『エイリアン2』──母性と軍事が激突する〈マザー・ウォーズ〉
『エイリアン2』(原題:Aliens/1986年)は、宇宙貨物船〈ノストロモ号〉事件の唯一の生存者エレン・リプリーが、57年後に再び未知の惑星LV-426へ派遣される物語である。入植者たちとの連絡が途絶え、リプリーは海兵隊とともに調査に向かうが、そこには無数の異形生命体が巣食っていた。少女ニュートを救うため、リプリーは再び“母なる戦い”へと身を投じる。
リドリー・スコットからジェームズ・キャメロンへ
すべては、原題の『ALIENS』というタイトルに集約されている。これは単なる複数形としてエイリアンが大量出現することを示すだけでなく、「異物=他者」としての存在を複数化する宣言。
『エイリアン2』(1986年)は、雨後のタケノコのごとく湧き出す異形の軍勢と、弾丸が飛び交い、マシンガンが乱射され、爆炎が画面を覆う空前の物量作戦を展開したアクション映画なのである。
リドリー・スコットが監督を務めた第1作『エイリアン』(1979年)は、商業的にも批評的にも大成功。当然のごとく、20世紀フォックスは続編の制作を企画する。
よりアクション要素を入れ、娯楽性を強化することを望んだフォックスに対し、心理的ホラーや未知の恐怖を描くことに重点を置きたかったリドリー・スコットは降板。スタジオは、このシリーズの続編にふさわしい人材を一から探すことになる。
『摩天楼を夢みて』(1992年)で知られるジェームズ・フォーリーや、『ブリット』(1968年)や『ハッスル』(1975年)を手がけたピーター・イェーツも候補に挙がっていたが、見事監督の座を手中に収めたのが、当時まだ若手のSF映画監督だったジェームズ・キャメロン。彼は熱心に企画書を送ってプロデューサーのジーン・スティーヴンスに猛烈アピールし、この大役を任された。
戦争映画としてのエイリアン
ストーリーにキャメロンが手を加えることで、密室ホラーサスペンスだった前作から大幅にシフトチェンジ。リプリーを戦うヒーローとして物語の中心に据え、ボスキャラとしてクイーン・エイリアンを創造し、戦争映画としての構造を強める。
実際にキャメロンは『エイリアン2』を単なるモンスター映画ではなく、「宇宙を舞台にしたベトナム戦争映画」と位置づけていた。装甲車のデザイン、海兵隊の装備や会話も、実際の戦争映画の文法に基づくもの。
フランスの画家ジャン・ジロー(メビウス)や、H・R・ギーガーの影響を引き継ぎつつ、コロニー基地やパワーローダーは軍事的・機械的な質感を強調。キャメロンは偉大なるIPを完全に自分の色に染め上げたのである。
撮影はイギリスのパインウッド・スタジオで行われたが、当時の英国スタッフはキャメロンを「無名のアメリカ人監督」と軽視し、リドリー・スコットの後任として懐疑的だったという。昼休みに2時間もかけて紅茶を飲むクルーにキャメロンが激怒し、衝突が絶えなかったという逸話もあるほどだ。
それでも、彼の徹底した準備と確固たるビジョンが徐々にチームの信頼を勝ち取り、『エイリアン2』を前作に勝るとも劣らない傑作に仕立てあげた。
母性vs.母性のマザー・ウォーズ
本作は、「パート2をつくらせたら世界一」のジェームズ・キャメロンらしい戦略的采配が隅から隅まで息づいている。『ターミネーター』(1984年)で示したスピード感と軍事的ガジェットへの偏愛を、本作では2時間20分という長尺の中に詰め込み、観客を一瞬たりとも退屈させない。
惑星LV-426へと向かうまでの冒頭20分間は抑制を効かせつつ緊張を蓄え、中盤以降は数えきれない銃撃戦がインサートされ、終盤は無敵のシガニー・ウィーバーが女ランボーと化して単身で戦う。まさに16ビートの疾走感で突き進む超絶アクションだ。
しかし、キャメロンの仕掛けは単なる娯楽のための過剰演出に留まらない。前作が男根的暴力と対峙する女性像――すなわちウーマンリブ的寓話として読み解ける作品だったとすれば、本作『エイリアン2』は「母性の物語」へと構造を組み替えている。
リプリーは57年間の漂流生活を経て娘を失い、新たな母性の対象を求める。それがニュートという少女だ。彼女を守り抜くためならば、リプリーは軍事組織や異星生物すらも敵に回す。
ラストでニュートに「お母さん!」と呼ばれる瞬間は、母性の回復と完成が象徴的に表現される場面であり、クライマックスの女王エイリアンとの戦いは、母性vs.母性のマザー・ウォーズにほかならない。
母性的倫理と、企業=軍事システムによる父権的秩序の衝突
ただしそこにはもう一つの軸がある。母性的倫理と、企業=軍事システムによる父権的秩序の衝突だ。ウェイランド・ユタニ社は「種の保存」を冷徹な利益計算に変換し、卵や幼体を「資源」として確保しようとする。その論理は明らかに父権的、軍事的なものだ。リプリーはその命令を拒絶し、母性の名の下に企業的父権を粉砕する。ここにキャメロンの政治的視線――軍事産業批判と倫理的抵抗――が透けて見える。
さらに『エイリアン2』は、冷戦下のアメリカ社会を映す鏡でもある。植民地化された惑星LV-426で「原住する」エイリアンを武力で制圧しようとする人類の姿は、帝国主義的征服の寓話であり、また兵士たちの泥沼の戦いはベトナム戦争の記憶を呼び起こす。最新兵器に身を固めた海兵隊が、圧倒的な数を誇る“他者”の前に無力化されていく構図は、アメリカの軍事的トラウマを寓話的に再演しているのだ。
そして忘れてはならないのが、ジェンダーの反転。リプリーやバスクエスのように女性たちは戦闘的主体として描かれる一方で、男性兵士たちはエイリアンに襲撃され、恐怖に駆られて逃げ惑い、無様に絶叫する。ここには、男性的マッチョ戦争映画の図式を逆転させる意図がある(単にキャメロンがマッチョ女性が好きという性的嗜好については、一旦棚にあげておくとする)。
80年代ハリウッドにあふれたアーノルド・シュワルツェネッガーやシルヴェスター・スタローン型の筋肉アクションとは一線を画し、『エイリアン2』はむしろ「母なる力」によって戦いが遂行されることを示すのである。
『ALIENS』とは単に「エイリアンがたくさん出てくる映画」ではない。それは「他者」との対峙であり、母性と父権の衝突であり、帝国主義的戦争の寓話であり、そしてジェンダー構造の転倒を体現した作品である。
キャメロンは、エンターテインメントの装いの裏で、冷戦下のアメリカ社会を鋭く照射していた。だからこそ本作は、アクション映画としての快楽を享受しつつも、映画史的にも文化史的にも分析に耐えうる豊穣なテキストなのである。
- 原題/Aliens
- 製作年/1986年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/134分
- 監督/ジェームズ・キャメロン
- 脚本/ジェームズ・キャメロン
- 製作/ゲイル・アン・ハード
- 製作総指揮/ゴードン・キャロル、デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル
- 撮影/エイドリアン・ビドル
- 音楽/ジェームズ・ホーナー
- 美術/ピーター・ラモント
- SFX/L・A・イフェクトグループ、ジョン・リチャードソン、ライアン・ジョンソン
- 編集/レイ・ラヴジョイ
- シガニー・ウィーヴァー
- マイケル・ビーン
- ポール・ライザー
- ランス・ヘンリクセン
- シンシア・スコット
- ウィリアム・パクストン
- ウィリアム・ホープ
- アル・マシューズ
- リッコ・ロス
- キャリー・ヘン
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