『ガタカ』(1997)
映画考察・解説・レビュー
『ガタカ』(原題:Gattaca/1997年)は、遺伝子によって人生が決定づけられる近未来社会を舞台に、“不適性者”として生まれた青年ヴィンセント(イーサン・ホーク)が宇宙飛行士を目指す物語である。アンドリュー・ニコル監督は、人工的な秩序と完璧な美の裏に潜む人間の痛みを描き出し、デザインと倫理が交錯する冷たい未来を提示する。
フランク・ロイド・ライトと埃のない世界
『ガタカ』(1997年)は、予言の書である。アンドリュー・ニコル監督が描いたのは、遺伝子という名の神に支配された未来で、運命に中指を立てた男たちの、静かで熱い魂のレジスタンス。NASAが「最も現実的なSF映画」の第1位に選んだのも納得の、スーパー大傑作である。
まず、この映画がなぜ四半世紀以上経った今も全く古びないのか? その秘密は、アンドリュー・ニコルが徹底して排除したCGと、プロダクション・デザインの勝利にある。
舞台となる遺伝子適正者たちの殿堂「ガタカ社」。ロケ地として選ばれたのは、建築の巨匠フランク・ロイド・ライトが設計したカリフォルニア州のマリン郡庁舎だ。
あの優美な曲線と、空へと伸びる有機的なコンクリートの美しさ!ニコル監督はこの実在の建築物を未来の神殿に見立て、あえて時代を特定できない空間を作り上げた。
登場する車も、1960年代のシトロエン・DSやローバー・P6といったクラシックカー。だが、その駆動音は電動(EV)のヒュンヒュンという音に差し替えられている。
スーツはミニマルな黒、髪はポマードで撫で付けられ、家具はミッドセンチュリー。このレトロ・フューチャーな演出こそが、本作をチープなSFから普遍的な寓話へと格上げしているのだ。ニコルは「未来とは、過去のデザインが洗練されて残ったものだ」と定義し、流行り廃りのあるガジェットを画面から追放したのである。
撮影監督スワヴォミール・イジャック(キェシロフスキ監督の『トリコロール/青の愛』)が作り出した映像世界には、いっさいの埃が存在しない。
画面は常に黄金色のフィルター(温かみのある偽りの光)か、冷徹な青(実験室の光)で支配され、塵一つ落ちていない。これは、不純物(=不適正者)を許さない優生学社会のメタファーだ。
この息詰まるような完璧な構図の中で、主人公ヴィンセント(イーサン・ホーク)が必死にこすり落とす垢や、抜け落ちる一本の睫毛。それら生身の汚れが、どれほどサスペンスフルに描かれているか!
美しい建築空間と、そこにしがみつく人間の汚い必死さ。この対比の残酷な美しさに、我々は冒頭から脳を焼かれるのである。
ジュード・ロウが演じた、完全なる絶望
本作を語る上で避けて通れないのが、ジュード・ロウ演じるジェローム・ユージーン・モローの存在だ。当時まだブレイク前夜だったジュード・ロウの、あの透き通るような美貌と、車椅子の上から放たれる傲慢な殺気。彼こそがこの映画の影の主役であり、真の犠牲者である。
ジェロームは、すべての遺伝的パラメーターにおいて「完璧」だった。金メダルを約束されて生まれた男。しかし、彼は銀メダルに終わった。その屈辱に耐えきれず、自ら車に飛び込み下半身不随となる。彼は「完璧であること」を社会から強要され、その呪いに殺された男なのだ。
対するヴィンセントは、「神の子」と呼ばれる自然妊娠で生まれた不適正者。心臓疾患のリスク99%、推定寿命30.2歳。 この二人が契約を交わす。「俺は君に夢(宇宙)をやる。君は俺に身体(ID)をくれ」。この共犯関係のなんとエロティックで悲痛なことか!
特筆すべきは、ジェロームが這いつくばって螺旋階段(DNAの二重らせん構造の暗喩)を登るシーン。彼は自らのプライドをかなぐり捨て、ヴィンセントのために、そしてかつて自分が捨てた夢のために、腕の力だけでDNAの階段を登り詰める。あの瞬間のジュード・ロウの形相は、演技を超えた何かが憑依していた。
彼はヴィンセントの中に、かつて自分が持っていたはずの不確定な情熱を見たのだろう。だからこそ、彼は自分の血液、尿、皮膚、すべてをヴィンセントに捧げた。
それは友情などという生ぬるい言葉では括れない。二人は二人で一つの生命体となり、システムという巨大な壁に風穴を開けようとした共犯者なのである。ユマ・サーマン演じるヒロインとのロマンス以上に、この男二人の魂の結合こそが、本作の真のラブストーリーではないか。
「可能性」という名の宇宙へ
物語のクライマックス、ヴィンセントと弟アントンの兄弟対決である遠泳シーン。 遺伝子レベルで優れているはずの弟が溺れかけ、なぜ劣っている兄が勝てるのか? その問いに対し、ヴィンセントが放つセリフは、映画史に残るパンチラインだ。
「戻ることは考えず、全力で泳いだ(I never saved anything for the swim back.)」
これだ! これこそが、本作が提示する「人間の証明」なのだ。 遺伝子やデータは、あくまで確率と統計に過ぎない。それは「安全に戻るための計算」だ。
しかし、人間が限界を超える瞬間とは、帰路の燃料を捨て、不確実な闇に向かって全チップをベットした時だけなのだ。アンドリュー・ニコルは、クリスパー・キャス9(ゲノム編集技術)が現実となりつつある現代社会に、25年も前からこの警鐘を鳴らしていた。運命は遺伝子に書かれているのではない。お前の意思が選ぶのだ、と。
ラストシーンの対比は、涙なしには見られない。 ヴィンセントはロケットに乗り込み、星の海へと旅立つ。その時、地上ではジェロームが自宅の焼却炉に入り、銀メダルを首にかけて自らを燃やす。炎の色は、ロケットの噴射炎と重なり合う。
ジェロームは死んだのではない。彼はヴィンセントというロケットの一部となり、共に宇宙へ行ったのだ。マイケル・ナイマンのあまりにも美しく切ないスコア『The Departure』が流れる中、完璧な男は灰となり、欠陥だらけの男が星になる。
『ガタカ(GATTACA)』というタイトルは、DNAの塩基配列(G・A・T・C)のみで構成されている。クレジットタイトルで、出演者の名前からこの4文字だけが強調表示される演出に気づいただろうか?
私たちは皆、ただの記号の羅列に過ぎないかもしれない。 だが、この映画を見終わった後、誰もが自分の胸に手を当て、鼓動を確認したくなるはずだ。そこには、データでは決して計測できない、熱く、不確かで、無限の可能性を秘めた魂が脈打っている。
- 監督/アンドリュー・ニコル
- 脚本/アンドリュー・ニコル
- 製作/ダニー・デヴィート、マイケル・シャンバーグ、ステイシー・シェール
- 制作会社/ジャージー・フィルムズ、コロンビア ピクチャーズ
- 撮影/スワヴォミール・イジャック
- 音楽/マイケル・ナイマン
- 編集/リサ・ゼノ・チャーギン
- 美術/ヤン・ロールフス
- 衣装/コリーン・アトウッド
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