『ロスト・ハイウェイ』(1997)
映画考察・解説・レビュー
『ロスト・ハイウェイ』(原題:Lost Highway/1997年)は、ジャズサックス奏者フレッド・マディソン(ビル・プルマン)と妻レネー(パトリシア・アークエット)の自宅に、差出人不明のビデオテープが届く不穏な序章から幕を開ける。テープには、二人の寝室内部が無断で撮影された映像が収められており、フレッドの周囲には“白塗りの顔で近づいてくる正体不明の男(ロバート・ブレイク)”が現れ、現実と悪夢の境界がゆっくりと揺らぎ始める。90年代デヴィッド・リンチ作品の象徴的一本。
カフカ的妄想からO・J・シンプソン事件へ
ギト・エル・ゴスム(我想う故に我あり)。
そう、我々は自分が自分であることを認識した時に、初めて己の存在を見い出す。しかし考えてみれば、これは実に曖昧かつ不明確な定義だ。自分が自分であることの絶対的証明はあり得ない。
アイデンティティーなんてものは、おっそろしく曖昧な確信の上に成り立っている。そう、『ロスト・ハイウェイ』(1997年)は、あらゆる事象はすべからく不明確であることを明確に描いた映画なのだ。
爆裂変態作『ワイルド・アット・ハート』(1990年)の原作者バリー・ギフォードが、小説『ナイト・ピープル』で“ロスト・ハイウェイ”というワードを用いる。それをデヴィッド・リンチがいたく気に入り、「朝起きたら、自分以外の別人になっていた」というカフカ的妄想が膨らんだことから、『ロスト・ハイウェイ』の構想は本格始動した。
さるインタビューによると、このアイディアはO・J・シンプソン事件から着想を得たらしい。リンチは楽しげにゴルフに興じるO・J・シンプソンをテレビで観て、「妻を殺した男が、なぜこんなに楽しそうに振舞っているのか?」と疑問に思い、O・J・シンプソンになりきって瞑想を始めたという。
そして「彼に愛する妻を殺せるはずがない。別人格を生み出して彼女を殺害し、その記憶を抹消したに違いない!」という異次元の結論に至ったそうな。ニュースからフィルムへ、現実から妄想へ、こんな飛躍をやってのけるのは、世界広しと言えどリンチだけだろう。
解釈不能のアッパラパー・ストーリー
物語は、サックスプレイヤーのフレッド(ビル・プルマン)が暮らす家のポストに、謎のビデオテープが投函されていたことから始まる。映っているのは、自宅の玄関前、自宅の居間、そして愛妻レネエ(パトリシア・アークウェット)の死体。
やがて妻殺しの罪で独房に入れられたフレッドだったが、いつの間にか彼はどこかに消え失せ、なぜか自動車修理工のピート(バルサザール・ゲティ)に佇んでいた。もうこれだけで解釈不能のアッパラパー・ストーリー!
送られてきたビデオの映像は、厳然たる「リアル」であるはず。しかし突然物語のチャンネルは切り替わり、「リアル」は非日常な「異界」に反転する。何が現実で、何が夢なのか?
ラカン的に言えば「現実界」「想像界」「象徴界」がせめぎ合い、リンチの悪夢は映画そのものを侵食し、観る者の脳内をも奪取していくのだ。
シンクロニシティの物語
不可知論者リンチは、一貫して「日常」と「非日常」の境界線を描いてきた。『ブルーベルベット』(1986年)や『ツイン・ピークス』(1990年〜)では、まだそのボーダーは明瞭だったのだが、『ロスト・ハイウェイ』では、境界は唐突に崩落する。観客は思考停止を余儀なくされ、解釈不能の迷路に放り込まれてしまう。
これは決して、精神分裂をきたしたフレッドが新たな人格を形成し、ドッペルゲンガーを生み出す物語ではない。主人公が合わせ鏡のように共存する二つの世界を行き来する、シンクロニシティ(共時性)の物語なのだ。『マルホランド・ドライブ』(2001年)の二重構造の先駆けとして、『ロスト・ハイウェイ』はリンチ的宇宙の分岐点に位置している。
インナーワールド炸裂、尻尾の先までリンチ印のこの映画を、キャスト&スタッフもがっちりサポート。主演を務めるビル・プルマンとパトリシア・アークウェットは一見リンチ系には場違いに思えたが、キッチリとビザールなオーラを照射。
特にパトリシアは豊満なボディーを惜しげもなくさらし、ダウナーなエロスを満開させている(意外に短足なのは御愛嬌!!)。
ロバート・ブレイク演じるミステリー・マンは、狂言廻しとして『ツイン・ピークス』の小人をも凌駕する怪演。「Call Me」とケータイを差し出すシーンには、小生興奮で背中がゾクゾクしっ放し。
音楽も抜かりなし。盟友アンジェロ・バダラメンティが紡ぐスコアは、『ツイン・ピークス』の浮遊感あるシンセから遠く離れ、オーケストレーションを駆使した現代音楽にアップデート。
そして音楽監修を務めたトレント・レズナー(Nine Inch Nails)が集結させたのは、マリリン・マンソン、ラムシュタイン、デヴィッド・ボウイら90年代暗黒カルチャーのドリームチームだ。まさに「映像と音楽が互いにトリック・アートを仕掛け合う」快楽装置である。
『ロスト・ハイウェイ』は、解釈の迷路を提示することそのものが目的の映画だ。観客は決して“真相”に辿り着けない。だが、それこそがデヴィッド・リンチの魔法であり、現実と夢、自己と他者の境界を撹乱する映像体験の醍醐味なのだ。
結論。つべこべ言わず、お前らもこの甘美なトリック・アートを目一杯浴びるべし!
- 原題/Lost Highway
- 製作年/1997年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/135分
- ジャンル/ミステリー
- 監督/デヴィッド・リンチ
- 脚本/デヴィッド・リンチ、バリー・ギフォード
- 製作/ディーパク・ギルフォード、トム・スターンバーグ、メアリー・スウィーニー
- 撮影/ピーター・デミング
- 音楽/アンジェロ・バダラメンティ
- 編集/メアリー・スウィーニー
- 美術/パトリシア・ノリス
- パトリシア・アークウェット
- バルサザール・ゲティ
- ロバート・ブレイク
- ロバート・ロジア
- ゲイリー・ビジー
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