『ミッシング』(1982)
映画考察・解説・レビュー
『ミッシング』(原題:Missing/1982年)は、コスタ・ガヴラス監督が1973年チリで起きた軍事クーデターを背景に、失踪したアメリカ人青年チャールズ・ホーマンの行方を追う家族の苦闘を描いた政治サスペンス。混乱するサンティアゴで、父エド(ジャック・レモン)と妻ベス(シシー・スペイセク)は政府の沈黙と矛盾に直面しながら、失われた真実へ手を伸ばしていく。国家の暴力が個人の人生を呑み込む中、二人の捜索はやがて信念と現実の狭間で揺れ動く。
政治の闇を照射するはずの物語が、家族叙情へと偏位する構図
『ミッシング』(1982年)は、1973年にチリ・サンティアゴで発生した軍事クーデターを背景にしながら、政治の暴力と国家の沈黙をめぐる物語を家族の眼差しで捉え直した作品だった。
サルバドール・アジェンデ率いる人民連合政権は、軍部とアメリカの利害が絡み合う圧力によって崩壊し、アウグスト・ピノチェトが主導するクーデターによって一夜でその構造は転覆した。
この事態の只中でアメリカ人青年チャールズ・ホーマンが姿を消したという史実は、国家権力が個人の生を容赦なく吸い込む瞬間の象徴でもある。
しかしコスタ・ガヴラスは、この政治的暴力を真正面から描くのではなく、父親エド(ジャック・レモン)と妻ベス(シシー・スペイセク)が真相へ迫ろうとする過程に焦点を移す。
彼らの動揺や焦燥は、軍事クーデターという巨大な装置の外縁に立つ一個人の脆さを映すものだが、その視線はときに政治の輪郭を曖昧化させ、事件の核心へ踏み込む鋭さを弱めていく。政治の闇を照らすはずの映画が、ときに家族叙情へと引き寄せられ、主軸の力点が揺れ動いてしまうのだ。
この揺らぎは、序盤からじわじわと立ち上がる。ガヴラスはこれまで『Z』『告白』『戒厳令』など、国家暴力とイデオロギーの衝突を苛烈なテンションで描いてきた。
彼の作品に漂う熱気は、政治的抑圧を告発する“闘争の映画”そのものであり、映像そのものが怒りを帯びて疾走する。しかし本作では、カメラが父親と娘の関係へ強く引き寄せられ、政治空間の広がりが後景へ押しやられてしまう。
そのため、物語の中心にあるはずの「チャールズ失踪の政治的構造」が、家族内の葛藤に埋没してしまう危うさを孕んでいる。政治の巨大な断層を描くのか、個人の情念を追うのか。本作はそのどちらにも寄りきれず、両者の緊張関係が曖昧なまま物語が進行していく。
家族の彷徨としてのドラマと、演技の強度が孕む“ねじれ”
物語の中核をなすのは、ジャック・レモンとシシー・スペイセクという稀有な俳優二人が織り成す、親子のような、同志のような、しかし歪みを抱えた関係性だ。
敬虔なキリスト教徒で保守的な父エドは、息子の姿を追うことで、自身が信じてきたアメリカ的価値観が音を立てて崩れていく瞬間に直面する。
理想主義でリベラルなベスは、国家に対する不信をすでに抱えつつも、夫の失踪を前に感情の均衡を失い、怒りと悲しみを言葉に投射してしまう。二人の演技は強い内圧を持ったまま交錯し、状況の緊張が高まるほど、その密度は増していく。
しかし、この俳優力の高さが物語構造の脆さを逆に露呈する局面もある。演技が感情の振幅を高めるほど、ガヴラスの演出は政治的緊張ではなく“情緒の昂り”へ流れていくからだ。アメリカ領事館への疑念が急速に増幅するプロセスは、本来なら政治的陰影を濃く塗り込めるべき場面であるにもかかわらず、二人がストレスを抱え込み、怒りを爆発させる家族劇として消化されてしまう。ここに、政治サスペンスとしての骨格が弱まる理由がある。
加えて、チャールズの友人テリー(メラニー・メイロン)の存在は物語の緊張を無意味に撹乱する。リゾート地ビーニャ・デル・マールでの短い滞在は、彼女とチャールズの関係性を曖昧に提示するばかりで、事件の核心と接続しない。
これは“私的な匂い”がドラマの軸線をぼやけさせる典型であり、観客に不要な読みを誘発するだけで物語の推進力には寄与しない。
サスペンスの弛緩と、音楽が導くセンチメンタリズムの問題
本作最大の弱点は、「政治的真相へ迫る物語」としての推進力が、後半に向けて急速に萎んでいく構造にある。
チャールズが残した日記からアメリカ政府の加担疑惑が浮上するシークエンスは、本来なら映画全体を貫くべき中心的な問いであり、観客を政治の深部へ誘う装置となるはずだった。
だがこのパートは、物語の後半、ほぼ4/3を過ぎた地点で唐突に挿入されるため、サスペンス構造が十分に構築されないまま印象が過ぎ去ってしまう。政治的緊張の蓄積が行われず、物語の核へ向かう時間軸が不均衡なまま進行してしまうのだ。
ここに追い打ちをかけているのが、ヴァンゲリスによる音楽である。彼のシンセサウンドは本来、広がりや時間性を強調する抽象的な叙情を帯びている。
しかし『ミッシング』の政治的緊迫と対立構造に対しては、その“浮遊する音響”がセンチメンタリズムを増幅させてしまい、政治の怒りよりも個人の哀切が前景化する。
音楽が悪いわけではない。むしろ曲単体は豊潤な響きを持つ。しかしその豊潤さが、政治サスペンスの骨格に寄与するどころか、映画全体を柔らかい叙情へと傾け、ガヴラスが本来突き刺そうとした“アメリカの偽善”という主題を霞ませてしまう。
結果として、『Z』や『告白』のように権力構造をえぐり出す鋭さは弱まり、政治の暴力を凝視する視線は解像度を失っていく。第35回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得した作品ではあるものの、ガヴラス作品に期待される“怒りの映画”としての熱量はやや空転し、物語は家族劇の文脈で小さくまとまってしまう。
政治の闇へ切り込む刃は曇り、構造の核心は見えにくくなる。結果として本作は、政治の暴力を告発する映画としてよりも、家族の喪失と情緒の揺らぎを描く作品として受け取られてしまう。そのねじれこそが、この映画の評価を難しくしているのだ。
- 原題/Missing
- 製作年/1982年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/122分
- 監督/コスタ・ガヴラス
- 脚本/コスタ・ガヴラス、ドナルド・スチュワート
- 製作/エドワード・ルイス、ミルドレッド・ルイス
- 製作総指揮/ピーター・グーバー、ジョン・ピーターズ
- 原作/トーマス・ハウザー
- 撮影/リカルド・アロノヴィッチ
- 音楽/ヴァンゲリス
- ジャック・レモン
- シシー・スペイセク
- ジョン・シーア
- メラニー・メイロン
- チャールズ・シオッフィ
- デヴィッド・クレノン
- ジョー・レガルブート
- リチャード・ヴェンチャー
- ジャニス・ルール
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