『マトリックス』(1999)
映画考察・解説・レビュー
『マトリックス』(原題:The Matrix/1999年)は、ウォシャウスキー兄弟が生み出した20世紀末の映像革命。ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』(1981年)の思想を背景に、日本アニメ『攻殻機動隊』やウィリアム・ギブスンのサイバーパンク文学、香港アクションの身体美学を融合させた本作は、仮想現実と人間の覚醒を描く神話的寓話として映画史を塗り替えた。ネオの救世主伝説、革新的VFX「バレットタイム」、そして世紀末的な不安を投影した世界観を徹底解説し、難解な哲学と普遍的娯楽を架橋した21世紀のスタンダードSFの意義を考察する。
ボードリヤールの思想と映画
『マトリックス』(1999年)は、20世紀末の映像文化を象徴する決定的作品である。
日本のアニメーション、とりわけ押井守の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995年)の影響、ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』(1984年)を嚆矢とするサイバーパンク文学の想像力、そして香港カンフー映画の身体的美学が、ハリウッド映画の語法に見事に結実した。
だが本作の思想的支柱をなしているのは、フランスの哲学者ジャン・ボードリヤールによる『シミュラークルとシミュレーション』(1981年)である。
ボードリヤールは、現代社会ではもはや「オリジナル」や「実像」は存在せず、参照元のないコピー=シミュラークルが無限に循環していると主張した。ブランド服の価値が機能性ではなくロゴの記号によって規定されるように、私たちは現実を実体ではなく「記号の体系」として経験している。
『マトリックス』が描くのは、まさにその思考実験の映像化だ。人間が「現実」と信じてきた世界は、実はコンピュータが生成する仮想現実にすぎない。この転倒は、ボードリヤールの思想を映像の形で大衆に提示した。
しかしながら、ボードリヤール本人はこの映画を否定している(!!)。映画が描いたのは現実と虚構の単純な二元対立であり、彼の思想の核心である「現実と虚構の境界そのものが崩壊している」という問題を単純化してしまったからだ。
2004年に行われたル・ヌーヴェル・オブザヴァトゥール(Le Nouvel Observateur)でのインタビューで、彼は
この映画は、マトリックスが作るだろうマトリックス映画だ
と表現している。『マトリックス』はボードリヤール哲学の正確な映像化ではなく、むしろその誤読を通して初めて普遍的な娯楽作品として成立したのだ。
サイバーパンクと香港アクション
この映画の思想的枠組みを支えるもう一つの柱が、サイバーパンク。ウィリアム・ギブスンが『ニューロマンサー』(1984年)で描いたのは、ネットワークに侵入するハッカーたちの電脳世界と、退廃した都市の暗い風景。そこには匿名性、疎外感、資本による管理社会といった冷徹なリアリズムが漂っていた。
『マトリックス』もまたハッカーの物語を出発点とするが、ウォシャウスキー兄弟はそこに、宗教的エッセンスをブチ込む。救世主=ネオが覚醒し、世界を救済するという構造は、キリスト教神話やギリシャ神話を想起させる。
つまりこの映画は、サイバーパンクの退廃的リアリズムを神話的寓話へと変換することで、物語に普遍性を与えた。ここに、同時代の他のサイバーパンク映画との決定的な差異がある。
映像表現において特筆すべきは、香港アクションの導入だ。ガン・アクションとカンフーを融合させたスタイルは、当時のハリウッドにとって異質だったが、それは単なる趣味的オマージュにとどまらない。「仮想世界では物理法則を超えられる」という設定を観客に直感的に伝えるためには、ワイヤーアクションによる宙を舞う身体以上の説得力はないからだ。
身体が重力を裏切り、スローモーションの中で自在に運動する姿は、現実と虚構の境界を越境する人間像そのものである。ウォシャウスキー兄弟が導入したバレットタイムなどの革新的VFXも、この身体的表現を支えるために用意された。映像技術と身体表現が理想的に結びついた点こそ、『マトリックス』のアクションの真価である。
1999年の時代精神、『ブレードランナー』との対照
公開された1999年という時代背景も無視できない。ミレニアムを目前に控えた世界は、Y2K問題に象徴されるテクノロジーへの不安に覆われていた。インターネットが急速に普及しつつあるなかで、人々の生活と情報空間の境界が急激に曖昧化していた。
『マトリックス』の「世界はコンピュータによって構築された仮想である」という発想は、この時代精神を映し出した寓話であり、世紀末的な不安と呼応していたのである。
映画史的な文脈で言えば、『ブレードランナー』(1982年)との対照は興味深い。リドリー・スコットの作品は、退廃した都市のリアリズムを徹底的に描出し、ヴァンゲリスの音楽とともに重厚で陰鬱な世界観を形成した。
それに対して『マトリックス』は、同様の退廃的都市像を基盤にしつつも、黒ずくめの衣装やサングラスに象徴される様式美を打ち出し、インダストリアルやヘヴィメタルを用いたサウンドによってより攻撃的で鮮烈なエネルギーを提示した。
両者は同じサイバーパンク的系譜に属しながら、「冷徹な陰」と「様式美的な陽」として対照を成している。
シミュラークルとしての循環
『マトリックス』は、難解な哲学やサブカルチャーの断片を散りばめながらも、それを独善的なオタク的世界に閉じこめるのではなく、普遍的な娯楽へと昇華した。
さらにユング心理学やギリシャ神話、数学理論といったモチーフを隠し味としてちりばめ、新しいVFX技術を駆使することで、思想と娯楽を両立させた。このバランス感覚こそが、同作を単なるカルト映画ではなく、メジャーなポップカルチャーの中心へ押し上げた最大の理由である。
その後の影響力は計り知れない。DVD市場で驚異的な売り上げを記録し、無数の模倣作が生まれたことによって、『マトリックス』自体がボードリヤールの言う「参照元のないコピー」の連鎖に組み込まれていった。
つまり本作は、シミュラークルを主題として描いただけでなく、自らがシミュラークルとして流通する存在へと変貌したのである。
- 原題/The Matrix
- 製作年/1999年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/136分
- ジャンル/SF、アクション
- 監督/ラナ・ウォシャウスキー、リリー・ウォシャウスキー
- 脚本/ラナ・ウォシャウスキー、リリー・ウォシャウスキー
- 製作/ジョエル・シルヴァー
- 製作総指揮/バリー・M・オズボーン、アンドリュー・メイソン、ラナ・ウォシャウスキー、リリー・ウォシャウスキー、アーウィン・ストフ、ブルース・バーマン
- 撮影/ビル・ポープ
- 音楽/ドン・デイヴィス
- 編集/ザック・スタンバーグ
- 美術/オーウェン・ペイターソン
- 衣装/キム・バレット
- SFX/ジョン・ゲイター
- キアヌ・リーヴス
- ローレンス・フィッシュバーン
- キャリー=アン・モス
- ヒューゴ・ウィーヴィング
- グロリア・フォスター
- ジョー・パントリアーノ
- マーカス・チョン
- ポール・ゴダード
- ジュリアン・アラハンガ
- マット・ドーラン
- ベリンダ・マクローリー
- レイ・パーカー
- マトリックス(1999年/アメリカ)
- マトリックス レボリューションズ(2003年/アメリカ)
- マトリックス リローデッド(2003年/アメリカ)
- マトリックス(1999年/アメリカ)
- マトリックス リローデッド(2003年/アメリカ)
- マトリックス レザレクションズ(2021年/アメリカ)
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