『ヒア アフター』(2010)
映画考察・解説・レビュー
『ヒアアフター』(原題:Hereafter/2010年)は、臨死体験をきっかけに三人の男女の運命が交差する、イーストウッド監督による異色のヒューマンドラマ。津波に巻き込まれた女性、霊能力を持つ男、最愛の兄を失った少年──“死”を共有する者たちの孤独と邂逅を静謐に描き出す。
奇妙な王道──古典的形式で語られる異形の物語
古典的ドラマを奇天烈に撮る監督は多いが、奇天烈な題材を古典的に撮る映画作家はそうはいない。
クリント・イーストウッドはまさにその異端の系譜に属する。『ヒアアフター』(2010年)は、一見してどんな物語なのか掴みどころがない。冒頭はスマトラ島の大津波という大パニック・ムービーの装いで始まりながら、次第に臨死体験をめぐる内省的ドラマへと変貌し、最終的にはラブストーリーへと着地する。
筋書きは混乱の極みだが、イーストウッドの揺るぎない古典的演出によって、観終わるころには不可解さよりも“感動した”という情動が残る。この矛盾こそ、イーストウッド映画の本質にほかならない。ジャンルを越境し、物語の重心を意図的にずらすその手法は、映画史的な文法を内側から撹乱する。
本作を牽引するのは、互いに関わりを持たない三人の登場人物だ。津波に巻き込まれ臨死体験をしたフランス人ジャーナリストのマリー(セシル・ドゥ・フランス)、霊能力を持ちながらもその才能を捨て、肉体労働に身を置くアメリカ人男性ジョージ(マット・デイモン)、そして薬物依存の母を支えながら、双子の兄を交通事故で亡くしたイギリス人少年マーカス(フランキー・マクラレン)。
この三人を結びつけるのは、「死後の世界」という曖昧な概念である。イーストウッドは三つの国、三つの言語、三つの死を同列に並べ、編集のリズムによってひとつの精神的空間を構築する。
しかし、三人が終盤で邂逅を果たしても物語は爆発的な展開を見せない。むしろその不発こそが“死”の真実を語っている。人はつながらない、救われない。それでもなお、誰かを求めてしまう――この断絶の感覚を、イーストウッドは静かなカメラで見つめ続ける。
イーストウッド流『めぐり逢えたら』
ジョージが参加する料理教室のシーンは、映画全体の中でも特異な異化効果を生んでいる。メラニー(ブライス・ダラス・ハワード)に目隠しをして食材を食べさせる場面は、異様なまでに官能的で、同時に不穏だ。
食と触覚、死と欲望が交錯するその瞬間、イーストウッドは“生”の感覚を映像に回復させようとする。だがこのロマンスは短命に終わる。メラニーは去り、ジョージは再び孤独に沈む。
観客はその不完全さに戸惑うが、そこにこそ作家の倫理がある。死を見た者が、再び生の温度に触れることはできない。ブライス・ダラス・ハワードの柔らかな微笑みも、彼女の短い出演時間も、この映画ではすべて“失われるもの”として計算されている。イーストウッドは、ロマンスすら儚い幻影として扱うことで、愛と死の間に横たわる断層を露わにしているのだ。
ラストシーン、ジョージとマリーが出会う。パリのカフェの片隅で、互いに見つめ合い、握手を交わす。だがその仕草は祝祭的ではなく、どこか寂寞としている。トム・スターンの沈鬱な映像は、“死”を共有した者だけが理解し合えるという静かな確信を描き出す。
おそらくイーストウッドはこの映画を、ノーラ・エフロンの『めぐり逢えたら』(1993年)のような、すれ違いラブストーリーとして構築している。
運命の二人が邂逅し、結ばれるというロマンティックな定型を踏襲しながら、その表面を陰影で覆い尽くす。幸福の代わりに、死の余韻が残る。つまり『ヒアアフター』とは、“死の世界を共有する者しか愛し合えない”という絶望的な救済劇なのだ。
蓮實重彦が指摘したように、イーストウッドの映画には「やたらなことでは映画に近づくなという脅し」がある。彼の映画は、観る者の安易な感情移入を拒絶しながら、なお心を揺さぶってしまう。その不可解さこそ、イーストウッドの到達点であり、観客が逃れられない呪縛でもある。
奇妙な構造の果てに、我々はふと気づく。『ヒアアフター』とは、“生”よりも“死”を通して他者に触れるための、最も静かなラブストーリーなのだ。
- 恐怖のメロディ(1971年/アメリカ)
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