『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』(2011)
映画考察・解説・レビュー
『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』(2011年)は、ブラッド・バード監督が手がけ、トム・クルーズが再びイーサン・ハントを演じたシリーズ第4作。クレムリン爆破事件をきっかけにIMFが解体され、身分を剥奪されたイーサンとチームは、追われる立場のまま任務続行を余儀なくされる。砂嵐が覆うドバイ、高層ビルでの垂直アクション、欺瞞が錯綜する潜入作戦。銃撃よりも“虚構の構築”で世界を守るスパイたちの危険な戦いが、ここから動き始める。
監督の個性を吸収する“変態的シリーズ”
『ミッション:インポッシブル』シリーズは、監督の資質と変態性をまるごと呑み込む稀有なフランチャイズである。かつて『エイリアン』が監督交代ごとに異なる恐怖の相貌を見せたように、このシリーズもまた作家性の実験場として機能してきた。
しかも『エイリアン』が連続する神話的構造を持っていたのに対し、『ミッション:インポッシブル』は一話完結形式を採用することで、作品ごとに完全な異質性を導入する自由を獲得している。
ブライアン・デ・パルマは監視カメラとスローモーションを駆使して、クラシックなスパイ・ノワールの緊張を甦らせた。ジョン・ウーは鳩と拳が飛び交うカタルシスの美学を貫いた。そしてJ・J・エイブラムスは、テレビ的スピード感を導入し、情報量の過剰を一種の快楽へと変換した。
シリーズは監督ごとに別の遺伝子を組み込まれながら、なお同一の身体を維持し続けてきた。『ゴースト・プロトコル』(2011年)は、その変態的進化の第四形態である。
本作で監督に抜擢されたのは、『Mr.インクレディブル』(2004年)や『レミーのおいしいレストラン』(2007年)で知られるブラッド・バード。ピクサー出身のアニメーション作家が、実写スパイ映画に挑むという発想自体が異例だった。
だが彼の演出哲学は、CG全盛の現代において極めて合理的である。アニメーションにおける「不可能なカメラワーク」は、もはや実写でも再現可能になった。バードはシークエンスごとにアニマティック(簡易動画コンテ)を制作し、映像の動きをミリ秒単位で設計した。
結果として『ゴースト・プロトコル』は、アニメ的リズムと実写的質感が完璧に融合した“ハイブリッド映画”として成立する。立体駐車場のクライマックス・バトル、クレムリン爆破、ドバイ・タワーの垂直クライミング。どの場面も重力と時間を無視しつつ、カット単位では冷徹な現実性を保っている。
バードが描いたのは「人間の身体をアニメーション化する」ことだった。アニメ的身体が現実を凌駕し、リアリズムを拡張していく。そこに本作の革新がある。
銃弾なきスパイ──コン・ゲームの知的快楽
『ゴースト・プロトコル』において、イーサン・ハント(トム・クルーズ)は一発の銃弾も撃たない。シリーズの核を成すのは暴力ではなく“欺き”であり、物理的破壊よりも心理的撹乱によってミッションは遂行される。
クレムリン潜入での映写スクリーンによる警備欺瞞、売り手と買い手の入れ替えによるコード奪取など、すべてが「虚構を構築する技術」としてのスパイ活動である。つまりイーサンとは、現実を編集し続けるフィルムメーカーであり、任務とは映画制作そのものの隠喩である。
ここに、J・J・エイブラムスが築いた“メタ・スパイ映画”の理念が継承されている。無駄な血を流さず、欺きによって勝利する――その構造は、暴力とカタルシスを重ねてきたハリウッド・アクションの常識を静かに裏切る。銃撃よりもアイデア、破壊よりも創造。スパイ映画が再び「知的遊戯」へと回帰した瞬間である。
ドバイのブルジュ・ハリファを駆け上がるイーサンの姿は、単なるスタントではなく「垂直的映画美学」の極点を象徴する。地平を捨て、高度を求め、観客の重力感覚を破壊する。編集は常に上昇と下降を繰り返し、リズムが加速度的に変化していく。
ここにおいてバードは、アクションを物語ではなく“構築音楽”として扱う。電磁グローブ、フェイスマスク、視線認識レンズ――ガジェットの数々は、単なる道具ではなく、動作のリズムを生み出すメトロノームである。
砂嵐の中のチェイスでは、視界そのものがノイズに侵され、映像が抽象化されていく。リアルが抽象に近づく瞬間、観客はアクションを「情報の嵐」として体験する。
これはアニメーション的運動感覚を実写に持ち込んだ証左であり、バードが実写においても「動きの哲学」を貫いたことを意味する。アクションは筋肉の動きではなく、映像のリズムとして存在しているのだ。
ユーモアの復権とシリーズの成熟
本作をシリーズ最高傑作たらしめているのは、緊張と笑いの絶妙な均衡。サイモン・ペッグ演じるハッカー、ベンジーの存在がその象徴だ。『ホット・ファズ』や『宇宙人ポール』で培われた“オタク的無力さ”を引きずりつつ、ミッションにおける唯一のユーモラスな潤滑剤として機能する。
彼の冗談や失敗が、過剰な緊張を和らげ、観客の感情をリセットする。『M:i:III』の重苦しいトーンに比べ、本作は軽やかだ。だがその軽さは、表層的なコメディではなく、絶望を笑いに変える知的強度を備えている。
敵役カート・ヘンドリクス(ミカエル・ニクヴィスト)の「人類一掃論」という荒唐無稽な理念すら、スパイ映画的リアリズムを破壊する装置として機能している。ここでは、非現実を徹底して現実的に撮るという、バード的逆説が貫かれているのだ。
『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』は、スパイ映画の古典的精神を保ちながら、アニメーション的運動性とポストCG時代の映像感覚を融合させた転換点である。J
・J・エイブラムスが築いた“テレビ的編集感覚”を土台に、ブラッド・バードはそれを“垂直的映画”へと進化させた。イーサン・ハントが次にどこまで走れるのか、それはトム・クルーズ自身の肉体がいつまで夢を信じられるかという時間との闘いでもある。
だが少なくとも、シリーズはこの瞬間に到達した――映画的身体が重力を超えた、唯一無二の“現実の夢”として。
- 原題/Mission: Impossible - Ghost Protocol
- 製作年/2011年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/132分
- 監督/ブラッド・バード
- 脚本/ジョシュ・アッペルバウム、アンドレ・ネメック
- 製作/トム・クルーズ、J・J・エイブラムス、ブライアン・バーク
- 製作総指揮/ジェフリー・チャーノフ、デヴィッド・エリソン、ポール・シュウェイク、デイナ・ゴールドバーグ
- 原作/ブルース・ゲラー
- 撮影/ロバート・エルスウィット
- 音楽/マイケル・ジアッチーノ
- 編集/ポール・ハーシュ
- 衣装/マイケル・カプラン
- トム・クルーズ
- ジェレミー・レナー
- サイモン・ペッグ
- ポーラ・パットン
- ミカエル・ニクヴィスト
- ウラジミール・マシコフ
- ジョシュ・ホロウェイ
- アニル・カプール
- レア・セドゥ
- ミラジ・グルビッチ
- サムリ・エーデルマン
- トム・ウィルキンソン
- ミッション:インポッシブル(1996年/アメリカ)
- ミッション:インポッシブル3(2006年/アメリカ)
- ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル(2011年/アメリカ)
- ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング(2025年/アメリカ)
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