『フルメタル・ジャケット』(1987)
映画考察・解説・レビュー
『フルメタル・ジャケット』(原題:Full Metal Jacket/1987年)は、スタンリー・キューブリック監督が新兵訓練所とベトナム戦場を二部構成で描いた戦争映画である。過酷な罵声で兵士を均質化するパリス島の訓練と、実戦の混沌が続けざまに襲いかかり、ジョーカーら若い兵士たちは制度の暴力と自我の崩壊の狭間で揺れ動く。人間性が剥ぎ取られていく過程と、戦場で無感情に笑うしかない瞬間が重なり、戦争そのものが生む狂気の構造が冷徹に浮かび上がる。
ベトナム戦争映画群の中での位置づけ
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という訳で、初っ端からテンション高めでお送りしております。『フルメタル・ジャケット』(1987年)でございます。最後まできちんとレビューを読みやがれ、この(自粛)野郎ども!!このクサレ(自粛)ども!!(自粛)が(自粛)で(自粛)しやがれ!!ファ~~~~~~ック!!!
『フルメタル・ジャケット』の不幸は、公開が完全に“ベトナム・フィーバー”期と重なってしまったことにある。オリバー・ストーンの『プラトーン』(1986年)、ジョン・アーヴィンの『ハンバーガー・ヒル』(1987年)、ブライアン・デ・パルマの『カジュアリティーズ』(1989年)、さらに『7月4日に生まれて』(1989年)と、雨後のタケノコのごとくベトナム戦争映画が量産されていた。
これらの作品群が描いたのは、ジャングルでの戦闘や戦争がもたらすトラウマといった“戦場のリアル”である。対してキューブリックが選んだ焦点は、戦場そのものよりも“兵士が人間から兵器へと変貌する過程”だった。
したがって本作は、同時代のベトナム映画群と並べられるよりも、むしろ“兵士映画”という独自のジャンルに属するのではないか。ニューヨーク・ニューズデイによる「ベトナムは単なる背景に過ぎない」という映画評は、この構造を的確に言い当てている。
この視点を広げれば、『フルメタル・ジャケット』は単にベトナム戦争映画という枠を超え、戦争映画史全体の中でも特異な位置を占めることがわかる。第二次世界大戦を描いた『史上最大の作戦』(1962年)や『パットン大戦車軍団』(1970年)は、戦争を大義や戦略の観点から描き、英雄的な軍人像を提示した。
しかし1960年代末から70年代にかけて、戦争映画は“正義の戦争”を描く路線から逸脱し始める。『ディア・ハンター』(1978年)はベトナム従軍経験をトラウマの源泉として描き、『地獄の黙示録』(1979年)は、戦争そのものを狂気の旅に変えた。
キューブリックはこの流れを受け継ぎつつ、さらに一歩進めて「戦争を描く」のではなく、「戦争が人間をいかに作り変えるか」を冷徹に提示したのである。
この転換は、戦争映画が「英雄の物語」から「制度と個人の破壊劇」へと変質する過程を象徴している。『フルメタル・ジャケット』は、その分水嶺に位置づけられる作品なのだ。
言葉の暴力と狂気
本作を語る上で避けて通れないのが、パッキリと分かれた二部構成スタイル。前半はサウスカロライナ州パリスアイランドの海兵隊訓練基地。後半はテト攻勢下のベトナム戦場。まったく別の映画のようでいて、両者は明確な因果律で結ばれている。
すなわち、前半で描かれるのは「制度的暴力による人格破壊の過程」であり、後半は「破壊された人間がどのように機能するか」の帰結。二部構成は分断ではなく、プロセスとアウトカム(結果)の関係なのだ。この構造理解こそが、『フルメタル・ジャケット』を単なるベトナム映画から一段上の寓話へと押し上げている。
キューブリックのフィルモグラフィー全般に通底するモチーフといえば、“狂気”。『時計じかけのオレンジ』(1971年)ではルドビコ療法、『シャイニング』(1980年)では心霊現象を通じて狂気が生成された。だが『フルメタル・ジャケット』の場合、狂気は圧倒的な“言葉”によって触発される。
リー・アーメイ演じるハートマン軍曹の、マシンガンのような罵詈雑言。ヴィンセント・ドノフリオ扮する訓練兵パイルはその標的となり、徹底的に精神を蝕まれ、ついには自死に至る。言葉は暴力以上に即効性を持つ精神破壊装置であることを、キューブリックは冷酷に描き出す。
この点で『フルメタル・ジャケット』は、映像そのもので狂気を生成する『シャイニング』とは対極にある。言語が狂気の生成装置として機能するというアイデアは、映画史上きわめて特異だ。
狂気を体現するキャラクター、視覚と音楽
本作に登場する人物たちは、それぞれが制度の暴力と狂気の寓話的側面を体現している。ジョーカー(マシュー・モディーン)はその最たる例だろう。
彼のヘルメットには「BORN TO KILL」と書かれている一方、胸には平和マークが掲げられている。この矛盾は、兵士という存在が抱え込む二律背反そのもの。キューブリックはその姿に冷ややかな視線を向ける。
一方、訓練兵パイルは、もっとも無垢であるがゆえに最も徹底破壊される存在だ。彼はハートマン軍曹の言葉の弾丸を正面から浴び続け、人格を粉砕されていく。その過程は、言語が人間を狂気へと追いやる臨床的な記録のようですらある。
ハートマン軍曹(リー・アーメイ)は、決して個の狂気の表象ではない。彼は軍隊という制度そのものの代弁者であり、規律と暴力の代理人として登場する。軍曹は怒号と罵声を浴びせ続けるが、それは個人の激情ではなく、制度が個人を破壊するための言語装置として機能している。
狂気は言葉だけでなく、視覚的・聴覚的にも強化される。訓練兵は丸坊主にされ、同一の制服を着せられ、番号で呼ばれる。個性を剥奪されることで“兵士=部品”として均質化される。この過程を、カメラは整然とした隊列のトラッキングショットで強調する。映像そのものが制度の暴力をなぞるのだ。
さらにラストシーンの「ミッキーマウスマーチ」。子供向けの無邪気な歌を兵士たちが歌いながら行進する光景は、狂気と無垢さの背反を象徴している。
これは『時計じかけのオレンジ』における「雨に唄えば」のアイロニカルな使用と同型。ポップカルチャーを反転させることで、キューブリックは戦争の狂気をより鮮烈に刻み込む。
批評史的受容
公開当時、『フルメタル・ジャケット』は賛否両論を巻き起こした。とはいえ、『プラトーン』のようにアカデミー賞を総なめにすることもなく、『地獄の黙示録』ほどのカルト的熱狂も呼ばなかった。
その理由のひとつは、作品がベトナム戦争という「重い題材」を扱いながら、あまりに冷徹で臨床的な視点を貫いたからだろう。
しかし後年、批評家ケネス・カーヒルは「キューブリックは戦争映画を作ったのではなく、言語を媒介にした制度批判の寓話を提示した」と評し、またジョナサン・ローゼンバウムは「戦場のリアルを描くことを拒否したからこそ、この映画は普遍的な暴力の寓話として生き延びた」と指摘した。90年代以降、本作は単なるベトナム映画ではなく、社会批評的テキストとして再評価されることになったのである。
さらに2000年代、アメリカは再び「終わらない戦争」に突入した。キャスリン・ビグローの『ハート・ロッカー』(2008年)は、爆発物処理班の兵士を描くことで戦場中毒という現象を提示し、クリント・イーストウッドの『アメリカン・スナイパー』(2014年)は、狙撃手クリス・カイルの実像を通じて英雄視と精神崩壊の狭間を描いた。
これらの作品に共通するのは、兵士の内面を精緻に掘り下げるアプローチだ。しかし『フルメタル・ジャケット』が提示したのは、もっと根源的な問題──人間が兵士になる過程そのものが狂気の生成である、という冷酷な真理。
イラク戦争映画が兵士の「個人史」を描くのに対し、キューブリックは兵士の「生成史」を描いた。だからこそ本作は、時代を超えて読まれるのである。
言葉の映画としての『フルメタル・ジャケット』
キューブリックの作品群を俯瞰すると、『フルメタル・ジャケット』は“狂気三部作”の一角を占める存在といえるだろう。
『時計じかけのオレンジ』では矯正による狂気、『シャイニング』では孤立による狂気、そして『フルメタル・ジャケット』では制度による狂気。それぞれが異なる装置を媒介として人間を狂気へと追いやる。
キューブリックは一貫して、人間の自由意志が外部の力によって破壊される瞬間を描き続けた監督だった。ゆえに本作は、単なる戦争映画というより、キューブリックの哲学を体現した作品として理解すべきなのだ。
戦闘シーンを市街地にもってきたこと、ステディカムを駆使したダイナミックなカメラ、ローリング・ストーンズ「Paint It Black」のクールな挿入──そうした美辞麗句に値する要素は数多い。だが最終的にこの映画を規定しているのは、やはり“言葉”である。
言葉が兵士を狂気に追いやり、観客を戦場に立ち会わせる。制度の言葉が人間を破壊するのなら、批評の言葉もまた制度に抗うために過激でなければならない。だからこそ本作を語るとき、批評の言葉もまたFワードでなければならないのだ。
ファック!ファック!!ファ~~~~~~ック!!!
- 原題/Full Metal Jacket
- 製作年/1987年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/116分
- 監督/スタンリー・キューブリック
- 脚本/スタンリー・キューブリック、マイケル・ハー、グスタフ・ハスフォード
- 製作/スタンリー・キューブリック
- 製作総指揮/ジャン・ハーラン
- 原作/グスタフ・ハスフォード
- 撮影/ダグラス・ミルサム
- 音楽/アビゲイル・ミード
- 編集/マーティン・ハンター
- 美術/アントン・ファースト
- 録音/エドワード・タイズ
- マシュー・モディン
- アダム・ボールドウィン
- ヴィンセント・ドノフリオ
- R・リー・アーメイ
- ドリアン・ヘアウッド
- ケビン・メジャー・ハワード
- アーリス・ハワード
- エド・オーロス
- ジョン・テリー
- キアソン・ジェキニス
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