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『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981)スピルバーグが仕掛けた“冒険と残酷”の二重構造

『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981)
映画考察・解説・レビュー

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『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(原題:Raiders of the Lost Ark/1981年)は、考古学者インディ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)が、超常的な力を秘めた聖遺物“契約の箱(アーク)”をナチスより先に入手しようと奔走する冒険アクションの金字塔。監督スティーヴン・スピルバーグ、製作総指揮ジョージ・ルーカスという黄金タッグによる共同企画として誕生し、古代遺跡の罠、砂漠のカーチェイス、市街地での追跡劇、宿敵ベロック(ポール・フリーマン)との対決など、1930年代冒険活劇のエッセンスを現代的スピード感で再構築している。

砂浜で生まれた冒険映画

『スター・ウォーズ』(1977年)の公開を控え、不安にかられたジョージ・ルーカスが、ハワイで休暇中のスティーヴン・スピルバーグと砂浜で語り合う――それが『インディ・ジョーンズ』誕生の瞬間だった。

『007』のような冒険アクションを撮りたいと語るスピルバーグに対し、ルーカスは長年温めてきた考古学者ヒーローの構想を披露し、二人は意気投合。かくして生まれた『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981年)は、80年代ハリウッドを象徴する“神話的企画”として実現した。

だが、この映画の真価は単なる娯楽超大作としての成功ではない。スピルバーグ自身の内部に潜む“二つの欲望”──すなわち〈冒険への憧れ〉と〈残酷への耽溺〉──を同時に可視化した点にある。

スピルバーグの残酷趣味──ファミリー映画の皮をかぶったサディズム

『レイダース』は一見して明るく無邪気な冒険活劇に見える。だがその裏側で、スピルバーグは執拗なまでに“死”を描いている。

彼の残酷趣味は、『ジョーズ』(1975年)の段階ですでに完成されていた。海に引きずりこまれる少年、血しぶきをあげて食い殺される女性。『ジュラシック・パーク』(1993年)では恐竜が人間を頭から呑み込み、『プライベート・ライアン』(1998年)では兵士たちの肉体がバラバラに飛散し、『宇宙戦争』(2005年)ではトライポッドの光線が人間を蒸発させる。

スピルバーグは〈殺すこと〉を描くとき、驚くほど快楽的である。その描写は悲劇ではなく、ほとんど“遊戯”に近い。にもかかわらず、宣伝的には“ファミリー映画の巨匠”というブランドで包まれる。

結果、いたいけな子どもたちが映画館で、ナチスの顔面がアークの呪いによってドロドロに溶けていく光景を目撃することになる(←僕のことです)。

顔が破裂し、肉が焼け落ちる――クローネンバーグの『スキャナーズ』(1981年)顔負けの残酷描写。スピルバーグはそのシーンを“正義の報い”として描くが、実際には“監督の嗜虐”として機能している。

軽やかな死──スピルバーグ映画における倫理の不在

『レイダース』を象徴するもう一つの場面に、剣士が大刀を振り回す直前、インディが拳銃で一撃に仕留めてしまうカットがある。観客は予想外の展開に笑い、劇場は沸く。

しかし、そこで殺される男は実際に“死んでいる”。つまりスピルバーグの映画では、死がユーモアとして機能する。死体は悲劇ではなくギャグの一部として編集されてしまう。スリルと笑いが地続きになり、倫理の重みが極限まで軽量化されるのだ。

この“死の軽さ”は、後の『シンドラーのリスト』(1993年)にも引き継がれている。ユダヤ人が虐殺される悲劇を描きながら、そこに重苦しい停滞はない。カメラは冷徹に、そして美しく死を配置していく。

スピルバーグにとって“死”とは悲しむ対象ではなく、演出上のエネルギー変換装置にすぎない。彼の作品では、死が笑いに、恐怖が快感に、悲劇がスペクタクルに変わる。観客はその変換過程を楽しむことを許されている。

だからこそ『レイダース』は、観客の無意識に潜む残酷性をくすぐるのだ。

アークの呪い──神の怒りと監督の欲望

聖櫃(アーク)の蓋が開き、ナチスの兵士たちが神の怒りによって焼き尽くされるラストシーンは、宗教的な寓話としてよりも、監督の“破壊衝動のカタルシス”として読むべきだろう。

スピルバーグは神の怒りを借りて、観客に“視覚的処刑”を見せる。彼にとって神とは、演出者としての自分自身の比喩にほかならない。

アークはスクリーン、ナチスは観客、そして光線は映写機の光。映像が命を奪い、快感を与える。映画とは常に残酷な装置であり、観客はその犠牲者であると同時に加害者でもある。スピルバーグの作品はその構造を誰よりも自覚的に利用している。

だからこそ『レイダース』の終幕は、“神の正義”というより、“監督の嗜虐”の儀式として機能する。

冒険と残酷──スピルバーグという分裂体

『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』は、娯楽映画としての完成度において確かに奇跡的なバランスを保っている。だが、その下層では常に“人間嫌いの美学”が蠢いている。

スピルバーグは観客を愛しながら、同時に信じていない。彼のカメラは、興奮を与えつつ、人間の愚かさを突きつける。冒険は自由の物語ではなく、暴力の免罪装置である。インディ・ジョーンズが遺跡を荒らし、聖なるものを奪う行為は、まさに映画産業そのもののメタファーでもある。

スピルバーグは〈冒険〉の皮をかぶった〈搾取〉を描きながら、観客を熱狂させる。つまり彼自身が、最も巧妙な“聖櫃の守護者”なのだ。

冒険と残酷、正義と快楽。その二つの衝動の間にスピルバーグという作家が存在する。彼は“光”の監督ではなく、“光の暴力”を操る監督である。だからこそ『レイダース』はいま見ても、ただのアドベンチャーではない。

そこには、人間の欲望と残酷の構造を笑いながら暴く、スピルバーグという恐るべき映像の神がいるのだ。

DATA
  • 原題/Raiders of the Lost Ark
  • 製作年/1981年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/115分
  • ジャンル/アドベンチャー
STAFF
  • 監督/スティーヴン・スピルバーグ
  • 脚本/ローレンス・カスダン
  • 製作/フランク・マーシャル
  • 製作総指揮/ジョージ・ルーカス、ハワード・G・カザンジャン
  • 原作/ジョージ・ルーカス、フィリップ・カウフマン
  • 撮影/ダグラス・スローカム
  • 音楽/ジョン・ウィリアムズ
  • 編集/マイケル・カーン
  • 美術/ノーマン・レイノルズ
CAST
  • ハリソン・フォード
  • カレン・アレン
  • ジョン・リス=デイヴィス
  • デンホルム・エリオット
  • ポール・フリーマン
  • アルフレッド・モリーナ
  • アンソニー・ヒギンズ
  • ロナルド・レイシー
  • ウォルフ・カーラー
FILMOGRAPHY