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叫/黒沢清

『叫』──忘れられた存在が都市を覆う、黒沢清のホラー的黙示録

『叫』(2006年)は、東京湾岸地区で発見された女性の遺体をめぐる連続事件を描く。刑事・黒田は赤いドレスの幽霊に導かれ、過去の孤独死事件との関連を追う。忘れ去られた者の復讐が、都市全体を覆う恐怖へと変わっていく。

都市に潜む亡霊性――押井守との比較

押井守はインタビューで「東京の埋め立て地に行ったとき、これはもう吹っ飛ばすしかないと思った」と語っている。

記憶にある風景が消滅し、代わりに見知らぬ風景が立ち上がる。その喪失感と憎悪が『機動警察パトレイバー the Movie』(1989年)の「忘れ去られた東京の風景の復讐」というモチーフへと結晶し、続編『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993年)では武装ヘリが首都を爆撃するという、首都消滅のイメージにまで到達する。

黒沢清もまた同世代の作家として、東京という都市が孕む「忘却の問題」に敏感だ。しかし押井がシステムや国家というマクロなレベルでそれを語るのに対し、黒沢はもっと個人的でミクロなレベルに引き寄せる。

彼が描くのは、都市の片隅で孤独死し、誰にも顧みられずに忘れ去られる人間たち。『叫』(2006年)はまさに「忘れ去られた存在の復讐」というテーマを、ホラー映画として極限まで昇華した作品といえる。

幽霊=忘却の復讐装置

『叫』の発端は、湾岸地区の精神病棟で孤独死した女性。彼女は社会から完全に忘れ去られ、やがて憎悪を抱いた幽霊となって甦り、人間たちに報復を仕掛ける。

押井の都市論と同じ構造がここにある。「忘れ去られたものが、忘れるものに鉄槌を下す」。しかし黒沢の手つきは押井とは異なり、テキストや寓意のレベルで説明するのではなく、“恐怖”という皮膚感覚を通して観客の身体に直接浸透させる。

『機動警察パトレイバー2 the Movie』での首都爆撃は観念的な寓意に留まるが、『叫』の幽霊は観客の感覚に直接突き刺さる。そこに黒沢清のホラー映画作家としての特質がある。

バブル崩壊後、東京の湾岸地区は大規模再開発が進む一方で、取り残された建物や工場は廃墟と化した。そこには、匿名的な空間が広がっていたのである。

同時に、孤独死や社会的排除の問題も深刻化し、人間そのものが「忘れられる存在」となりつつあった。葉月里緒奈というキャスティングも含め、黒沢清は社会の空気をホラーという形式に変換している。

幽霊役に起用された葉月里緒奈は、90年代に人気を博した女優だが、2000年代には露出が減り、芸能界で“忘れられた存在”に近づいていた。そんな彼女が赤いドレスに身を包み、無表情のままスクリーンに現れる。

幽霊が「忘れられることの恐怖」を体現していることを考えれば、このキャスティング自体が作品の主題を肉体的に裏打ちする。観客はスクリーンの幽霊と、かつての人気を失った女優本人のイメージを二重写しにしながら、否応なく「忘却」という問題に直面させられるのだ。

アクロバティックな幽霊像――Jホラーとの断絶

『叫』の幽霊像は、1990年代に世界を席巻したJホラーの幽霊表象とは一線を画す。中田秀夫『リング』(1998年)の貞子は、テレビから這い出し、ぎこちない動作と静的な佇まいで観客に恐怖を与えた。呪怨シリーズの伽椰子もまた、階段をゆっくり這い降りるなど、身体の不自然な静止・制御不能な動作を通じて不気味さを演出した。

これに対して『叫』の幽霊は圧倒的に動的だ。高速で移動し、建物から飛び降り、さらにはサイヤ人さながらに空を飛ぶ。幽霊が空を舞うという描写は荒唐無稽に思えるが、「忘却された存在が復讐のために都市全体を覆い尽くす」という本作の主題を考えれば必然的でもある。

黒沢はここで「静的な恐怖」から「動的な恐怖」への転換を試みている。幽霊が空間を制圧し、観客を追い詰める。そこに従来のJホラーとの決定的な断絶がある。

日本映画における幽霊の表象は、系譜的に見ても興味深い。戦後ホラーの巨匠・中川信夫『東海道四谷怪談』(1959年)の幽霊は、歌舞伎的な伝統を継承しつつも、スクリーンの中で幽玄かつ静的な恐怖を具現化していた。80年代以降、ビデオ世代の到来とともに、幽霊はテレビや家庭という空間に侵入し、『リング』に代表される「静止した恐怖」として定着する。

黒沢清は、その流れを意識的に撥ね退ける。『叫』の幽霊は、動的に動き回り、飛翔し、空間を席巻する。その姿は、伝統的な幽霊像を逸脱し、映像的なダイナミズムへと振り切られている。ここに黒沢清のホラー映画としての革新性がある。

もっとも印象的なシーンは、色を失ったかのように灰色の空を背景に、赤いドレスを纏った幽霊が飛び去っていく場面だ。灰色=忘却、赤=復讐。この強烈なコントラストは、観客の網膜に焼き付く。

黒沢が好んで使ってきたブルーグレイのトーンに突如現れる鮮烈な赤。あたかもこの一瞬のために映画全体が存在しているかのようである。ここに「映画はまず映像である」という黒沢の信念が集約されている。

『叫』には、他にも強烈な映像的愉悦が散りばめられている。

・中村育二がビル屋上から飛び降りるシーンをワンカットで捉える
・フェリーから廃墟を眺めるショットに漂う静謐さ
・役所広司を抱いた小西真奈美が観客に視線を投げかける瞬間

これらは物語に従属するのではなく、映像そのものの快楽を観客に与える。黒沢映画の本質が「映像の強度」にあることを改めて示している。

黒沢フィルモグラフィーにおける位置づけ

『叫』は黒沢清のホラー映画の一つの頂点に位置づけられる。

『回路』(2001年):インターネット時代における孤独と死
『ドッペルゲンガー』(2003年):抑圧された自己の具現化
『叫』(2006年):忘れ去られる存在の復讐

この三部作的連関を通して、「孤独」「自己」「忘却」というテーマが段階的に深化していく。『叫』はその帰結として、もっともホラー映画的に結晶した作品だ。

『叫』は、押井守と同じく「忘れ去られる都市」という問題意識を共有しつつ、それをホラーとして昇華することで、より身体的かつ感覚的な映画体験へと変換した。

幽霊のアクロバティックな動き、灰色の空と赤いドレスの対比、ワンカットの墜落、観客への視線。どれもが映像そのものの強度に満ちている。

映画は主題をテキストで説明するのではなく、映像の力で観客と戯れ、身体に刻印するものである。『叫』はその信念を最も鮮烈に提示した作品であり、「忘却の時代」に対する黒沢清の批評的回答なのだ。

DATA
  • 製作年/2007年
  • 製作国/日本
  • 上映時間/104分
STAFF
  • 監督/黒沢清
  • 脚本/黒沢清
  • エグゼクティブ・プロデューサー/濱名一哉、小谷靖、千葉龍平
  • プロデューサー/一瀬隆重
  • アソシエイト・プロデューサー/東信弘、木藤幸江、剱持嘉一
  • 撮影/芦澤明子
  • 照明/市川徳充
  • 録音/小松将人
  • 美術/安宅紀史
  • 装飾/須坂文昭
  • 音楽プロデューサー/慶田次徳
  • 編集/高橋信之
  • 音楽/配島邦明
CAST
  • 役所広司
  • 小西真奈美
  • 葉月里緒奈
  • 伊原剛志
  • オダギリジョー
  • 加瀬亮
  • 平山広行
  • 奥貫薫
  • 野村宏伸
  • 中村育二