『華氏911』──政治が映画を利用したのか、映画が政治を利用したのか
『華氏911』(原題:Fahrenheit 9/11/2004年)は、アメリカの映画作家マイケル・ムーアがジョージ・W・ブッシュ政権を題材に製作した政治ドキュメンタリーである。2001年の同時多発テロ以降、イラク戦争へ突き進む米国の政策決定過程を追いながら、ムーアは軍事産業と政府の結びつき、メディア報道の偏向、そして国民の分断を記録する。ブッシュ再選を控えた選挙の年、彼は街頭で庶民の声を拾い、戦争の影がもたらす恐怖と混乱を映し出した。
正義という名の演出──ブッシュを撃つムーアのカメラ
悪を糾弾する者は、本当に正義なのか。
マイケル・ムーアは、世界最高権力者ジョージ・W・ブッシュを向こうに回し、ビデオカメラ一本で戦いを挑む。白人の庶民を煽動し、街頭で叫ぶ──「Dude, Where’s My Country?」と。
彼の姿は風車に突撃するドン・キホーテそのもの。だがそのヒロイズムはどこか演出めいていて、正義がどの瞬間から“ショー”に変わったのか、観客はいつの間にか見失ってしまう。
『華氏911』(2004年)は、ブッシュ政権を痛烈に批判する映像作品として製作された。しかし、それは政治的使命と映画的意識が完全に融合するどころか、互いを侵食し合った結果でもある。
ムーアはこの映画を〈大統領選のためのプロパガンダ〉として位置づけ、アカデミー賞を辞退してでもテレビ放映を優先させた。つまり、彼のカメラは“記録”よりも“即効性”を選んだのだ。映画が選挙活動の道具になる瞬間、映像はドキュメンタリーではなく〈政治的パフォーマンス〉へと転化する。
胸のすくような勇気と、同時に言いようのない違和感。その両方が、この作品を貫いている。ムーアの「糾弾」は正義の声のように響くが、その声がいつの間にか観客を思考停止させる“演出”になっていることに、彼自身が気づいていない。
ドキュメンタリーの倫理と破綻
ムーアの語り口は明快だ。言葉は鋭く、ユーモアは痛烈。しかし、その明快さこそが映画を貧しくしている。森達也が『A』や『A2』で見せた逡巡のリアリズム――〈撮る者が何を信じ、どこで揺らぐか〉という倫理的苦悩――が、ムーアには欠けている。
彼の作品は“怒りの映画”として消費されるが、その怒りが向かう矛先はあまりに単純だ。敵=ブッシュ、味方=人民、という二項対立の構図。だが現実の世界はそれほど単純ではない。
ムーアはブッシュの再選を阻止することを目的としながら、対抗馬ジョン・ケリーには投票しないと公言した。論理の破綻はそのまま映画の構造的欠陥になっている。プロパガンダにもなりきれず、ドキュメンタリーとしての懐の深さも持たない。その狭間で、彼のカメラは漂う。
ドキュメンタリーとは、真実を“断定する”のではなく、真実の“揺らぎを提示する”メディアだ。だがムーアは揺らぐことを拒んだ。編集は攻撃的に加速し、ナレーションは断定的に響く。観客は思考するよりも、ムーアの怒りに同化するよう仕向けられる。
それは一種の“ジャーナリスティック・テロリズム”だ。正義の言葉が暴力に変わる瞬間を、ムーアは無自覚のまま体現してしまっている。
ゴダール的視点からの逆照射
ジャン=リュック・ゴダールはムーアをこう評したという。
「ムーアはイメージとテクストを混同している。彼は意識していなくても、ある意味でブッシュを助けている。ブッシュは彼が思っているほど馬鹿ではない」。
この批評は、単なる嫌味ではない。ムーアの映画は“テクスト”としては明確すぎ、“イメージ”としては浅い。映像が自立する前に、言葉が意味を固定してしまう。
観客が映像から何かを読み取る前に、ムーアが答えを提示してしまう。ゴダールが警告したのは、まさにこの“映像の暴走”ではなく“言葉の独裁”である。
『華氏911』は、記録ではなく指示書だ。観客は考えることを奪われ、“信じること”を強いられる。ムーアのカメラが追うのは現実ではなく、自らの正義の影。だからこそ、この映画は〈正義の映画〉であると同時に、〈正義という幻想のドキュメンタリー〉でもある。
森達也がカメラを「揺らぐ倫理」として使ったのに対し、ムーアのカメラは「確信の兵器」と化した。どちらが世界を変えるかは明白だ。世界を変えるのは怒号ではなく、沈黙の凝視である。
『華氏911』の有効期限は、公開当時から決まっていた。大統領選の行方が決まるその日、ムーアの映画は政治的使命を終え、ただの映像の塊に還る。怒りの熱量が冷めたとき、そこに残るのは、断定と主張だけでできた空洞だ。
映画を政治から切り離すことはできない。だが政治を映画の目的にしてしまえば、それはもはや映画ではない。ムーアがスクリーンで暴いたのはブッシュの欺瞞ではなく、自らの信仰の脆さだった。
正義を信じすぎた者は、いつか正義に裏切られる。それでも彼がカメラを構え続けるのは、世界を変えたいからではなく、自らの確信を再確認するためだろう。
『華氏911』は、真実を映す映画ではない。むしろ、〈真実という信仰〉を映した映画である。
- 原題/Fahrenheit 9/11
- 製作年/2004年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/122分
- 監督/マイケル・ムーア
- 脚本/マイケル・ムーア
- 製作/マイケル・ムーア、ジェフ・ギブス
- 音楽/ジェフ・ギブス
- マイケル・ムーア
- ジョージ・W・ブッシュ
- ドナルド・ラムズフェルド
- ディック・チェイニー
