『裏窓』(1954)
映画考察・解説・レビュー
『裏窓』(1954年)は、サスペンスの帝王アルフレッド・ヒッチコックによる傑作サスペンス。足を骨折したカメラマンが、退屈しのぎにアパートの住人を覗き見する。ただそれだけのワン・シチュエーション・スリラーでありながら、ここには映画というメディアが持つ「見る/見られる」という根源的な暴力性と、男女の駆け引き(ロマンス)が見事に同居している。
パラマウントの倉庫に出現した「世界」
まず、『裏窓』(1954年)が達成した技術的な偉業について触れねばならない。この映画の舞台となるのは、グリニッジ・ヴィレッジにあるアパートの中庭だ。
主人公ジェフ(ジェームズ・スチュアート)の部屋から見える、向かいのアパートの住人たち。作曲家、ダンサー、新婚夫婦、そして怪しいセールスマン……。驚くべきことに、これらはすべてロケではなく、パラマウント・スタジオのステージ18に建設された、巨大なセットである。
ヒッチコックはこの「箱庭」を完全に支配するために、当時の金額で7万5千ドルを投じ、31戸のアパートすべてに実際に家具を配置し、そのうち12戸には水道と電気を通した。これは単なる背景ではない。ヒッチコックが創造主として君臨するための、完全なる人工世界なのだ。
特に圧巻なのは照明設計。早朝のけだるい光、真昼の暑さ、夕暮れのアンバー、そして夜の闇。ヒッチコックは自然光の変化を完璧にコントロールするため、スタジオの天井を埋め尽くすほどの照明機材を導入した。
あまりの電力消費量に、スタジオ全体のブレーカーが落ちる事故が頻発したという伝説が残っているほど。なぜそこまでする必要があったのか? それは、この映画がヒッチコックにとって、ソ連の映画作家レフ・クレショフが提唱した、クレショフ効果の実践の場だったからだ。
クレショフ効果とは、「無表情の男の顔」のあとに「スープ」の映像を繋げば観客は男を「空腹」だと感じ、「棺桶」を繋げば「悲嘆」を感じるという、モンタージュ理論の根幹である。
本作のジェームズ・スチュアートは、ギプスで固定され、ほとんどのシーンで車椅子に座ったままだ。彼はただ驚いたり、眉をひそめたりする反応を撮られているに過ぎない。
しかし、ヒッチコックの巧みな編集によって、彼の視線の先に下着姿のダンサーがいれば彼は好色な男に見え、花壇を掘り返す犬がいれば疑惑の探偵に見える。
観客は、ジェフの視点(カメラのレンズ)を通してのみ世界を見ることを許される。つまり、この巨大なセットと緻密な編集は、ヒッチコックが観客の心理を自在に操作するために作り上げた、精密な実験装置そのものなのである。
指輪が意味する二重のサスペンスと衣装の魔術
本作の原作はウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)の短編小説だが、映画化にあたりヒッチコックと脚本家ジョン・マイケル・ヘイズは決定的な改変を行っている。
原作では主人公の世話をするのは男性の看護人(サム)だったが、映画ではそれを、毒舌家の看護婦ステラ(セルマ・リッター)と、恋人のファッションモデル・リザ(グレース・ケリー)という二人の女性に変更したのだ。
この変更により、物語は単なる「殺人事件の解明」だけでなく、「結婚を迫る女と、逃げる男」というスクリューボール・コメディの構造を獲得した。
ジェフは足を骨折し、ギプスで固定されている。精神分析的に言えば、これは去勢された男性のメタファー。彼は動けないまま、活動的で完璧な美女リザに圧倒され続ける。
ここで注目すべきは、ヒッチコック映画の常連イーディス・ヘッドによる衣装デザインだ。物語の序盤、リザは「パリ直送の1,100ドルのドレス」を着て登場する。
彼女はジェフにとって「鑑賞すべき美術品」であり、生活感のない異世界の住人だ。しかし物語が進み、彼女が捜査に加担するにつれて、衣装は機能的なスーツへ、そして活動的なカジュアルウェアへと変化していく
彼女が向かいのアパートに侵入し、はしごを登って犯人の部屋へ忍び込むシーン。そこで彼女は、もはや「見られる客体」ではなく、「見る(行動する)主体」へと変貌を遂げている。
そしてクライマックス。リザが犯人ソーワルドの部屋で、証拠となる結婚指輪を発見するシーン。彼女は窓越しにいるジェフに向かって、その指輪を左手の薬指にはめて見せ、背中で手を組んで誇らしげに掲げる。
ここは映画史上最もスリリングで、かつ皮肉なシーンだ。「犯人が戻ってくるかもしれないというサスペンスと同時に、リザはジェフに対して「指輪を手に入れた(=あなたと結婚するわよ)」という勝利宣言を行っているのだ。
命の危険と、独身主義者のジェフが最も恐れる結婚のプレッシャー。この二重の恐怖を同時に突きつけられたジェームズ・スチュアートの引きつった表情こそ、ヒッチコックが狙った英国流ブラックユーモアの極致である。
ピーピング・トムの倫理
かつてフランソワ・トリュフォーは、この映画を「陰惨なゲームだ。ペシミズムを超えて残酷な映画ですらある」と評した(後に『映画術』での対談を経て、ヒッチコックの最高傑作の一つとして絶賛することになるが)。
確かに、他人のプライバシーを勝手に望遠レンズで覗き見し、そこで起きた殺人を娯楽のように消費するジェフの態度は、道徳的に褒められたものではない。しかし、ヒッチコックはスクリーンを通して、「君たちも同じじゃないか?」と観客に問いかける。
映画館の暗闇に座り、安全な場所からスクリーンの向こうの他人の悲劇や情事を覗き見る。映画鑑賞という行為そのものが、本質的に窃視(ピーピング)であり、我々はチケット代を払ってその共犯関係を結んでいるのだ。
犯人役のレイモンド・バーのキャスティングにも、ヒッチコックらしい皮肉が込められている。当時、彼はテレビドラマ『ペリー・メイスン』で正義の弁護士を演じ、日本では『怪獣王ゴジラ』の新聞記者役としても知られる、善人のイメージが強い俳優だった。そんな彼を妻殺しの悪人として起用するギャップ。
さらに興味深いのは、レイモンド・バーの銀髪と風貌、そして眼鏡のスタイルが、かつて『レベッカ』などでヒッチコックと激しく対立したプロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックに酷似しているという点だ。
ヒッチコックは、自らのキャリアをコントロールしようとした憎きプロデューサーを、映画の中で破滅する悪役として葬り去ったのかもしれない。
『裏窓』は、「見ること」の欲望と罪悪感をテーマにした、映画についてのメタ・シネマだ。ラストシーン、両足を骨折してさらに動けなくなったジェフの横で、リザは「ヒマラヤの彼方へ」という冒険小説を読んでいるふりをして、ジェフが眠るとファッション雑誌『ハーパース・バザー』を開く。
男は女に屈服し、日常は戻る。だが、私たちはもう知っている。どんなに平穏に見えるアパートの窓の奥にも、血なまぐさいドラマが潜んでいることを。そして、それを覗きたいという欲望からは、誰も逃れられないことを。
ヒッチコックは、最後の最後まで観客を「共犯者」の席から逃がそうとはしないのだ。
- 監督/アルフレッド・ヒッチコック
- 脚本/ジョン・マイケル・ヘイズ
- 製作/アルフレッド・ヒッチコック
- 制作会社/パラマウント・ピクチャーズ
- 原作/コーネル・ウーリッチ
- 撮影/ロバート・バークス
- 音楽/フランツ・ワックスマン
- 編集/ジョージ・トマシーニ
- 美術/ハル・ペレイラ
- 衣装/イーディス・ヘッド
- 録音/ジョン・コープ
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