『async』──近代的な音楽システムから遠く離れた、アブストラクトで非同期な“音”
坂本龍一の遺作的アルバム『async』(2017年)は、雨や足音の環境音とピアノが溶け合う非同期の音楽世界。タルコフスキー映画との交差、死と記憶を刻むサウンドスケープを徹底解説する。
近代的音楽システムから離脱する“非同期”の理念
「あまりに好きすぎて、誰にも聴かせたくない」。
坂本龍一がそう語ったのは、2009年の『Out Of Noise』以来、実に8年ぶりとなるオリジナル・アルバム『async』(2017年)についてだ。このアルバムは、宣伝的な前振りをほとんど欠いたまま、静かに世に出た。
“async”とは耳慣れない言葉だが、これは“asynchronization”の省略形で、非同期のこと。確かにこのアルバムには、規則的なコード進行、規則的なリズム…つまり、近代的な音楽のシステムからは遠く離れた、アブストラクトな音がコンパイルされている。
同期するのは人間も含めた自然の本能だと思うのですが、今回はあえてそこに逆らう非同期的な音楽を作りたいと思いました。
(GQ JAPANインタビュー記事より抜粋)
それは、自然界に存在する環境音を、あるがままにサウンドとして取り込むことを意味している。これまでになくフィールド・レコーディングに意識的な作品になったのは、その証左だ。
それは、和声と拍節を柱とする「近代的音楽の規範から意識的に距離を取る宣言」であり、響くのは規則性から解き放たれた抽象的な音の断片群。坂本の関心は、秩序の破壊ではなく、秩序の背後で微かに呼吸する「自然そのものの音律」への接近にある。
自然音と朗読の配置――音/言葉/人工の境界を溶かす
雨の滴り、足音の反響、デヴィッド・シルヴィアンやポール・ボウルズの朗読。『async』は多様な音のマテリアルを精緻に編み込み、音楽と雑音、音と言葉、人工と非人工の線引きを意図的に曖昧化する。これらは挿し絵的な効果音ではない。音が音へ、声が物質へ、環境が楽器へと越境する“場”を形成するための、構造そのものだ。
転回点は、坂本が音楽を務めた『レヴェナント: 蘇えりし者』(2015年)にある。制作過程で要請された「自然と音の融合」「音と音楽のレイヤー」という課題に対し、坂本は環境音と楽器音を同一平面で扱う方法を徹底的に試行した。
『レヴェナント』で、監督から自然と音の癒合、音と音楽のレイヤーという注文を受けたので、いろいろ試行錯誤したことが役立っています。
(OTOTOYインタビュー記事より抜粋)
その経験は『async』へと受け継がれ、音の配置は聴覚的コラージュを超えた“生態系”の設計にまで拡張される。
くぐもったピアノ――輪郭を曖昧化することで生まれる調和
『レヴェナント』のサウンドトラックと『async』を聴き比べると、ピアノの音色は決してクリアではない。どこか霞み、ガラス一枚を隔てたようなくぐもりを纏う。
その曖昧な輪郭ゆえに、ピアノは環境音へと滑り込み、双方は互いを侵食し合いながら有機的に混じり合う。透明性を敢えて退けることが、自然音との調和を可能にしている。 ここにはジョン・ケージの偶然性の音楽、武満徹の「音の粒/間(ま)」、シュトックハウゼンの電子音実験が交差する。
だが『async』は全面的に偶然に委ねることはない。環境音や朗読は緻密に配置され、作為を脱臭しつつも構成感を失わない。20世紀前衛の遺産が、レクイエム的な切実さを帯びて“現在”に帰還している。
タルコフスキー的時間――「聴く映画」としての音の彫刻
アルバム全体を貫くのはタルコフスキー的な時間感覚だ。映像がなくとも、音は聴き手の内面に“層”として堆積し、物語ではなく持続そのものを体験させる。
僕はこのアルバムを聴きながら、鉛色の雲に覆われた冬枯れの景色を思い浮かべたのだが、そもそもライナーノーツには、『async』のコンセプトが「架空のタルコフスキー映画のサウンドトラック」であると記されている。
確かにM-3『solari』は『惑星ソラリス』(1972年)から着想を得ているのだろうし、M-11『Life, Life』で読み上げられるのは、タルコフスキーの父アルセニーの詩集からの一節だ。だがそれ以上にこのアルバムには、アンドレイ・タルコフスキー的な映像を喚起させる、サウンドスケープとしての力がある。
ここで音楽は旋律と調和の芸術を越え、時間を彫刻する装置へと変貌する。断片が重なり、離れ、また重なるたびに、無言の映像が脳裏に立ち上がる。 非同期は単なる時間的ズレではない。楽器/自然、秩序/雑音という近代的二分法を解体し、音を「世界の現れ」として開示する身振りである。
そして聴取は耳に閉じない。足音のリズムは皮膚に滲み、低音の振動は胸腔に響き、朗読は意味を超えて身体に刻まれる。音楽は“聴くもの”から“浴びる出来事”へと転位する。
死と記憶――レクイエムとしての『async』
闘病の只中で収集された環境音は、世界の残響として響き、くぐもったピアノは老いと身体性の記録となる。音は未来へ駆動するより、過去の微細な残り香を反復し漂わせる。ここでの時間は、死の影に照らされることで輪郭を得る。『async』は、消えゆくものへの祈りと、なお鳴り続ける世界への応答を併せ持つ。
「stakra」は宇宙的遠景を開き、「honji」は雅楽の音階と息の長い持続を通じて近代和声を外へ押し出す。表題曲「async」は不穏な反復で均衡を拒み、聴取の重心を揺さぶる。
各曲は固有の物質性を持ちながら、単独では閉じない。アルバムは寄木細工ではなく、互いを浸し合う流体として構成される。
キャリア史の弧――同期から非同期へ
YMOは同期の極致を象徴し、『Beauty』『NEO GEO』は多文化の往復運動を刻んだ『Out Of Noise』以降、坂本は静謐と環境へと傾斜し、『async』で非同期の極に達する。
かつて同期を極めた者が、その対極においてなお音楽を更新し得ること――この弧が作家の成熟のかたちである。 感傷を削ぎ落とした冷ややかな音の粒が、孤独な空間で交差し結び合い、ときに反発して新たな景を結ぶ。
誰にも聴かせたくないほど親密で、同時に普遍へ開かれた逆説を抱えつつ、『async』は近代音楽の規範を越えて「時間そのものを聴く」経験を提示する。
音と世界、身体と記憶、そのすべてが非同期の揺らぎの中で静かに共振している。
- アーティスト/坂本龍一
- 発売年/2017年
- レーベル/commmons
- andata
- disintegration
- solari
- ZURE
- waiker
- stakra
- ubi
- fullmoon
- async
- tri
- Life, Life
- honj
- ff
- garden


