『スニーカーズ』──情報と笑いの狭間で迷走する民主主義の影
『スニーカーズ』(原題:Sneakers/1992年)は、民間のセキュリティ集団が国家安全保障局(NSA)から暗号チップの奪取を依頼されることから始まるスパイサスペンス。ロバート・レッドフォード、シドニー・ポワチエ、ダン・エイクロイド、リバー・フェニックスらが演じるメンバーは、情報社会の最前線で“見えない敵”と対峙していく。やがて彼らは、かつての仲間コズモ(ベン・キングズレー)が巨大な情報操作を企む陰謀に巻き込まれていることを知る。冷戦終結後のアメリカを背景に、権力と倫理の狭間で揺れる男たちの選択が描かれる。
冷戦後の陽だまり──“危機なきスパイ映画”の誕生
ロバート・レッドフォードが主演し、シドニー・ポワチエ、デイヴィッド・ストラザーン、ダン・エイクロイド、リバー・フェニックス、ベン・キングズレーといった名優が顔を揃えた『スニーカーズ』(1992年)は、まさに“オールスター体制”の娯楽大作だった。
監督は『フィールド・オブ・ドリームス』でアメリカン・ドリームを詩的に描いたフィル・アルデン・ロビンソン。前作の“希望の農場”を“情報の戦場”に置き換えたかのような本作は、民間のセキュリティ集団〈スニーカーズ〉がNSA(国家安全保障局)からの依頼を受け、謎の暗号チップを奪取するという筋立てで始まる。
しかし、このサスペンスの枠組みは意外なほど緩やかで、冷戦構造が崩壊した直後の時代の空気をまるごと封じ込めたような“牧歌的スリラー”となっている。
もはや敵は国家でもイデオロギーでもない。情報こそが権力の新たな通貨となり、その所有者こそが世界を支配する──そうした命題を掲げながらも、映画はどこか陽だまりの中での会話劇に終始する。
銃撃も爆破もない、かわりにユーモアと軽口が画面を満たしていく。ロビンソンはスリラーの骨格を借りながら、社会派寓話としての可能性を探っているのだが、その温度差こそが作品の奇妙な魅力でもあり、同時に最大の弱点でもある。
情報社会の寓話──コードと笑いのズレ
ベン・キングズレーが演じるコズモは、情報犯罪の裏側に潜む理想主義者として造形されるが、彼の属する組織も目的も曖昧なままだ。脚本は『ウォー・ゲーム』(1983年)のローレンス・ラスカーとウォルター・F・パークスによるもの。
あの作品が、核防衛システムの脆弱性を通してコンピュータ社会の危険性を鮮やかに暴いたのに対し、『スニーカーズ』は、もはや「危機」を演じる時代を失っていた。
冷戦の終結とともに“明確な敵”が消え、情報そのものが新たなスリラーの主役となる。だが、皮肉にもそのテーマを真正面から描くことを恐れたかのように、本作は笑いと軽妙さに逃避する。
NSAの陰謀も、暗号解読チップも、政治的な重さよりも“ちょっとしたトリック”として処理され、観客はスリルではなくウィットの応酬に身を委ねる。
マザー役のダン・エイクロイドの存在が象徴的だ。彼のコミカルなやり取りは確かに潤滑油として機能するが、同時に作品の重心を現実から遠ざけてしまう。
ロビンソンが描いたのは、“情報時代の喜劇”だったのか、それとも“喜劇に逃げ込んだ情報時代”だったのか。画面に流れる微笑は、どこか虚ろで、まるでシステムエラーの中で点滅するカーソルのように不安定だ。
理想の終焉──アメリカン・ユートピアの残響
「情報を制する者が世界を制す」という主題は、1980年代のスリラーであれば切実な現実感をもって響いたかもしれない。しかし1992年のアメリカでは、その言葉はすでに遅れていた。
レッドフォード演じる主人公の信念も、共和党=悪という単純な図式の上に立つイデオロギーの反射に過ぎず、どこかに時代の空白が漂う。
『フィールド・オブ・ドリームス』が信仰のような“アメリカの物語”を再構築した作品だとすれば、『スニーカーズ』はその信仰がほつれ始めた地点での寓話だ。
ロビンソンはなおも「正義の国」を信じたかったが、その信仰の根拠は情報と笑いの軽さに埋没していく。終盤、ジェームズ・アール・ジョーンズが登場するシーンでのユーモラスな交渉劇は、確かに心地よい。しかしその軽妙さは、もはや現実の重みを受け止める強度を持たない。
映像の明るさ、台詞のテンポ、そして“危険なものを笑いに変える”アメリカ的楽天性──それらが一体となって、理想の終焉を静かに告げている。ロビンソンがここで描いたのは、“国家の夢が情報化した後の空洞”だったのだ。
映画が終わっても、私たちのスクリーンにはカーソルが点滅し続ける。問いはまだ入力されず、答えは表示されないまま。『スニーカーズ』は、その沈黙のインターフェイスとして記憶されるべき作品である。
- 原題/Sneakers
- 製作年/1992年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/122分
- 監督/フィル・アルデン・ロビンソン
- 製作/ウォルター・F・パークス、ローレンス・ラスカー
- 製作総指揮/リンズレイ・パーソンズ・ジュニア
- 脚本/フィル・アルデン・ロビンソン、ローレンス・ラスカー、ウォルター・F・パークス
- 撮影/ジョン・リンドレイ
- 音楽/ジェームズ・ホーナー
- 美術/パトリシア・フォン・ブランデンスタイン
- 編集/トム・ロルフ
- ロバート・レッドフォード
- シドニー・ポワチエ
- デイヴィッド・ストラザーン
- ダン・エイクロイド
- リヴァー・フェニックス
- メアリー・マクドネル
- ベン・キングズレー
- ジェームズ・アール・ジョーンズ
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