HOME > MOVIE> 『ピストルオペラ』(2001)老いてなお暴走する清順美学。色彩と狂気が物語を解体する、終末的カーニバル

『ピストルオペラ』(2001)老いてなお暴走する清順美学。色彩と狂気が物語を解体する、終末的カーニバル

『ピストルオペラ』(2001)
映画考察・解説・レビュー

7 GOOD

『ピストルオペラ』(2001年)は、殺し屋組織“ギルド”に属する暗殺者・野良猫が、上位ランカーたちと死闘を繰り広げる物語である。清順は物語を崩壊させ、色彩と形によって世界を再構築する。登場人物たちは番号で呼ばれ、現実と夢が交錯するなか、野良猫は己の存在理由を見失いながらも戦い続ける。

老いと反抗──清順という永遠の逸脱者

ふつう映画監督というものは、年齢とともに作品が円熟し、穏やかな人生の秋を描く境地へと向かうものだ。だが、鈴木清順という男にその常識は1ミリも通用しない。

彼の創造のマグマは老いによって冷却されるどころか、むしろ加熱し、暴走のフェーズへと突入した。1980年代の「大正三部作」で耽美と退廃の極限を提示した清順は、78歳にしてなお、映画の文法を完膚なきまでに破壊する、『ピストルオペラ』(2001年)を世界に叩きつけた。

清順は本作を撮るにあたり、「前衛なんて言葉はもう古い。俺がやりたいのは“全英(すべてがハナから映画であること)”だ」と豪語したという。つまり、現実の模倣や論理的な整合性など端から眼中にない、純粋な「動く画」としての映画への回帰宣言である。

その映像は万華鏡のごとく狂おしく回転し、色彩は網膜が焼けるほど飽和し、世界は現実の輪郭を失ってゆく。ヌーヴェルヴァーグを嘲笑うかのようなジャンプカットの連発、ダヴ・ミックスの重低音が空気を震わせるBGM、そしてスタイリストの北村道子が手掛けた「和服にブーツ、背中には謎の装飾」という江角マキコの異装。

これらはすべて、映画という形式そのもの、あるいは「こうあるべき」という既成概念への凄まじい挑発だ。清順にとって物語はもはや単なる副産物であり、主題は「映像がいかに狂気を宿し、観客を射抜くか」にある。

老いを内面化せず、身体的な衰えを逆手に取って「破壊の知」へと爆発させるその姿勢。彼は老いによって精神の処女膜を再生し続ける唯一のサイボーグ監督であり、その倒錯した若々しいエネルギーこそが本作を駆動させているのである。

万華鏡の中の殺し屋たち

『ピストルオペラ』のプロットは、常識的な意味での物語を完全に放棄している。

殺し屋組織“ギルド”が、まるで大相撲の番付表のようにランキングを発表。二位は昼行灯の萬、三位は野良猫、四位は生活指導の先生、五位は無痛の外科医、六位は宴会部長……。観客は早々に論理的理解を諦めざるを得ないが、それで大正解!

清順映画における「意味」とは、ショットと色彩の配置の中に沈殿するものであり、言語で翻訳できるものではない。本作は「語る映画」であることを辞め、網膜を直接加熱する「照射」の映画となった。

ここで特筆すべきは、脚本を担当した伊藤和典の存在である。『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993年)や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)で、緻密な論理と重層的な構造を積み上げてきた「リアリズムの構築者」である伊藤が、清順という予測不能な劇薬と手を組む。

伊藤は清順からの「理屈はいらん、とにかく派手なイメージだけを書け」という無理難題に対し、自らの作家性をあえて消去し、清順的カオスに奉仕する「透明な器」になる道を選んだ。

その結果、脚本は自律性を失い、色彩の奔流に跡形もなく溶解した。これは脚本家の敗北ではない。映像が言語という文明の道具を凌駕し、蹂躙した瞬間を証明した、崇高なる「脚本の死」なのだ。

伊藤の緻密な構成力をもってしても、清順の「画」の前では、ただのカンバスの一部に過ぎなかったのである。

『殺しの烙印』の亡霊

主演の江角マキコは、野良猫という暗殺者を演じるにはあまりに健全で、あまりに直線的だ。彼女の長身と強固な骨格は、しなやかさよりも剛性を感じさせ、清順がかつて野川由美子らと作り上げたコケティッシュなエロスとは明らかに乖離している。

だが、清順はこの「ミスマッチ」こそを計算ずくで狙っていた。江角の「生々しいエロティックさの欠如」は、むしろ本作の徹底した人工性を際立たせ、観客に「映画的身体とは何か」を問い直させる装置として機能している。

血肉を持った肉体がスクリーン上で一度記号化され、その記号が再び「殺し屋」という肉体に擬態する。この反転構造こそが清順的エロスの真骨頂なのだ。

本作は、かつて日活を追われる原因となった『殺しの烙印』(1967年)のセルフリメイクというより、その亡霊が極彩色の衣装を纏って踊り狂う葬列と呼ぶべきだろう。

宍戸錠が演じた「炊き立ての飯の匂いに興奮する男」の孤独な闘争は、ここで女性の身体に置き換えられ、再び「映画そのものの自殺」として描き直される。

色彩は極彩に過ぎ、音響は過剰を極め、全てが「意味」という安直な理解を拒絶する。この拒絶の美学こそが清順の到達点であり、彼が映画という表現を「現実の再現」から「過剰の彼方」へと完全に送り出した証拠。

『ピストルオペラ』における暴力もエロスも、もはやリアルな痛みや熱を指し示さない。日本映画界にこれほどまでにファンキーで、かつパンクな老年が存在するという事実はあまりに痛快だ。

鈴木清順は、老いを恐れぬ想像力の絶対的な証人であり、本作は78歳の監督が「若さの死体」を豪快に蹴り飛ばす瞬間の、最も鮮烈な記録なのである。

DATA
  • 製作年/2001年
  • 製作国/日本
  • 上映時間/112分
  • ジャンル/アクション、クライム
STAFF
  • 監督/鈴木清順
  • 脚本/伊藤和典
  • 製作/小椋悟、片嶋一貴
  • 製作総指揮/小澤俊晴、宮島秀司、石川博、菅原章
  • 撮影/前田米造
  • 音楽/こだま和文
  • 編集/鈴木晄
  • 美術/安宅紀史
CAST
  • 江角マキコ
  • 山口小夜子
  • 韓英恵
  • 平幹二朗
  • 永瀬正敏
  • ヤン・B・ワウドストラ
  • 渡辺博光
  • 加藤善博
  • 柴田理恵
  • 青木富夫
  • 樹木希林
  • 加藤治子
  • 沢田研二
FILMOGRAPHY