最小単位の崩壊を、制度腐敗を描いてきたルメットの文法の延長線上に置き換えている。

法廷も警察も登場しない代わりに、家庭という「最初の法廷」が沈黙のうちに裁きを下すのだ。

欲望の残響としての演技

ルメット映画における肉体は、常に倫理の最後の砦であった。『その土曜日、7時58分』では、その肉体さえも崩壊していく。

アンディ役のフィリップ・シーモア・ホフマンは、冷静な計算と焦燥の間で身体を震わせ、表情の奥に抑えきれぬ衝動を封じ込める。彼の低音の声は、内側から腐食する魂の鳴動として響き、兄弟を奈落へと導く呪文のようでもある。

対するハンクを演じるイーサン・ホークは、未熟で脆く、破滅の予感を纏った存在だ。二人の関係性は、兄弟というよりも「共犯者」としての共依存であり、そこに家族的愛情はもはや残っていない。

彼らを取り巻く女たち──とりわけマリサ・トメイ演じるジーナの存在は、欲望と罪悪感の境界を撹乱する。彼女の肉体は映画の最初に現れ、最後には虚無の象徴として消える。

ルメットはその肉体を官能的にではなく、悲劇的な人間性の終端として撮っている。光の白さは清廉ではなく、あまりにもまぶしい死の予兆なのだ。

この作品においてルメットは、制度や正義ではなく、人間そのものが崩壊していく過程を見届けている。フィリップ・シーモア・ホフマンの震える手、イーサン・ホークの濁った眼差し、マリサ・トメイの沈黙。それらの断片が、老監督の冷徹なカメラの前でひとつの終焉を形づくる。

『その土曜日、7時58分』とは、シドニー・ルメットが映画という形式を通して下した、〈人間という制度〉への最終的な判決なのである。

DATA
  • 原題/Before the Devil Knows You’re Dead
  • 製作年/2007年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/117分
STAFF
  • 監督/シドニー・ルメット
  • 製作総指揮/デヴィッド・バーグスタイン、ジェーン・バークレイ、ハンナ・リーダー、エリ・クライン、ジェフリー・メルニック、J・J・ホフマン、ベル・アヴェリー、サム・ザハリス
  • 製作/マイケル・セレンジー、ブライアン・リンス、ポール・パーマー、ウィリアム・S・ギルモア
  • 脚本/ケリー・マスターソン
  • 音楽/カーター・バーウェル
  • 撮影/ロン・フォーチュナト
  • 編集/トム・スウォートウート
CAST
  • フィリップ・シーモア・ホフマン
  • イーサン・ホーク
  • マリサ・トメイ
  • アルバート・フィニー
  • ブライアン・F・オバーン
  • ローズマリー・ハリス
  • マイケル・シャノン
  • エイミー・ライアン
  • サラ・リヴィングストン
  • アレクサ・パラディノ