『エイリアン』──リドリー・スコットが創造した“母胎の悪夢”
『エイリアン』(原題:Alien/1979年)は、宇宙貨物船ノストロモ号の乗組員が、未知の生命体に襲われる恐怖を描いたSFホラーである。探索チームが不時着した惑星で異形の卵を発見し、寄生生物が船内へ侵入。乗組員たちは逃げ場のない密室で、ひとりまたひとりと犠牲になっていく。
恐怖と欲望の無意識的構造を影した異形のモニュメント
1979年の『エイリアン』は、ハリウッドSF映画の転換点であると同時に、恐怖と欲望の無意識的構造をスクリーンに投影した異形のモニュメントである。
その成立過程においてまず称賛されるべきは、脚本家ダン・オバノンだろう。ジョン・カーペンターと組んだ『ダーク・スター』(1974年)で、脚本・特殊効果・編集・おまけに出演まで兼ねたオバノンは、そこでの経験をさらに昇華させ、本格的なSFホラー映画『Memory』を執筆する。
やがて脚本はブランディワイン・プロダクションズに買い取られ、ウォルター・ヒルによる改稿を経て、『エイリアン』として結実。その監督に抜擢されたのが当時新鋭だったリドリー・スコットであり、その運命的な邂逅こそが本作を映画史に刻み込むことになる。
造形美術を担ったのは、スイスの異端芸術家H・R・ギーガー。彼のバイオメカニカルな意匠は、金属と肉体、機械と粘膜の境界を撹乱し、観客に不穏な生理的嫌悪を喚起する。
そのデザインの源泉には、明確に性的象徴がある。エイリアンの頭部は黒光りする男根のメタファーであり、その出自から死に至るまでのプロセスは、生殖の強迫観念に支配されている。ギーガー自身が描いたエマーソン・レイク・アンド・パーマー『Brain Salad Surgery』(1973年)のアルバム・ジャケットに、当初ペニスを直接描き込んでいた逸話は、彼のイメージの根幹を物語るだろう。
フロイト的「不気味(Unheimlich)」の表現
ここで注目すべきは、エイリアンが単なる「怪物」ではなく、フロイト的な意味での「不気味なもの(Unheimlich)」である点だ。
精神科医ジークムント・フロイトは、1919年に発表した論文「Das Unheimliche(不気味なもの)」において、「不気味なものとは、親密なものが反転し、異物として回帰する現象」と喝破した。全く未知のものではなく、本来は馴染み深く安心できるはずのものが、ある瞬間に異様さを帯びてしまう。その心理的揺らぎこそが「不気味」の本質なのだと。
『エイリアン』における不気味さは、まさにこの構造に支えられている。ノストロモ号は、乗組員にとって生活空間であり「家」に相当するが、その内部は次第に異物化し、閉ざされた「子宮空間」へと転化していく。
エイリアンの造形もまた、人間の身体器官――牙や皮膚、そして性的象徴――を素材としており、見慣れたものの組み合わせだからこそ、異様な「不気味さ」を醸成する。
フェイスハガーの寄生/誕生のプロセスは、人間の最も親密な営み=生殖を模倣しつつ歪めている。本来は生命を生み出すプロセスが、死と破壊をもたらす儀式へと変質している点に、「不気味」の論理が透けて見える。
つまり『エイリアン』の恐怖は、単に怪物に襲われる外的脅威ではなく、「私たちの身体や生活空間に内在する親密さが、突如として異形に変貌する」という不気味の体験そのものなのだ。
親密なものが異物化し、無意識の抑圧が回帰する現象。それはラカン的に言えば、ファルス(権力と支配の象徴)が想像界を侵犯する出来事として理解できる。母胎を思わせる密閉空間ノストロモ号に侵入するエイリアンは、主体を解体する異物として、観客の心的均衡を破壊する。
リプリーとファイナル・ガール
ジェンダー批評の観点からも、『エイリアン』は画期的だった。ラストに生き残るリプリーは、映画批評家キャロル・J・クローバーが後に「ファイナル・ガール」と呼ぶ概念を、SF映画において先取りする存在である。
「ファイナル・ガール」とは、スラッシャー映画において最後に生き残り、殺人鬼に対峙する女性主人公を指す。『ハロウィン』シリーズのローリーにせよ、『エルム街の悪夢』シリーズのナンシーにせよ、はたまた『13日の金曜日』のアリスにせよ、彼女たちは同伴者の男性や性的に奔放な女性キャラクターが次々と犠牲になる中で、最終的に「生存」と「殺戮」の主体を担う。この構造は、恐怖映画が観客に「女性の視点」を強制する仕組みを明らかにし、ジェンダー役割の転倒を内包している。
『エイリアン』におけるリプリーは、まさにこの典型だ。彼女はジェンダー的に中性的な存在であり、クライマックスにおける下着姿のシーンでさえ、観客の欲望を挑発するというよりは「脆弱な肉体が恐怖に晒される」という文脈に回収されている。
さらに、彼女は最終局面で知性と判断力を発揮し、全クルーが壊滅した後に唯一生き残る。これは従来のSF映画で描かれてきた「男性英雄の勝利」というパターンを大きく覆すものだった。
加えて重要なのは、リプリーの勝利が単なる「女性による代替的英雄」ではない点だ。彼女は銃火器によって敵を圧倒するわけではなく、知略と冷静さによってエイリアンを宇宙空間へ排除する。この「女性的」とされてきた資質――忍耐・観察・冷静な判断――が生存の鍵となる点に、従来の男性中心的なヒーロー像の転倒が読み取れる。
こうした意味で『エイリアン』は、スラッシャー映画における「ファイナル・ガール」の構造をSF映画に移植し、さらに女性主体のヒロイズムを正面から提示した先駆的作品であると言える。リプリーは単に怪物に勝った「生存者」ではなく、映画史的に「女性の主体性がホラー=SF領域で初めて勝利した瞬間」を体現する存在だったのである。
しかも対峙するのは、男根のメタファーとしてのエイリアン。つまりこの映画は、女性主体の勝利を描きながらも、同時に男性的ファンタジーの視線にさらされるという、二重の構造が潜んでいる。この映画は、男根主義的恐怖と女性の主体性を同時に可視化する、矛盾をはらんだテクストとも言える。
実は、ダン・オバノンとロナルド・シャセットによる初期脚本「Star Beast」では、登場人物はすべて「ユニセックス」として設計されていた。脚本には「The crew is unisex and all parts are interchangeable for men or women(乗組員はユニセックスで、すべての役は男女問わず交換可能)」と明記されていたのである。
リドリー・スコット監督は、当初リプリー役を男性キャラクターとして考えていたが、20世紀フォックスの社長アラン・ラッド・ジュニアから「なぜリプリーを女性にしないのか?」と提案したことを受けて、女性に変更する決断を下す。
リプリー役の性別変更は、脚本のジェンダー中立性と制作陣の意図が相まって実現したものであり、結果として『エイリアン』はSFホラー映画における女性主人公像を刷新することとなった。
リドリー・スコットの演出美学
リドリー・スコットの演出は、このテクストの二重性を視覚的に増幅する。彼は極端にコントラストを効かせた逆光やスモークを多用し、光と闇の境界を不安定化させる。
カラヴァッジョ的な明暗法を思わせるショットは、「見えること」と「見えないこと」の間を揺さぶり、観客を視覚的不安の中に閉じ込める。弟トニー・スコットの過剰なカメラワークとは対照的に、リドリーの演出は固定ショットを積み重ねることで、中世絵画にも似た重苦しい荘厳さを漂わせる。
これは筆者の個人的意見だが、決して彼はストーリーテラーとして優秀な訳ではない。人物造型に深みは欠けるし、物語に抑揚を与える語り口も決して得意ではない。どう考えても説明不足な『ブレードランナー』(1982年)が、熱狂的なファンのサブテキスト解釈によって補完され、逆にカルト映画化したのはその証左だろう。
そんなリドリー・スコットにとって、『エイリアン』は格好の題材だったはず。複雑な心理劇ではなく、恐怖は一直線に進行する。人間よりも「人間ならざるもの」が躍動する世界。だからこそ、彼のビジュアリズムは最大限に機能したのである。
「未知の恐怖」を体験させる
リドリー・スコットは、本作における恐怖の源泉として「未知」を挙げている。彼は、観客が未知の存在に対して抱く恐怖を描くことで、より深い恐怖体験を提供できると考えた。このアプローチは、映画全体の雰囲気やストーリーテリングに大きな影響を与えることになる。
例えば、エイリアンの姿をクルーが初めて目にするシーンでは、観客がその存在を完全には理解できないように、映像が意図的に不明瞭に描かれている。エイリアンの出現や行動が予測不可能であることも、登場人物たちの恐怖を増幅させる。これらの演出は全て、観客に「未知の恐怖」を体験させることを目的としている。
後年リドリー・スコット監督は『プロメテウス』(2012年)でも「未知の恐怖」をテーマにしているが、同作でエイリアンの起源や目的が明らかにされることで、観客の恐怖感が薄れるのでは?と不安を感じたという。このことからも、彼がいかに「未知の恐怖」をいかに重要視しているかが分かる。
かくして『エイリアン』は、SFホラーの金字塔として揺るぎない地位を確立した。後年リドリー・スコットがどれだけ失敗作や凡作を重ねようと、今なお支持され続ける理由がここにある。『エイリアン』とは単なる娯楽映画ではなく、映像芸術の領域において「恐怖と欲望の無意識」を刻印した、映画史的事件なのだ。
- 原題/Alien
- 製作年/1979年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/117分
- 監督/リドリー・スコット
- 製作/ゴードン キャロル、ウォルター・ヒル、デヴィッド ガイラー
- 脚本/ダン・オノバン
- 原案/ダン・オバノン、ロナルド・シャセット
- 音楽/ジェリー・ゴールドスミス
- 撮影/デレク・ヴァンリント
- SFX/ブライアン・ジョンソン
- 美術/レスリー・ディリー、ロジャー・クリスチャン
- 編集/テリー・ローリングス
- クリーチャーデザイン/H・R・ギーガー
- トム・スケリット
- シガニ-・ウィーバー
- ジョン・ハート
- イアン・ホルム
- ハリー・ディーン・スタントン
- ベロニカ・カートライト
- ヤフェット・コットー



