『三十九夜』(1935)
映画考察・解説・レビュー
『三十九夜』(1935年)は、ジョン・バカンのスパイ小説を基にアルフレッド・ヒッチコック監督が映像化した、サスペンス・スリラーの古典的名作で。偶然知り合った謎の女の死によって殺人犯に仕立て上げられた男が、自らの潔白を証明するためにスコットランドの荒野を駆け抜ける、スリリングかつロマンチックな極上のエンターテインメント。
数年前、仲間内で「めいめいがオススメの映画を持ち寄って、それを鑑賞する会」という、最高にネクラな集まりがあった。
僕が悩みに悩んで選んだ切り札が、アルフレッド・ヒッチコック監督の『三十九夜』(1935年)。ヒッチコックが最も敬愛するというジョン・バカンのスパイ小説を映画化した、傑作である。
息もつかせぬスピーディーな展開。美男美女のロマンス。逃走劇とユーモアの完璧な配合。以降のヒッチコック映画の基本スタイルとなる「巻き込まれ型サスペンス映画」の絶対的な礎となったのが、間違いなくこの作品だ。
だが非常に残念なことに、当時の鑑賞会では仲間たちからの強い支持を得ることはできなかった。白黒映画のテンポに乗り切れなかったのだろう。だが断言しよう、この映画の面白さを理解できないなんて、映画ファンとして完全に人生を損している!
本作はサスペンスの教科書であると同時に、極上のロマンティック・コメディでもある。我々同性から見たら鼻持ちならない伊達男のリチャード・ハネイ(ロバート・ドーナット)と、気の強い上流階級の一人娘パメラ(マデリン・キャロル)。反発し合う男女のカップルが、手錠で繋がれて逃避行を繰り広げるという設定は、ヒッチコックでおなじみの黄金パターンだ。
特にマデリン・キャロルが最高だ。彼女はいわゆる冷たいクール・ビューティーではない。現代で言えばメグ・ライアンのような、親しみやすくてキュートなコメディエンヌの気質をたっぷり持ち合わせている。
この二人の丁々発止のやり取りがあるからこそ、本作は古臭いメロドラマに陥ることなく、意外なほどラブコメしちゃっているのである。
ミスター・メモリーが体現するプロの意地
映画の構成も見事。本作はミュージック・ホールの騒がしい劇場のシーンで幕を開け、再び劇場のシーンで幕を閉じるという完璧なサンドイッチ型の構造を持っている。
逃亡中のハネイが無意識のうちに吹いてしまう口笛のメロディ。頭から離れないその軽快な曲が、実は国家を揺るがす巨大なスパイ組織の陰謀を解き明かす最大の伏線として機能している。この見事な脚本の冴えには、何度観ても鳥肌が立つ。
おそらく観客の心に深い爪痕を残すのは、やっぱりミスター・メモリー氏(ワイリー・ワトソン)の存在だろう。彼はあらゆるトリビアを脳髄に詰め込み、舞台上で観客からのあらゆるクエスチョンに即答してみせる。今で言えばさしずめ「歩くWikipedia」か、究極のクイズ王のような存在だ。
だが彼を単なる面白キャラクターにとどめていないのが、ヒッチコックの恐るべき人間観察眼。物語のクライマックス、劇場に追い詰められたハネイは、舞台上の彼に向かって「三十九階段とは何か!」と叫ぶ。彼はスパイ組織の秘密を脳内に記憶させられていたのだ。
国家の機密であっても、「知っていることは必ず答える」という彼の絶対的なプロフェッショナル精神が、ドラマに深い奥行きを与え、そして自らの命を奪う悲劇の引き金となる。
映画に携わる者のバイブルともいうべき名著『定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー』の中でも、フランソワ・トリュフォー監督がこのシーンについて熱く語っていた。ミスター・メモリーは、まさしく自身の異常なまでの職業意識のために死んでいくのである。
ただの道化だった男が、最後に知識への狂気的なプライドを見せつけて絶命する。ヒッチコックの全フィルモグラフィーの中でも、絶対に忘れられない、最も哀しく美しいキャラクターの一人だろう。
なぜ『三十九階段』が『三十九夜』になったのか
逃走劇のスピード感、ロマンスの多幸感、そしてプロフェッショナルの悲哀。1935年の時点で、現代のエンターテインメント映画に必要な要素がすべてこの86分間に詰め込まれている。
サスペンス映画のDNAは、この作品によって完全に決定づけられたと言っても過言ではない。だが、この傑作には映画の内容そのものよりも不可解な、未だに解き明かされていないミステリーが一つだけ残されている。
原題は『The 39 Steps(39の階段)』なのに、どうして日本公開時の邦題では『三十九夜』になってしまったのだろう?原作小説の邦題は直訳の『三十九階段』だし、劇中でも「39の階段」という言葉が物語の決定的な鍵として登場する。映画の中で三十九回の夜を明かすわけでもないし、千夜一夜物語のようなアラビアンな要素など1ミリも存在しないのだ。
当時の日本の配給会社の宣伝マンが、『夜』にした方がエキゾチックでサスペンス感が出て客が呼べるに決まってるだろ!的なノリで改変してしまったのだろうか。
昭和の洋画配給によくある無茶苦茶な意訳タイトルの一種なのかもしれないが、今に至ってもその明確な理由は全くの謎に包まれている。映画の内容は完璧に理解できるのに、邦題の意図だけがサッパリ分からない、
もしこの頓珍漢な邦題の真の由来を知っている人がいたら、ぜひ僕に教えて下さい。マジで。
- 監督/アルフレッド・ヒッチコック
- 脚本/チャールズ・ベネット
- 製作/マイケル・バルコン
- 原作/ジョン・バカン
- 撮影/バーナード・ノウルズ
- 音楽/ルイ・レヴィ
- 編集/デレク・ツイスト
- 美術/オットー・ウェルンドルフ
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