『暗殺の森』(1970)
映画考察・解説・レビュー
『暗殺の森』(原題:Il conformista/1970年)は、モラヴィアの小説『孤独な青年』を下敷きに、トラウマを抱えた青年マルチェロがファシスト政権下で任務を帯び、亡命中のクアドリ教授を追ってパリへ向かう物語である。少年期の事件が心に影を落とす中、彼は婚約者とともに旅立ち、やがて調査が暗殺へと転じる局面に巻き込まれていく。ストラーロの厳密な光と影の中で、彼は逃れられない選択の道を進んでいく。
マルチェロという“空洞の青年”
『暗殺の森』(1970年)は、アルベルト・モラヴィアの小説『孤独な青年』をベルトリッチが映像へ翻訳した作品だが、その翻訳は物語の再演ではなく、“精神構造の地図化”に近い。
13歳のとき、運転手リノに襲われそうになり、とっさに銃を撃ってしまったマルチェロ。その夜の衝撃は人格の地層に深いクラックを作り、成長後も塞がらず、彼の行動の裏側で静かに影響を及ぼし続ける。
だがベルトリッチは、この因果関係を直線的に説明することを拒む。少年期の断片は突然挿入され、傷の輪郭は曖昧なまま。観客が状況を理解する頃には、マルチェロはすでに“ファシズムへ順応した青年”として物語の中心に立っている。
中産階級の娘との婚約も、恋愛より「正常値」への回帰を願う儀式のよう。逸脱の記憶を消すために、彼は体制の中へ潜り込み、より大きな構造へ自分を溶かそうとする。
しかし、その逃避のベクトルは皮肉にも逆方向へ働く。教授クアドリの調査任務を命じられパリへ向かう彼の移動は、自分の意思ではなく“選ばされてしまったルート”。任務が調査から暗殺へ変質していく過程で生じる揺らぎも、良心ではなく「順応の揺れ戻し」にすぎない。
ベルトリッチはこの心理を言葉で語らず、構図や光の温度だけで伝える。説明の欠如が、逆に“順応者の冷徹さ”を際立たせる。
ファシズムという匿名性
マルチェロが求めていたのは、イデオロギーではなく、“匿名性”だ。逸脱の記憶に怯える青年にとって、巨大な体制は「個を消してくれる装置」として機能する。ファシズムの制服や儀礼が劇中で象徴的に映るのは、賛美ではなく、順応の快楽という危険な引力を描くためだ。
彼は体制の歯車ではなく、“型”の中にいることでしか自分を保てない青年である。この構図は20世紀の政治運動に限らず、現代社会の“所属への渇望”とも地続きだ。
作品に登場する人物たちは、誰もが何かを演じている。妻は理想の花嫁を、教授夫妻は亡命者の顔を、アンナは退廃のマドンナを、そしてマルチェロは“常識人”を。彼らは素の自分で生きることができず、役割だけが自意識を支えている。
だが役割は剥がれるのではなく、“降りられなくなる”。演じ続けることで保とうとした自我が、むしろ迷路を深くしていく。ベルトリッチの人物描写は、この“自意識の破綻”に残酷な理解を宿している。
ここに、本作が70年代ヨーロッパ映画の“政治と個の関係”を象徴する一本として評価される理由がある。パゾリーニが権力の腐敗を、アントニオーニが自我の崩壊を、ロメールが倫理の揺らぎを描いたように、ベルトリッチはイデオロギーが個をどう歪めるかを至近距離で描いた。
光・構図・移動の美学
『暗殺の森』が映画史に刻まれた最大の理由は、ヴィットリオ・ストラーロの幽艶な映像設計だ。
光は“照明”ではなく、マルチェロの精神を可視化する“内的風景”。建築と身体の距離、光源の角度、色温度の揺らぎ、影の密度──そのすべてが主人公の心理のノイズと同期している。
パリの街路を斜めに切り取るフレーミングは、人物の孤独を強調するためではなく、“世界が整合しているように見せかける表皮”を疑わせる装置だ。
ブルジョワのリビングは広いようで狭く、豪奢なのに空虚。会話は成立しているようで、どこか噛み合わない。ストラーロはその“見えないズレ”を、カーテン越しの翳り、壁紙の幾何学的反復、人物の立ち位置の1歩の差といった視覚的ひび割れとして埋め込む。
そして、あの滑るような移動撮影!これは感情を追うための運動ではなく、「世界そのものが誰かに設計されている」という強迫的な空気を観客に吸わせるための運動だ。
ストラーロは悲劇と喜劇が混じる物語を冷静に切り取り、画面に静謐さと妖しさを同時に宿す。この作品で提示された“精神の地形としての映像”は、『1900年』『ラスト・エンペラー』へと続く彼の美学の原型となる。
敗北の儀式としてのクライマックス
クライマックスの「暗殺の森」は、事件の現場ではなく、心理の儀式の空間だ。
木々は迷路のように密集し、光は遮断され、音は吸収され、人物たちは自分の立ち位置が曖昧になる。ストラーロはこの場面で陰影を極限まで落とし、人物が森に溶けかけるように撮る。まるで森そのものがマルチェロを呑み込むようだ。
この場面での彼は“選択する者”ではなく、“反応するしかない者”へ退行している。愛する女の死を見届けるだけの沈黙は、行動ではなく、敗北の儀式である。
トランティニャンの沈黙が“激情の予兆”ではなく“空白”として響くのは、彼の演技というより、順応者という存在がそもそも共鳴を拒む構造を内包しているからだ。
ドミニク・サンダの退廃的な色気も、サンドレッリの奔放さも、マルチェロを揺さぶることはできない。彼女たちの存在は、彼の内部に残る傷の輪郭を照らす反射光にすぎない。
こうして“Il Conformista(順応者)”というタイトルの意味が静かに回収される。マルチェロは、狂気の男でも英雄でもない。ただ、体制と時代の気圧の中で、影のように溶けていく亡霊だ。
- 原題/Il Conformista
- 製作年/1970年
- 製作国/ドイツ、フランス、イタリア
- 上映時間/107分
- 監督/ベルナルド・ベルトルッチ
- 脚本/ベルナルド・ベルトルッチ
- 製作/マリツィオ・ロディ・フェ
- 製作総指揮/ジョヴァンニ・ベルトルッチ
- 原作/アルベルト・モラヴィア
- 撮影/ヴィットリオ・ストラーロ
- 音楽/ジョルジュ・ドルリュー
- 編集/フランコ・アルカッリ
- ジャン=ルイ・トランティニャン
- ドミニク・サンダ
- ステファニア・サンドレッリ
- ピエール・クレマンティ
- イヴォンヌ・サンソン
- エンツォ・タラシオ
- ジュゼッペ・アドバッティ
- 暗殺の森(1970年/ドイツ、フランス、イタリア)
