『シリアナ』──石油が燃やすのは、国家か、それとも人間か
『シリアナ』(原題:Syriana/2005年)は、元CIA工作員ロバート・ベアの告発本『See No Evil』を基にした政治サスペンス。中東産油国の王子がアメリカの石油企業から中国企業へ掘削権を移そうとしたことを発端に、米国政府、CIA、企業弁護士、そして労働者たちの思惑が複雑に絡み合う。監督は『トラフィック』脚本のスティーヴン・ギャガン。ジョージ・クルーニーが実在事件を背景に、資源と権力の闇を体現する。
石油という神──見えざる手が世界を回す
森達也がその著書『すべての戦争は自衛から始まる』で喝破したように、21世紀以降の戦争は資源や領土ではなく「安全保障の幻想」をめぐるものだ。
その理屈を映像化した映画がスティーヴン・ギャガンの『シリアナ』である。国家が唱える“自衛”が、実のところ他者への暴力を正当化する言葉に過ぎないことを、この映画は構造的に示している。
石油、諜報、宗教、企業、労働者──それぞれの立場の人物が同時進行で描かれ、世界がいかに複雑な利害の糸で絡み合っているかを可視化する。
だがこの映画は、単に中東の不条理を描いた政治劇ではない。そこにあるのは、グローバル資本主義の中で「倫理」という言葉がどれほど空洞化したかという冷酷なレポートである。
映画の中で石油はもはや資源ではなく、信仰の対象に近い。中東の王族ナシール王子は、アメリカからの自立を目指して中国企業に採掘権を譲渡しようとするが、その瞬間に〈帝国の怒り〉が発動する。
ジョージ・クルーニー演じるCIA工作員バーンズは、国家の名のもとに殺人を命じられ、裏切られ、切り捨てられる。彼が追うのはテロリストではなく、透明な権力そのものだ。
ギャガンはここで〈見えない敵〉の不気味さを描く。敵は国家ではなく、グローバル市場の構造。石油は血液のように世界を循環し、国境を超えて暴力を生む。その循環のなかで人間はただの細胞に過ぎない。
映画のタイトル「シリアナ」が指すのは、イラン・イラク・シリアを再構築するという虚構の地政学。つまり、アメリカの夢想する「再設計可能な中東」である。そこに住む人々の痛みは、設計図の余白に追いやられる。
倫理の喪失──救済なきリベラリズムの終焉
『シリアナ』の最大の特徴は、物語を分断しながら同時進行させる編集構造にある。ギャガンは『トラフィック』で確立された多層的モンタージュをさらに複雑化し、各エピソードを色彩・レンズ・距離感で区別することを拒む。
望遠レンズによる圧縮された画面は、情報過多の現代社会そのものを象徴している。観客は常に「理解の遅延」を強いられ、意味を追いかけることを諦めざるを得ない。
ギャガンが描く世界は、説明不能なまま進行する。まさにそれこそが現代のリアリズムなのだ。情報が溢れるほど現実は見えなくなり、真実は断片としてしか現れない。
『シリアナ』は語りの不親切さを欠点ではなく、意図的な構造として設計している。理解不能性こそが、この時代の「現実の正確な翻訳」だからである。
本作には善人がいない。CIAも企業弁護士も王族も、皆が正義を語りながら他者を犠牲にする。ギャガンはリベラル派映画人たちの自己欺瞞さえも批判の射程に入れる。
ジョージ・クルーニーの疲れ切った眼差しは、アメリカのリベラリズムがもはや機能していないことを象徴している。暴力は外部から来るのではない。私たちの内部、日常の便利さ、経済の繁栄、その中に巣食っている。
森達也が語る「過剰なセキュリティ意識のための戦争」とは、まさにこの構造を指す。世界を守るための監視が、世界を破壊する。ギャガンはその倒錯を冷徹に描き出す。
映画の終盤、無人機による爆撃が夜空を裂く瞬間、画面は静寂に包まれる。その沈黙は、倫理が死んだ後の世界の静けさだ。
報道と映画の境界線──「理解不能」という誠実さ
『シリアナ』はエンターテインメントとしては破綻している。情報の奔流に観客が溺れ、物語の糸を掴むことは困難だ。だがその破綻こそ、現代の政治を描くうえでの唯一の誠実さなのだ。
物語を分かりやすく整理することは、暴力の構造を単純化することと同義である。ギャガンは敢えて混乱の中に観客を放り込み、現実を「理解不能なまま見る」ことを強いる。
そこにはドキュメンタリー的誠実さが宿る。森達也の映画が〈見ることの倫理〉を問うように、『シリアナ』もまた〈理解しようとすることの傲慢〉を告発している。わからなさの中で立ち止まり、沈黙の意味を噛みしめるとき、ようやくこの映画は終わる。
- 原題/Syriana
- 製作年/2005年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/128分
- 監督/スティーヴン・ギャガン
- 製作/ジェニファー・フォックス、ジョージア・カカンデス、マイケル・ノジック
- 製作総指揮/ジョージ・クルーニー、ベン・コスグローヴ、ジェフ・スコール、スティーヴン・ソダーバーグ
- 原作/ロバート・ベア
- 脚本/スティーヴン・ギャガン
- 撮影/ロバート・エルスウィット
- 衣装/ルイーズ・フログリー
- 編集/ティム・スクワイアズ
- 音楽/アレクサンドル・デスプラ
- ジョージ・クルーニー
- マット・デイモン
- アマンダ・ピート
- クリス・クーパー
- ジェフリー・ライト
- クリストファー・プラマー
- ウィリアム・ハート
- マザール・ムニール
- ティム・ブレイク・ネルソン
- アレクサンダー・シディグ
- マックス・ミンゲラ
- ジェイミー・シェリダン
- ウィリアム・C・ミッチェル
- アクバール・クルサ
- シャヒド・アハメド
- ソネル・ダドラル
![シリアナ/スティーヴン・ギャガン[DVD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/51P0ZSCJFQL._AC_UL640_FMwebp_QL65_-e1762658434504.webp)