『ミッション:インポッシブル3』(2006)
映画考察・解説・レビュー
『ミッション:インポッシブル3』(2006年)は、J・J・エイブラムスが映画監督デビューを飾ったシリーズ第3作。イーサン・ハント(トム・クルーズ)はIMFを離れ、平穏な生活を望みながらも、新たな脅威に直面して再び戦いの最前線へ引き戻される。冷徹な武器商人オーウェン・デイヴィアン(フィリップ・シーモア・ホフマン)が狙う“ラビットフット”をめぐり、チームは欺瞞と裏切りが錯綜する任務へ身を投じていく。極秘作戦の連鎖と個人の危機が交差する中、イーサンは仲間と愛する者の運命を懸けた決断を迫られる。
紆余曲折の制作過程
いよいよシリーズ第3弾となる『ミッション:インポッシブル3』(2006年)。だが、その製作自体がまさしく“ミッション・インポッシブル”だったらしい。
もともと監督には、鬼才デヴィッド・フィンチャーが予定されていた。『セブン』(1995年)や『ファイト・クラブ』(1999年)の成功で、当時もっとも脂の乗った映像作家であった彼は、巨大セットの建設や革新的なVFXを要求し、さらには「前代未聞のスケボー撮影をやりたい」と豪語したという。だが、その構想は予算規模を天井知らずに膨張させ、スタジオは青ざめ、結局フィンチャーは早々に降板する。
次に白羽の矢が立ったのは、クライム・サスペンス『NARC ナーク』(2002年)で評価を得たジョー・カーナハンだった。トム・クルーズ自身が製作総指揮を務め、彼の手腕に大きな期待を寄せていたという。
だがクランクイン直前になって、カーナハンは「創作上の食い違いがある」としてドタキャン。撮影は延期され、製作は暗礁に乗り上げる。結果的に、ハリウッドの第一線監督たちが次々とプロジェクトから離脱するという前代未聞の事態となった。
その“窮余の策”として抜擢されたのがJ・J・エイブラムスである。当時の彼は映画監督としては無名に近く、むしろ『エイリアス』(2001〜2006)や『LOST』(2004〜2010)といったテレビシリーズの成功で知られていた。映画界からすれば「誰だ?」という声が上がっても不思議ではない。
しかし、その後の彼のキャリア──『スター・トレック』(2009年)、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015年)──を振り返れば、この人選こそシリーズにとっての大転換点だったと言える。
テレビ畑から来た監督の“ミステリーボックス”
エイブラムスの作風を一言で表すなら「謎を提示し、解答は先送りする」方法論だろう。彼自身が提唱した“ミステリーボックス理論”は、『LOST』に象徴されるように、観客を次々と謎で引き込みながら、決定的な答えを明示しないまま物語を進行させる手法である。
『ミッション:インポッシブル3』においてその代表例となるのが「ラビットフット」である。トム・クルーズ演じるイーサン・ハントが必死に追い求めるその物体は、最後まで正体が明かされない。
観客は「一体何なのか?」と気になるが、映画はあえて説明を省き、「極めて重要な何か」であることだけを示す。これはヒッチコックが提唱した“マクガフィン”の典型である。
スパイ映画におけるマクガフィンの系譜を振り返れば、『北北西に進路を取れ』(1959年)の“政府機密”や、『007』シリーズの“世界征服兵器”など、観客に詳細は伝えず、ただ物語を動かす駆動装置として機能させてきた。
本作もその伝統に連なりながら、同時にエイブラムス流のテレビ的謎提示法をハリウッド大作に輸入した点で画期的だった。
スパイ映画の記号をサンプリングする
『ミッション:インポッシブル3』の物語構造は、あえて驚くほどステレオタイプに組み立てられている。「変装によるすり替え」「味方と思っていた人物が実は敵」「恋人を人質にとられての葛藤」──スパイ映画の“お約束”がこれでもかと詰め込まれる。
さらにラストは、愛する女性に正体を告白し、仲間に祝福されながら新婚旅行へ……という、ほとんどパロディのような幕切れだ。
この徹底的なジャンル記号のサンプリングは、いわゆる“シミュラークル”の操作だ。すなわち、元ネタが明白であるがゆえに、観客は「これはあの展開だ」と即座に理解する。
物語の独創性を放棄する代わりに、スパイ映画というジャンルのイメージをコピー&ペーストし、その反復の快感を提供するのである。だからこそ本作には、ビッグバジェット作品でありながらB級テイストが漂う。オリジナリティを削ぎ落とし、純粋なアクションの快楽に特化する──その割り切りこそがエイブラムス流の戦略だった。
物語の抽象性を支えているのは、俳優たちの身体そのもの。トム・クルーズの「走る身体」は、シリーズを象徴するアイコンとなった。本作でも彼は疾走し続ける。走る姿そのものが、物語の欠落を補完する“意味”として機能しているのだ。観客は「何を追いかけているのか」ではなく、「彼が走っていること」自体に昂揚感を覚える。
そして悪役を演じたフィリップ・シーモア・ホフマン。彼の冷酷で抑制された演技は、マクガフィンの不在がもたらす物語の空白を、逆に説得力のある“恐怖”で埋めている。
彼が「お前の愛する人間を殺す」と淡々と告げる瞬間、観客は“ラビットフット”の正体など気にならなくなる。脅威はすでに明確だからだ。ここにこそ、抽象的プロットと具体的演技が見事に噛み合ったダイナミズムがある。
シリーズ全体における位置づけ
『ミッション:インポッシブル3』をシリーズ史の中に置くと、その意義はより鮮明になる。第1作『ミッション:インポッシブル』(1996年)はブライアン・デ・パルマによるサスペンス・トリック映画であり、第2作『ミッション:インポッシブル2』(2000年)はジョン・ウーの美学が横溢する“銃弾バレエ”だった。そして第3作は、テレビ的プロットとジャンル記号の徹底サンプリングによる“記号論的スパイ映画”である。
つまり本作は、シリーズを単なるアクション映画の連作から、「監督ごとの作家性を前面化させるプロジェクト」へと進化させた。以降のシリーズは、ブラッド・バードやクリストファー・マッカリーといった監督たちがそれぞれの手腕を発揮する場となっていく。
『ミッション:インポッシブル3』は、アウトラインだけを観客に把握させ、「すごく重要なものをすごく悪い人が使おうとしていて、それをトム・クルーズが阻止する」という最小限のプロットで全編を駆動させた。
確かに、オリジナリティはない。だがその割り切りは見事であり、エイブラムスがテレビ文化をハリウッド大作に持ち込んだ最初の瞬間でもあった。『ミッション:インポッシブル3』は、シリーズ随一の「お約束の饗宴」である。
- 原題/Mission Impossible : III
- 製作年/2006年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/126分
- 監督/J・J・エイブラムス
- 脚本/J・J・エイブラムス、アレックス・カーツマン、ロベルト・オーチー
- 製作/ポーラ・ワグナー
- 製作総指揮/ストラットン・レオポルド
- 撮影/ダン・ミンデル
- 音楽/マイケル・ジアッチーノ
- 美術/スコット・チャンブリス
- 衣装/コリーン・アトウッド
- ミッション:インポッシブル(1996年/アメリカ)
- ミッション:インポッシブル3(2006年/アメリカ)
- ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル(2011年/アメリカ)
