2025/12/24

『Moon Safari』(1998)徹底解説|90年代を席巻した、フレンチタッチの名盤

『Moon Safari』(1998)
アルバム考察・解説・レビュー

8 GOOD

未来へのノスタルジーが爆発する宇宙空間

1960年代、セルジュ・ゲンズブールやフランス・ギャルらが牽引したフレンチポップ(イェイェ)は、シャンソンという伝統の壁をブチ破り、アメリカ産ロックンロールとフランス特有のメランコリーを奇跡的なバランスで融合させ、世界中に新しい波を巻き起こした.

それから約30年の時を経た1990年代末、花の都フランスは、またしても全く新しい突然変異の音楽ムーブメントを世に送り出す。クラブ・シーンの地下深くからマグマのように噴出したその現象こそ、フレンチタッチ(La French Touch)だ。

別名フィルターハウスとも呼ばれるこのジャンルは、往年のディスコ・ミュージックのサンプリング・ループに対して、ミキサーのローパス/ハイパス・フィルターを強烈に開閉させまくることによって、聴く者の脳ミソを直接マッサージするような浮遊感とトランス感を生み出す。

かつてのフレンチポップが、フランス産お洒落歌謡曲だったとすれば、このフレンチタッチは、あらゆる年代の無国籍なサウンドをサンプラーでミクスチャー/再構築することによって産み出された、突然変異のサイボーグ音楽と言っていいだろう。

そのフレンチタッチ・ムーブメントの象徴といえば、ダフト・パンク。彼らの音楽の根底には、常に“古き良き未来”とも呼ぶべき強烈なレトロフューチャー感がドクドクと滲み出ている。

その理由は、彼らが5歳のガキの頃から、『宇宙海賊キャプテンハーロック』だの、『宇宙戦艦ヤマト』だの、70年代の日本のジャパニメーションを浴びるほど観て育ってきたアニメ・フリークだから(事実彼らは『Discovery』で、松本零士センセイにPVのアニメーション制作をオファーし、その夢を叶えてしまった)。

だが、フランスの若きクリエイターたちを狂わせたのは松本零士だけではない。ここで僕は、ダフト・パンクと双璧をなすもう一つの偉大なグループ、エール(Air)の名前を挙げておきたい。

ニコラ・ゴダンとジャン=ブノワ・ダンケルからなるこのポップ・デュオもまた、ダフト・パンクと同様に日本のロボットアニメ『UFOロボ グレンダイザー』に死ぬほどハマっていたと公言する、生粋のオタク。

フランスでは1970年代後半から『クラブ・ドロテ』という子供向け番組を通じて日本のアニメが大量に輸入され、『グレンダイザー』は『Goldorak(ゴルドラック)』というタイトルで最高視聴率100%(!?)という伝説的な社会現象を巻き起こしていた。

冷たいデジタル機材を駆使しながらも、エールやダフト・パンクの音楽がどこか温かく、ノスタルジックで宇宙的な広がりを持っているのは、彼らの無意識の奥底に「ブラウン管越しに見た日本の宇宙アニメの記憶」が、原風景として強烈に焼き付いているからなのだ。

アナログ機材が描く余白のディスコティーク

筆者がエールというアーティストの底知れぬ才能に初めて打ちのめされたのは、ソフィア・コッポラ監督の映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)の劇中で、彼らの「Alone in Kyoto」という楽曲が流れてきたとき。

異国の地である東京や京都をさまよう主人公たちのメランコリックな孤独感を、これほどまでに叙情的に、そしてメロウな感性で完璧に描き出したトラックがかつてあっただろうか?

京都の古都の風情と、最新鋭のエレクトロニカが完全にシンクロしたあの奇跡的なナイス・トラックに度肝を抜かれた僕は、当然のごとく彼らの記念すべきデビュー・アルバム『Moon Safari』(1998年)を慌ててチェック。再生ボタンを押した瞬間、僕は完全に宇宙空間へと放り出されてしまった。

当時のフレンチタッチ・シーンが、TR-909などのドラムマシンを使って、BPM120以上の激しい四つ打ちビートでクラブのダンスフロアを熱狂させていたのに対して、エールは全く逆のアプローチ。

彼らはBPMをグッと落とし、アトモスフェリックなラウンジ感とアンビエントなエレクトロニック・サウンドを極限まで追求することで、ダンスフロアではなく、無重力のベッドルームを作り上げてしまったのである。

このアルバム全体を支配しているのは、Moogシンセサイザー、Korg MS-20、フェンダー・ローズ、そしてウーリッツァーといった、70年代のヴィンテージ・アナログ機材たち。太くて温かみのあるオーガニックな電子音の嵐である。

どのトラックも一秒たりともスキのない、捨て曲ナシの完璧な構成だが、あえてハイライトを挙げるならやはりM-2の「Sexy Boy」とM-6の「Remember」だろうか。

特に「Sexy Boy」の破壊力は凄まじい。うねりまくるファズ・ベースのリフに乗せて、ボコーダーを通したフランス語のウィスパー・ボイスが「セクシー・ボーイ…」と囁き続ける。

一歩間違えれば下品なラウンジ・ミュージックに転落しかねないが、彼らの卓越したコードワークと緻密なサウンド・プロデュース能力が、そのギリギリの境界線で踏みとどまり、洒脱で絶妙なポップ・ソングとして成立させている。

後年、あのフランツ・フェルディナンドがこの曲を熱烈にカバーしたという事実が、この楽曲の持つ普遍的なロック的ダイナミズムを証明している。

続く「Remember」では、フランスの電子音楽のパイオニアであるジャン=ジャック・ペリーをゲストに迎え、ボコーダーとアナログシンセが絡み合う、極上のノスタルジック・サイケデリアを展開。

過剰な音の詰め込みを避け、意図的にスカスカの「余白」を作る彼らの独特すぎるディスコティーク・サウンドは、他の追随を許さない、孤高の境地に達している。

映像と結びつくシネマティックな音響

エールの音楽が持つ最大の魅力、それは彼らのサウンドが極めてシネマティックであるということだ。彼らの音楽には、聴く者の脳内に勝手に架空の映画のワンシーンを再生させてしまうような、強烈な視覚的喚起力が備わっている。

だからこそソフィア・コッポラは、長編監督デビュー作『ヴァージン・スーサイズ』(1999年)で、当時まだデビュー・アルバムを出したばかりのエールを大抜擢し、オリジナル・サウンドトラック制作を完全に委ねたのだ。

結果として、1970年代のアメリカ郊外を舞台にした少女たちの閉塞感と危うい思春期の揺らぎを、エールのアナログでドリーミーなシンセサイザーの音色がこれ以上ないほど美しく、そして残酷に彩ることとなる。

この歴史的コラボレーションがあったからこそ、『ロスト・イン・トランスレーション』における「Alone in Kyoto」の奇跡へと繋がっていく。

エールの音楽がなぜこれほどまでに、ソフィア・コッポラの映画世界と、ひいては現代を生きる我々の心と深く共鳴するのか。それは常に、都市生活者の孤独に静かに寄り添ってくれるからだ。

『Moon Safari』というタイトルが示す通り、彼らの音楽は月面をフワフワと漂うような孤独なサファリ・ツアー。フェンダー・ローズの揺れるようなエレピの音色や、アコースティック・ギターの生々しい響きの奥底には、常に言葉にならない都市の余白が、ポッカリと口を開けている。

僕たちは、部屋で一人きり酒を飲みながら、あるいは深夜の高速道路を車で飛ばしながらこのアルバムを聴き、その余白の中に自分自身の孤独や悲しみをそっと滑り込ませる。

90年代末という、ミレニアムを目前に控えた世界が漠然とした不安と期待を抱えていたあの時代。フレンチタッチという巨大なダンス・ムーブメントの熱狂の裏側で、エールはあえてBPMを落とし、アナログ機材のツマミをひねることで、人類の精神を最も深く沈静化させる、永遠のチルアウト・ミュージックを完成させたのだ。

『UFOロボ グレンダイザー』に熱狂したフランスのオタク青年たちが作り上げた、極上にして洒脱な宇宙空間は、リリースから四半世紀以上が経過した現在においても、全く色褪せることはない。

僕たちはいつでも、この宇宙にダイブすることができる。

DATA
PLAY LIST
  1. 1. La femme d'argent
  2. 2. Sexy Boy
  3. 3. All I Need
  4. 4. Kelly Watch the Stars
  5. 5. Talisman
  6. 6. Remember
  7. 7. You Make It Easy
  8. 8. Ce matin-là
  9. 9. New Star in the Sky (Chanson pour Solal)
  10. 10. Le voyage de Pénélope
DISCOGRAPHY
  • Moon Safari(1998年/ヴァージン・レコード)