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共喰い/青山真治

『共食い』──〈血と共同体〉の閉鎖空間

『共食い』(2013年)は、田中慎弥の同名小説を原作に、青山真治が監督した映画である。舞台は昭和末期の山口県下関。高校生の遠馬は、暴力的な父・円とその愛人と暮らし、離れて暮らす母との関係に揺れる。恋人・千種との関係を通して自らの内に潜む暴力性を恐れる遠馬。血の連鎖と家族の崩壊を背景に、彼は生と暴力の境界を彷徨う。

不機嫌な作家と“閉じられた共同体”

一世一代の晴れ舞台であるはずの芥川賞授賞式で、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべ、「別にうれしくないです」と無愛想に答えた田中慎弥。その瞬間から彼は、一部のファンに“不機嫌メガネ男子”として崇められることになる。

しかし、彼の作品世界を貫くのは、あの表情と同質の緊張感。『共食い』(2013年)は、そんな田中慎弥の同名小説を青山真治が映画化したものだ。

舞台は昭和の山口県下関。ここに描かれるのは、暴力と性が渦巻く小さな共同体、そして血の呪いに縛られた家族の物語である。だがこの映画の本質は、単なる“土着的性の物語”ではない。

青山真治は「血」と「国家」を同一の構造体として扱い、家族というミクロな共同体を通じて“昭和”という時代の亡霊を葬り去ろうとする。

共喰い
田中慎弥

主人公・遠馬(菅田将暉)は、父・円(光石研)とその愛人・琴子と暮らす高校生。母・仁子(田中裕子)は、暴力的な夫から逃れ、川向こうで魚屋を営んでいる。

だが父と子を結ぶ“血”は切れない。遠馬はガールフレンドの千種(木下美咲)との性行為を通して、自分の中に流れる暴力的衝動を恐れる。「女を殴ることでしか快感を得られないのではないか」──彼の不安は遺伝的な宿命として物語を覆う。

青山はこの“血の連鎖”を、環境と生理の両面から構造化する。風呂場で自慰に耽る遠馬の精液が下水を通って川へ流れ、父・円がその川で釣り上げたウナギを食うという、強烈な循環構造。

精液は血のメタファーであり、ウナギはその血を呑み込む父親の象徴だ。性と暴力が生態系のように閉じられた回路を形成し、外界への出口を失う。この“循環の罠”こそが、作品のタイトル『共食い』を最も直接的に体現している。

共同体を解体する天皇論

青山真治は、原作が描いた土着的閉鎖性を、徹底的な空間設計によって視覚化する。遠馬が通学路を歩くオープニングからして異様だ。通りには誰もいない。父が愛人を探してシャッター通りを駆け回る場面でも、人影は皆無。この町には家族と数人の登場人物しか存在しないかのようだ。

人のいない町。生命活動の止まった共同体。そこに流れるのは、時間ではなく停滞だ。青山はこの“人の不在”によって、共同体の死を描く。下関という実在の都市が、まるで死者の住む町のように変貌する。

遠馬が通う学校の描写は一切なく、友人も登場しない。家と川と女。彼の世界はその三点で完結する。青山が作り上げたのは、家族が唯一の社会である“終末的共同体”であり、外部の喪失こそがこの映画のトポロジーを支えている。

川の存在が象徴的だ。川は本来、土地と土地を分かつ境界であり、同時に交通の道でもある。しかし『共食い』では、それが循環の回路として閉じている。父の血と息子の精が同じ水脈を流れ、外へ出ることなく再吸収される。この水のトポロジーが、映画全体を支配している。

だが、映画は中盤で唐突に「外部」を出現させる。牢屋のような空間に閉じ込められた仁子(田中裕子)が、突如として「あの人」──昭和天皇──の話を始めるのだ。唐突で異様な挿入だが、ここに青山真治のラディカルな視点がある。

仁子は「あの人」を“戦争責任に無自覚な存在”として非難するが、同時に彼女は暴力に無自覚な円と重ね合わせられている。つまり、家庭という共同体の“王”である父と、国家という共同体の“王”である天皇がパラレルに描かれているのだ。

仁子の告発は、家族と国家の同型性を暴く装置として機能する。円形の牢屋に閉じ込められた彼女の姿は、“円”という父の名を象徴的に反転させる。円=父=権力=閉鎖構造。仁子の「あの人」発言は、その構造を破壊する“外部の言葉”だ。

昭和の記憶を埋葬し、共同体の円環を断ち切るその瞬間、物語は性的暴力のドラマから“国家の寓話”へと転移する。青山が『東京公園』でも唐突に差し込んだ天皇論の断片は、ここでより明確な政治的メタファーへと深化した。

“父=王”の解体と青山真治の遺言

円という名前の含意は重い。それは単なる父親の固有名ではなく、世界の中心に位置する“支配構造”の象徴である。父は暴力と快楽の装置として家族を支配するが、同時に愛嬌を帯びた人物として描かれる。

光石研は、この支配者をチャーミングな人物として体現してしまう。暴力は必ずしも憎悪から生まれるのではなく、むしろ愛情と混ざり合った曖昧な感情として存在するのだ。

だから遠馬は父を拒絶しきれない。彼は血を憎みながらも、その血を求めてしまう。円を“あの人”として読むならば、遠馬は昭和以降を生きるすべての日本人の寓意だろう。象徴的権力を否定しながらも、それを基盤としてしか存在できないわれわれの姿だ。

『共食い』は、そのジレンマを家族劇として具現化する。青山真治はこの作品で、〈性〉と〈暴力〉という彼のフィルモグラフィーの核心に、“共同体の象徴としての父”という政治的テーマを接続した。

彼自身が語った「にっかつロマンポルノ的なものを作ろう」という企図は、単なるエロティシズムへの回帰ではない。ロマンポルノが抱えていた“国家的エロス”を、戦後日本の閉鎖空間として再構成したのだ。

『共食い』は、血と家族と国家を同じ構造の円環として描き、その円を断ち切ることで“外部”の可能性を示した、青山真治の遺言のような映画である。

DATA
  • 製作年/2013年
  • 製作国/日本
  • 上映時間/102分
STAFF
  • 監督/青山真治
  • 原作/田中慎弥
  • 脚本/荒井晴彦
  • 製作/甲斐真樹
  • 音楽/山田勲生、青山真治
  • 撮影/今井孝博
  • 編集/田巻源太
CAST
  • 菅田将暉
  • 木下美咲
  • 篠原友希子
  • 光石研
  • 田中裕子
  • 宍倉暁子
  • 岸部一徳
  • 淵上泰史