2025/2/19

『WALK UP』(2022)徹底解説|階段の迷路で分裂する時間と意識

『WALK UP』(2022)
映画考察・解説・レビュー

8 GOOD

『WALK UP』(2022年)は、映画監督ビョンス(クォン・ヘヒョ)が長いあいだ疎遠だった娘を伴い、建築デザイナーのヘオク(イ・ヘヨン)が所有する四階建ての建物を訪れることから始まる。娘をインテリアの道へ導く目的で訪れた二人は、階を上るごとに異なる人間関係と状況に遭遇し、ビョンスは次第にその場所にとどまるようになる。彼が住む階が変わるたびに現実は微妙にずれ、時間と出来事の順序が揺らいでいく。

ホン・サンスが仕掛けた建築的時限爆弾

ホン・サンスの長編28作目となる『WALK UP』(2022年)は、一見するといつもの会話劇に見えるが、その実態はSF映画も真っ青の時空構造実験であり、もっと言えば我々の認知を揺さぶるホラー映画ですらある。

この作品は、彼のフィルモグラフィにおいて、最も明快な構造を持ちながら、最も深淵な謎を孕んだ怪物的映画なのだ。

物語は、中年映画監督ビョンス(クォン・ヘヒョ)が、疎遠になっていた娘を連れて、ソウルの一角にある4階建てのビルを訪れるところから始まる。

このビルこそが、本作の真の主役。オーナーでありインテリアデザイナーのヘオク(イ・ヘヨン)が管理するこの建物は、1階がレストラン、2階が料理教室、3階が賃貸住宅、4階が芸術家のアトリエという、まるで人生の階層(レイヤー)をそのまま具現化したような奇妙な空間である。

これまでホン・サンスといえば、『正しい日 間違えた日』(2015)に代表されるような、水平的反復の作家だった。「もしあの時、違う選択をしていたら?」という並行世界を横に並べて見せる手つき。

しかし本作で、彼はついにその軸を垂直へと回転させる。階段を上がる。ただそれだけの行為が、ここでは時間をスキップし、関係性をリセットし、あるいは未来へとワープするトリガーとなる。

正しい日 間違えた日
ホン・サンス

ビョンスはこの建物に吸い込まれるように住み着き、階を移動するたびに付き合う女性が変わり、健康状態が変わり、そして孤独の質が変わっていく。

階層を上がるごとに、彼は別の人生という名の平行世界へと、強制的にログインさせられているのだ。このめくるめく垂直の時間旅行に、観客は冒頭から脳をハックされ、心地よいめまいに襲われることになる。

映画史に残る“眠る男”の怪異

本作最大の見せ場、いや、事件。それは中盤、ビョンスがベッドで深く眠っているシーンだ。画面の中の彼は、間違いなく寝息を立てている。微動だにしない。しかし音響レイヤーにおいては、彼と恋人ジヨンの生々しい会話が続いている。

これは夢なのか?過去の記憶の残響なのか?それとも未来からの予兆なのか?

通常の映画文法であれば、回想シーンへカットバックするか、夢の映像を挿入するだろう。だがホン・サンスは、映像(眠る現在)と音声(語る別時間)を、何食わぬ顔で同居させる。

この瞬間、時間は一本の線であることをやめ、複数の層として重なり合う。観客は「眠っているビョンス」を見つめながら、「語っているビョンス」の声を聞く。

この認知の不協和音こそが、本作の核だ。『WALK UP』において、時間は流れるものではなく、滞留し、沈殿し、そして同時に鳴り響くものなのである。

ビョンスはもはや、映画を撮る監督ではなく、巨大な建物という名の編集機の中で再生される、一本のフィルムになってしまった。階段はフィルムのスプライサーであり、部屋は映写室。彼が眠るたびに、神の手によってリールが架け替えられ、別の時間が上映される。

この残酷なまでの受動性。クォン・ヘヒョの疲れ切った背中が、「人生とは、自分の意志とは無関係に編集されていくものだ」と語っているかのようだ。

行き止まりの屋上

階段を上り続けるビョンス。その果てに待っているのは、芸術的な達成でも、人間的な成長でもない。4階のアトリエ、そして屋上で彼を待ち受けているのは、圧倒的な停止だ。創作への意欲は枯れ、視力は衰え、娘との距離は決定的に開いてしまう。

しかし、ホン・サンスはこの衰退を悲劇として描かない。むしろ、ある種の諦念と安らぎとして提示する。人生は螺旋階段のようにぐるぐると回りながら、少しずつ形を変えていくだけ。上昇したからといって、より良い場所に行けるわけではない。ただ、景色が少し変わるだけなのだ。

これまでやり直し(リテイク)の可能性を執拗に描いてきたホン・サンスが、本作で到達したのはやり直さない時間の境地だ。過ぎ去った時間は取り戻せないし、選ばなかった道には戻れない。ただ、それら全ての時間が、建物の別々のフロアで「同時に存在している」という感覚。

階段の上にも、下にも、出口はない。『WALK UP』とは、人生のどこかで我々が必ず立ち会うその瞬間──「自分の声が、もう自分の時間の外で鳴っている」その感覚を、映画という形で封じ込めた、恐ろしく静かな傑作である。

DATA
  • 原題/Walk Up
  • 製作年/1974年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/97分
  • ジャンル/ドラマ
STAFF
CAST
FILMOGRAPHY
  • Walk Up(1974年/アメリカ)