『アウトランド』(1981)
映画考察・解説・レビュー
『アウトランド』(1981年)は、ピーター・ハイアムズ監督がショーン・コネリーを主演に迎え、木星の衛星イオに建設された採掘ステーションを舞台に、相次ぐ労働者の怪死事件の真相を追うSFサスペンスである。辺境基地に赴任した保安官オニールは、過酷な労働環境と違法ドラッグによって作業員が次々と発狂・自殺していく異常事態の裏に巨大企業の隠蔽工作を嗅ぎ取り、家族との断絶と孤立無援の状況に追い込まれながらも、“真空の正義”を貫いて搾取される労働者たちの運命と向き合うことになる。
真空の正義──宇宙版『真昼の決闘』としての『アウトランド』
硬派なアクション映画を撮らせたら、ピーター・ハイアムズの右に出る者はそう多くない。
『カプリコン・1』(1977年)で国家的陰謀を暴き、『エンド・オブ・デイズ』(1999年)で神と悪魔の最終戦争を描いた彼は、常に孤独な男が巨大な暴力装置に立ち向かう構図を貫いてきた。その頂点に位置するのが『アウトランド』(1981年)である。
ショーン・コネリー演じる連邦保安官オニールが、宇宙ステーション“イオ”で企業の腐敗と殺人を暴く本作は、しばしば“宇宙版『真昼の決闘』(1952年)”と呼ばれる。
だがハイアムズの狙いは、単なる西部劇の移植ではない。彼が描くのは“正義”ではなく、“秩序なき宇宙での孤立”だ。シネマスコープの横長画面に漂う真空の静寂は、保安官の孤独と恐怖を象徴し、宇宙を〈道徳のない frontier〉として描き出している。
舞台は、木星の衛星イオに建設された巨大採掘コロニー。そこでは二千人の労働者が酸素と賃金のために日々働き続けている。異星人も巨大生物も登場しない。あるのは、汗と油と血の匂いが混じり合う、息の詰まる労働空間だけだ。
ハイアムズのカメラは、光と闇を極端に対比させる。蛍光灯の冷たい白、換気ダクトに染みつく黒。人間はその中で単なる影として動く。『エイリアン』(1979年)の宇宙貨物船ノストロモ号を想起させるこの設計には、リドリー・スコット以降の〈工業的SF美学〉が脈打っている。
宇宙はもはや希望の象徴ではなく、資本の延長としての労働環境である。ハイアムズはSFという枠を借りて、現代資本主義社会の縮図を描く。酸素供給を人質に取る企業、麻薬で労働者を支配する上層部、そして“秩序”を保つために腐敗を黙認する保安官組織。
『アウトランド』の宇宙は、もはや外宇宙ではない。それは地球の延長にある閉鎖空間=ディストピアなのだ。
男の孤立、女性性の欠如
ショーン・コネリー演じるオニールは、典型的な“孤独な男”である。彼は命令に従う軍人でも、カリスマ的英雄でもない。企業の不正を知りながら誰も声を上げないコロニーで、ただ一人、法の名のもとに立ち上がる。だがその正義は、誰にも理解されない。
ハイアムズは、この“理解されない正義”をサスペンスの装置として機能させる。雇われた殺し屋がステーションに近づく過程と、迎撃準備を進めるオニールの心理が交互にカットバックされる。
緊張のクロスカッティング──これはハイアムズの編集哲学の核心であり、彼が後に『2010年』(1984年)でも用いた手法だ。観客はオニールの呼吸と殺し屋の接近を同時に“感じる”。この感覚的編集によって、ハイアムズは“孤立の恐怖”をリアリズムとして体験させる。
クライマックスでは、真空の宇宙空間での死闘が展開される。重力のない空間に漂う血液、通信が途絶した静寂。ここでハイアムズは、アクションを派手な暴力ではなく、沈黙の戦いとして描く。宇宙の無音が、保安官の孤立を極限まで際立たせるのだ。
そして『アウトランド』は、全編を通して“男の物語”。宇宙ステーションには女性も登場するが、それは物語の倫理を緩和させる存在に過ぎない。妻は冒頭で「こんな場所で暮らしたくない」と地球に帰り、医師ラザラス(フランシス・スターンヘイゲン)はオニールの良心を補助する機能的役割に留まる。
この世界における“女性”は、母でも恋人でもなく、制度から排除された存在として描かれる。もしこのコロニーに娼婦しかいなければ──と批評的に想定してみれば、そこに生まれるのは“倫理なき労働空間”の完成形である。人間の情動が徹底的に剥奪された場所、そこにこそハイアムズのディストピアは純化されるだろう。
とはいえ、彼があえてこの“女性的余白”を残したのは、機械文明の中で失われかけた人間性の残響を描くためとも読める。『地獄の黙示録』(1979年)が戦場の狂気を描いたのに対し、『アウトランド』は労働と孤独の狂気を描く。戦争の代わりに企業があり、兵士の代わりに労働者がいる。ここでは“優しさ”すらも異物なのだ。
終わりなき鉱山──ハイアムズ的リアリズムの到達点
『アウトランド』の結末は、華々しい勝利ではない。オニールは悪を倒すが、誰も彼を称えない。彼の正義はシステムに吸収され、宇宙ステーションの機械音だけが残る。エンドロールに流れるジェリー・ゴールドスミスの重厚なスコアは、勝利の音楽ではなく、“孤立の残響”として響く。
ハイアムズはこの作品で、SFを“未来の寓話”ではなく、“現代の現場”として描いた。暴力も麻薬も、企業の腐敗も、すべて地球的現実の延長線上にある。
『ブレードランナー』(1982年)がその翌年に都市型ディストピアの美学を完成させるとすれば、『アウトランド』はその前夜に生まれた労働者のためのディストピア映画であった。
ハイアムズのカメラは、英雄を賛美せず、孤独を抱く男を淡々と見つめる。そこにあるのは正義でも勝利でもなく、働くことそのものの絶望と矜持である。
真空の静寂の中で、ショーン・コネリーが呟くかのような言葉が聞こえる――「正義とは、誰も見ていなくても戦うことだ」。
- 原題/Outland
- 製作年/1981年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/126分
- ジャンル/SF
- 監督/ピーター・ハイアムズ
- 脚本/ピーター・ハイアムズ
- 製作/リチャード・ロス
- 製作総指揮/スタンリー・オトゥール
- 撮影/スティーヴン・ゴールドブラット
- 音楽/ジェリー・ゴールドスミス
- 編集/スチュワート・ベアード
- 美術/フィリップ・ハリソン、マルコム・ミドルトン
- 衣装/ジョン・モロ
- アウトランド(1981年/アメリカ)
- アウトランド(1981年/アメリカ)
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