2017/8/12

エイリアン4/ジャン・ピエール・ジュネ

『エイリアン4』──堕落した再生としてのリプリーとポストモダンの残響

『エイリアン4』(原題:ALIEN: RESURRECTION/1997年)は、宇宙船オーロガ号で軍がリプリーをクローンとして蘇らせ、再びエイリアン研究を進める物語。科学の暴走によって再生された彼女は、人間と異種の遺伝子を併せ持つ存在として、自己と他者の狭間で揺れ動く。

90年代の文化的・科学的文脈を濃厚に反映させた第4弾

リドリー・スコットの『エイリアン』(1979年)が提示した「未知との遭遇による恐怖」、ジェームズ・キャメロンの『エイリアン2』(1986年)が切り開いた「軍事SFとしての戦争譚」、そしてデヴィッド・フィンチャーの『エイリアン3』(1992年)が描いた「死と贖罪の宗教的黙示録」。

この三部作の流れを受けて、1997年に公開されたジャン・ピエール・ジュネ監督の『エイリアン4』は、シリーズにおいて特異な位置に屹立している。

しかも原題の 『ALIEN: RESURRECTION』 が示すとおり、「復活」「再生」という主題の下で、前作で壮絶な自己犠牲を遂げたはずのリプリーまでもが再びスクリーンに戻ってくる。

ここまでくるとリプリー自身が、ジェイソンやフレディのような“死んでも蘇るホラー・アイコン”な気がしないでもない。シリーズの継続性は、もはや物語的必然ではなく、ホラー映画史における反復記号そのものへと転じている。

本作は、単なる続編としてではなく、90年代の文化的・科学的文脈を濃厚に反映させた作品であり、宗教的主題とポストモダン的感覚、さらには当時盛んに議論されたバイオテクノロジー=クローン技術の論争をも孕みこんだ、「時代の鏡」として読むことができるのだ。

RESURRECTIONという宗教的タイトルの意味

タイトルの “RESURRECTION(復活/再生)” は、キリスト教神学における最重要概念のひとつ「キリストの復活」との連想を避けられない。『エイリアン3』のラストでリプリーは自己犠牲の飛翔を遂げ、まさに十字架に磔られるかのように死へと身を投じた。

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『エイリアン3』(デヴィッド・フィンチャー)

『エイリアン3』はその直接の続編として、彼女をクローンとして蘇らせる物語。この「死からの復活」という構図は、宗教的に見れば明確に「贖罪と救済の完結編」のように映るが、実際には本作はその神聖性を大きく反転させている。

すなわち、リプリーの復活は神による奇跡ではなく、人間の科学技術――より具体的には軍事目的でのクローン研究によるものである。ここには「生命を蘇らせる権能を人間が簒奪してしまう」という現代的な傲慢の主題が込められている。

しかも蘇ったリプリーは、もはやかつてのリプリーではない。彼女は人間であると同時に異種(エイリアン)の遺伝子を抱えた存在であり、自己同一性が根底から揺らいでいる。

これはキリスト的復活の純粋さとは対照的であり、むしろ「堕落した再生」「不完全な奇跡」としての復活である。その意味で、『エイリアン4』という語は、神聖な響きを持ちながらも、それを人間的欲望の領域に引きずり込むポストモダン的アイロニーを帯びている。

『エイリアン3』との宗教的連続性:贖罪と十字架モチーフの変奏

デヴィッド・フィンチャーの『エイリアン3』は、シリーズの中でももっとも「宗教的寓話」としての性格が強い。舞台となる刑務所惑星フィオリーナ161は修道院を思わせる閉鎖空間であり、登場人物たちは信仰によって荒廃した世界に秩序を保とうとしていた。

リプリーは自らの体内に宿ったエイリアン・クイーンを人類に利用させまいと、十字架に身を委ねるキリストのように溶鉱炉へ飛び込む。彼女の死はまさに「贖罪」であり、「人類のために命を差し出す聖女」として完結したかに見えた。

ところがこの『エイリアン4』では、その聖性が根底から掘り崩される。贖罪の死は科学技術によって無効化され、リプリーはクローンとして甦る。しかも彼女は「人間とエイリアンのあいだ」に存在する曖昧な存在となり、自分自身が誰なのかも定かではない。ここには明確な反転がある。

『エイリアン3』が「キリスト的殉教」を頂点とした物語ならば、『リザレクション』は「贖罪の再利用」「聖なる死の商品化」とも言える。すなわち、宗教的十字架が「クローン実験室」という俗悪な空間へと置き換えられているのだ。

この宗教的連続性を考えると、『エイリアン4』は決して『エイリアン3』のアンチテーゼではなく、その裏返しの鏡像的作品として理解できる。殉教と贖罪が「信仰の神話」へと昇華された後、現代社会はそれを科学技術によって再生産し、資本と軍事の道具として再利用する。こうした反復と反転の構造そのものが、ポストモダン的な「引用と脱神話化」の形式を帯びている。

ジュネ的美学とポストモダン的映画言語

『エイリアン4』を任せられるフィルムメーカーとして、当時20世紀フォックスは、『ブレインデッド』(1992年)などで評価され始めていたピーター・ジャクソン、『トレインスポッティング』(1996年)で人気が急浮上中のダニー・ボイル、『ユージュアル・サスペクツ』(1995年)の成功直後だったブライアン・シンガーを候補に挙げていた。しかしいずれもスケジュールや方向性の違いから実現せず、暗礁に乗り上げてしまう。

最終的に白羽の矢が立ったのが、フランス人監督ジャン・ピエール・ジュネ。彼は『デリカテッセン』(1991年)や『ロスト・チルドレン』(1995年)で、ゴシック的で幻想的な世界観、ダークユーモア、そしてフランス的なアヴァンギャルド感覚を提示していた。『エイリアン』シリーズに求められる「閉鎖空間での奇妙で圧迫的な世界」を描く資質と合致し、抜擢されることになる。

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『デリカテッセン』(ジャン・ピエール・ジュネ)

ジュネが『エイリアン』世界に持ち込んだのは、恐怖映画的リアリズムではなく、むしろ「人工的に作られた映像世界の快楽」だ。例えば、宇宙船オーロガ号の内部は、フィンチャーが『エイリアン3』で描いた荒涼とした鉱山修道院とは対照的に、蒸気と配管に満ちたバロック的で人工的なセットとして描かれる。

キャラクターたちも一癖も二癖もある風変わりな人物ばかり。ジュネの常連俳優であるドミニク・ピノンらがその奇妙さを際立たせる。ここにあるのは「恐怖の現実性」ではなく、「恐怖の見世物化」であり、まさにポストモダン的映画美学の一例だ。

この点で『エイリアン4』は、「シリーズを更新する正統的続編」というよりも、「ポストモダン時代の映画的引用の遊戯」として位置づけられる。リプリーの復活自体が『エイリアン3』の殉教物語を反転的に引用しているように、作品全体が「過去作の神話を再利用し、脱構築する営み」として成り立っている。

ポストモダン映画とはしばしば、ジャンルのコードや過去の物語を再演し、引用し、そして皮肉に転倒させることによって成立するが、『4』はまさにその典型例といえるだろう。

90年代のクローン技術論争と作品の接続

本作の制作時期となる1990年代半ばは、生命工学をめぐる社会的議論が最高潮に達していた時期である。1996年には世界初の哺乳類クローン「ドリー」が誕生し、「人間クローンは可能か」「倫理的に許されるのか」といった議論が世界中を席巻した。『リザレクション』におけるリプリーの復活は、まさにこうした時代の空気を直に反映している。

劇中で提示されるのは、「科学技術が生命を複製できる」という事実がもたらす倫理的・存在論的問題。リプリーは自分がオリジナルではなくコピーであることを知りながら、それでも「自分は自分なのか」という問いを突き付けられる。

このアイデンティティの揺らぎは、人間クローンの可能性が議論された90年代において、きわめて現実的な問題意識であった。さらに、彼女の体に宿る「エイリアンの遺伝子」は、遺伝子操作技術の危うさ、すなわち「自然と人工の境界が曖昧化する恐怖」を象徴している。

こうした問題は、単なるSF的想像力にとどまらず、バイオテクノロジーの発展が現実に人類へ投げかけた問いを映画的に可視化したものと言える。『リザレクション』の「不完全な復活」は、ドリーをめぐる論争が浮き彫りにした「複製可能な生命の不安定さ」をまさに映し出しているのである。

世俗的再生のアイロニー

『エイリアン4』は公開当時、シリーズファンから賛否両論を浴びた。恐怖映画としての純粋さは失われ、代わりにグロテスクなユーモアや人工的な美学が前景化したため、前作までの緊張感を期待した観客にとっては異物に見えたのである。しかし一方で、この作品は90年代的文脈を色濃く映し出したがゆえに、今日振り返ると独自の意義を持つ。

宗教的モチーフの反転、クローン技術をめぐる時代精神の反映、ポストモダン的引用美学の実践――これらは単に「シリーズの失敗作」と切り捨てられるべきものではない。むしろ『エイリアン4』は、『エイリアン』シリーズがいかにその時代ごとの不安と文化的空気を映し出す「社会的鏡」として機能してきたかを示す好例である。

1979年に作られた第1作が描く「未知への恐怖」、1986年第2作の「軍事化された宇宙戦争」、1992年第3作の「贖罪と宗教的終末」、そして1997年第4作の「生命工学とポストモダン的引用」。それぞれの時代精神が、エイリアンという怪物に投影されてきたのだ。

『エイリアン4』は、一見するとシリーズの中でもっとも奇妙で、異質で、まとまりを欠いた作品に見える。しかしその「異質さ」こそが本作の価値である。

タイトルに込められた宗教的響きは、信仰の奇跡ではなく科学の傲慢を指し示し、リプリーの復活は殉教の聖性を脱神話化する。ジュネの映像は恐怖のリアリズムを超えて「人工的な恐怖の見世物」を提示し、それはポストモダン的映画の典型として理解できる。そして背後には、人間クローンをめぐる社会的議論と、生命の複製可能性に対する根源的な不安が脈打っている。

つまり『エイリアン4』は、90年代末の文化的状況を濃縮した、時代の産物なのだ。それは「堕落した復活」「不完全な再生」としてのリプリーを通じて、人類が自らの技術によって「神の領域」を侵犯してしまった時代の寓話を描き出す。

『エイリアン3』が「聖なる贖罪」を提示したのに対し、『エイリアン4』は「世俗的再生のアイロニー」を突きつけたのである。だからこそ、この映画は今なお議論の対象となり、シリーズの中で孤立した異端にして、もっとも時代を映した作品と評価できるだろう。

DATA
  • 原題/Alien:Resurrection
  • 製作年/1997年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/109分
STAFF
  • 監督/ジャン・ピエール・ジュネ
  • 脚本/ジョス・ウェドン
  • 製作/ゴードン・キャロル、デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル、ビル・バダラート
  • 撮影/ダリウス・コンジ
  • 音楽/ジョン・シー・フリゼール
  • 美術/ナイジェル・フェルプス
CAST
  • シガニー・ウィーバー
  • ウィノナ・ライダー
  • ロン・バールマン
  • ドミニク・ピノン
  • ゲイリー・ダーダン
  • マイケル・ウィンコット
  • キム・フラワーズ
  • ダン・ヘダヤ
  • ジェイ・イー・フリーマン
  • ブラッド・ドゥーリフ