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ノスタルジア/アンドレイ・タルコフスキー

『ノスタルジア』──郷愁と祈りが交錯するタルコフスキーの映像詩

『ノスタルジア』(原題:Nostalghia/1983年)は、アンドレイ・タルコフスキーが亡命先のイタリアで撮った映像詩。祖国への郷愁と宗教的救済を重ね、光・水・時間の流れが観る者の内面を呼び覚ます。論理を超えた“体験としての映画”がもたらす霊的な静寂を描く。

制作背景とタルコフスキーの意図

渋谷のイメージフォーラムで『ノスタルジア』(1983年)を観た。いつものタルコフスキー映画と同様に、ワンカットが長く、ストーリーは緩慢で、セリフも極端に少ない。

だから、ついつい眠気が襲ってくる。1800円がもったいないと思いつつも、スヤスヤと瞼を閉じてしまう自分を止められない。だが、この眠気こそがタルコフスキー体験の核心なのかもしれない(そう思いたい)。

『ノスタルジア』は、タルコフスキーがソ連の制約ある環境下から離れ、イタリアで制作した作品である。彼は母国の文化や個人的記憶への郷愁、そして西洋文明との接点を描くことを意図した。

その制作過程で、タルコフスキーは映画を単なる物語の伝達手段ではなく、観る者の精神に直接働きかける「精神的な装置」として捉えた。彼の映像は、個人的なノスタルジーと普遍的な存在感覚の融合を目指していたのである。

彼の映画は、従来の映画理論では測れない独自の宇宙を持つ。スクリーンに映る水の揺らぎ、光と影のコントラスト、風景や自然音は、観る者の内的記憶や原初の感覚を呼び覚ます。映画を「観る」のではなく、時間と空間の流れの中で「体験する」ことになるのだ。

論理を超えた体験装置としての映画

では、その「体験」はどのように生成されるのか。具体的にみていこう。

映像の触媒性:映画のスクリーンは、物語を伝えるための媒体ではなく、観る者の内的記憶や感情を呼び覚ます装置として機能する。タルコフスキーの水の描写や自然光の扱いは、脳内に静かにエコーし、観る者一人ひとりの「映画」を覚醒させる。

時間の解放:ワンカットが極端に長く、従来のモンタージュ的時間操作を放棄した映像は、自然音とともに悠久の時間を刻む。雨の音、犬の遠吠え、雷鳴──それらは映画の時間ではなく、宇宙の時間として観る者に体感される。

自然と内面の共鳴:光、影、水、風景といった自然描写は、観る者の原初的な感覚や郷愁に直接作用する。これにより、映画は単なる視覚体験を超え、精神的な深みを伴う「体験」となる。

数学的秩序を超えた宇宙観:『ノスタルジア』の世界では、論理や計算による秩序は存在せず、万物が溶け合い共鳴する。観る者は、「1+1=2」の論理的世界を離れ、「1+1=1」のような無限の方程式的宇宙を感覚する。

極端に美しい映像詩:色彩はフラスコ絵画のように芳醇で、光と影のコントラストは清冽な輝きを放つ。地平線の向こうまで見渡せるかのような風景は、ただ圧倒的な美の前に感嘆するしかない体験をもたらす。

眠気と感嘆が同居する体験

おそらくタルコフスキーは、映画ではなく、記憶そのものを創ろうとしている。彼自身の過去、祖国の文化、宗教的象徴を映像に投影することで、観る者の内面に個人的な時間や場所を呼び起こさせる。

ワンカットの長さや自然音による時間の流れ、そして象徴的なイメージは、論理的秩序を超えた宇宙体験を可能にする──「1+1=1」の世界である。観る者は自然と内面の共鳴を体感し、郷愁や瞑想的な感覚に包まれる。

色彩はフラスコ絵画のように芳醇で、ひとつひとつの光の粒が深い臨場感をたたえてスクリーンに現れる。地平線の向こうまで見渡せる風景の前で、ただ圧倒され、ため息をつくしかない。美しさは、眠気すらも忘れさせる力を持つ。

結局のところ、タルコフスキーの映画は「論理で追う」ものではなく、「時間と感覚に浸る」体験である。眠くなるのも、感嘆のため息をもらすのも、同じく必然の反応だ。1800円は無駄ではなく、静かに、しかし深く魂に刻まれる「体験料」として払われるのである。

筆者はそんな確信を抱いて、またタルコフスキーのリバイバル上映にノコノコ出かけていき、やっぱり瞼を閉じてしまうのだ。

DATA
  • 原題/Nostalghia
  • 製作年/1983年
  • 製作国/ソ連、イタリア
  • 上映時間/126分
STAFF
  • 監督/アンドレイ・タルコフスキー
  • 製作総指揮/レンツォ・ロッセリーニ、マノロ・ボロニーニ
  • 脚本/アンドレイ・タルコフスキー、トニーノ・グエッラ
  • 撮影/ジュゼッペ・ランチ
  • 音楽/L・V・ベートーヴェン、ジュゼッペ・ヴェルディ
  • 美術/アンドレア・クリザンティ
CAST
  • オレーグ・ヤンコフスキー
  • エルランド・ヨセフソン
  • ドミツィアーナ・ジョルダーノ
  • パトリツィア・テレーノ
  • ラウラ・デ・マルキ
  • デリア・ボッカルド