2017/8/12

『浮雲』(1955)徹底解説|生が空洞化してしまった、“死人たちの物語”

『浮雲』(1955)
映画考察・解説・レビュー

7 GOOD

『浮雲』(1955年)は、日本映画の巨匠・成瀬巳喜男が、林芙美子の絶筆を水木洋子の峻烈な脚本で映画化し、戦後日本の精神的な荒廃と、逃れられぬ男女の腐れ縁を極限まで描き出した文芸映画の金字塔。本作が描き出したのは、戦時中の甘い追憶が、戦後の現実という名の泥濘の中で、いかに無残に解体されていくかというプロセス。愛とも憎しみともつかぬ情念の果てに、ただ「二人であること」だけを唯一の拠り所とした、絶望という名の聖域へ至る者たちの、最も峻烈で美しい逃避行の記録。

“デコちゃん”の愛称で親しまれ、国民的アイドルとして銀幕を飾ってきた高峰秀子。

キュートな笑顔と溌剌としたキャラクターは、敗戦でうちひしがれていた戦後日本にあって、眩しいくらいに陽性の魅力を放った。

…のであるが、鼻にかかったような低音ボイスも含めて、僕には彼女に陰性の色気をビシバシ感じてしまう。という訳で高峰秀子の代表作にして、成瀬巳喜男の最高傑作との誉れ高い『浮雲』では、ダーク・サイド・オブ・デコちゃんの魅力が満載だ。

高峰秀子 (KAWADE夢ムック 文藝別冊)
『高峰秀子 (KAWADE夢ムック 文藝別冊)』

戦時中の1943年、農林省の赴任先ベトナムで出会った高峰秀子と森雅之が恋に落ちる。帰国後、森雅之は戦時中も甲斐甲斐しく自分を待ち続けていた妻と別れることができず、かといって高峰秀子に別れを告げることもできず、ずるずると不倫関係を続けていく。

高峰秀子も彼のことが好きなものだから、パンパン(米兵相手の売春婦)に身を落としてでも、逢瀬を重ねてしまう。

山形勲演じる義兄が、高峰秀子と蕎麦屋で会話をしていると、突然彼が彼女を押し倒すショットが短くインサートされ、義兄の暴力的な欲望によって貞操を奪われていたことが明らかに。

さらには、子供を身ごもると、熟考を重ねた挙げ句借金をして中絶してしまったり、森雅之が岡田茉莉子と同棲していることを知って激しく動揺したりと、怒濤のように不幸が押し寄せる。

しかも森雅之には、「君は幸せそうだねえ」等とトンチンカンなことを言われてしまい、冷笑を浮かべて「嫌だわ」とか「意地悪」と軽く一蹴するのであるが、心の傷口は広がる一方。

森雅之は、内在している自殺願望も含めて、生きながら死んでしまったかのような、抜け殻のような男として描かれる。

そんな男に惚れぬいて、彼と人生を共にしようとする女の顛末が、ハッピーエンドになる訳がなし。高峰秀子の瞳には、自らの運命を見定めてしまったかのような、どこか諦観めいたものすら感じてしまう。

うらぶれたホテル、盛り場の薄汚い小屋、雨の降り続く屋久島と、ドラマの舞台は移り変わっても、物語を包み込むどこかエスニックな主題曲は変わらずに鳴り続ける。

それはまるで、「僕達のロマンスは終戦と同時に消滅したんだ」という森雅之の言葉を裏付けるように、二人の人生はベトナムという土地から一歩も離れられていないことを暗示している。

我々は124分の上映時間、男女の恋愛ではなく、もはや生が空洞化してしまった「死人の物語」を強制鑑賞させられるんである。

小津安二郎は『浮雲』を観て「俺にではできないシャシンだ」と誉め称えたそうだが、ダメ男とダメ女のダメ人生を綴ったこの重苦しいフィルムは、フランス映画のようにディープなエモーションをかきたてることもなく、アメリカ映画のようにドラマティックな高揚を生成する訳でもなく、ただ淡々と、そして冷酷に、時々刻々とドラマを刻んでいく。

最後に“花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき”という形容しようのないテロップを見させられては、ただただその切なさに身を振わすのみ…。

DATA
  • 製作年/1955年
  • 製作国/日本
  • 上映時間/124分
  • ジャンル/文芸恋愛
STAFF
CAST
FILMOGRAPHY