『ファイヤーフォックス』(1982)
映画考察・解説・レビュー
『ファイヤーフォックス』(原題:Firefox/1982年)は、ソ連の最新鋭ステルス戦闘機ミグ31を奪取する極秘作戦を描いた冷戦スリラー。元戦闘機パイロットの主人公が敵地へ潜入し、国家機密と自らのトラウマに向き合う。スパイ映画とSFアクションを融合させた、80年代的ハイブリッド大作である。
イーストウッドが仕掛ける、闇鍋的ジャンル横断の衝撃
『ファイヤーフォックス』(1982年)、なかなかにヤバい映画である。
これはクリント・イーストウッドという映画界の巨人が、冷戦という当時の超・現実的な恐怖と、SFアクションという超・虚構」な快楽を、無理やりひとつの鍋にぶち込んで煮込んだ、極めて奇妙かつ極上の闇鍋エンターテインメントなのだ。
ファイヤーフォックスとは、ソビエト連邦が開発した、音速の6倍(マッハ6!)で飛行する、架空のステルス戦闘機「ミグ31」のコードネームのこと。
元ベトナム戦争の英雄で、今はPTSDに苦しむパイロットのミッチェル・ガント(イーストウッド)が、ソ連領内に潜入し、この最強の戦闘機を盗み出す。ストーリーはただそれだけ。しかし、この映画の真の凄みは、その構成の歪つさと大胆さにある。
映画が始まってからの1時間半、画面を支配するのは、鉛のように重く、息詰まるようなサスペンスだ。ヒッチコック映画を彷彿とさせるような、正体不明の男たち、暗号、裏切り、そして寒々としたソ連の風景。
ここでは派手な銃撃戦などほとんどない。あるのは、いつ見つかるか分からないという極限の緊張感と、イーストウッドの眉間に刻まれた深い皺だけだ。
このパートのリアリティを支えているのは、1976年の「ベレンコ中尉亡命事件」だ。現役のソ連軍将校が、最新鋭のミグ25に乗って函館空港に強行着陸したあの事件は、当時の世界を、そして日本を震撼させた。押井守が『機動警察パトレイバー2 THE MOVIE』(1993年)で引用したほどの“防空の悪夢”が、ここにある。
ところが、上映時間が残り30分を切った瞬間、映画は突然変異を起こす。ガントがファイヤーフォックスのコクピットに収まり、エンジンに点火したその瞬間、それまでの重厚なスパイ・サスペンスはどこへやら。画面は一転して、ジェット戦闘機によるドッグ・ファイト山盛りの、超ド級アクション映画へと変貌してしまうのである。
高級フレンチのフルコースを食べていたはずが、メインディッシュでいきなり特盛りカツカレーに変わったかのような、暴力的なまでのジャンル転換。
政治がどうした。イデオロギーがどうした。そんなものはアフターバーナーの炎で焼き尽くせと言わんばかりの、潔さ。これこそが、本作が単なる冷戦映画で終わらず、ある種の伝説として語り継がれる所以である。
前半と後半のこの落差、このギャップ萌えを、我々は楽しむべきなのだ。
言語をOS化した、元祖・脳直結型インターフェースの興奮
この映画を語る上で絶対に外せない、最高にクールで、かつ最高にツッコミどころ満載なギミックがある。それが、思考制御システムだ。
ファイヤーフォックス最大の特徴は、パイロットの思考を直接読み取り、ミサイル発射や回避行動に反映させるという、今の言葉で言えばブレイン・マシン・インターフェース(BMI)の先駆けのような技術。
しかし、ここには致命的な縛りがある。ソ連製の戦闘機だから当然なのだが、「思考はロシア語で行わなければならない」のだ!
主人公ガントが選ばれた理由は、彼が卓越したパイロットだからというだけではない。母親がロシア人であり、ネイティブレベルでロシア語思考ができる唯一の男だったからだ。
劇中、最大のピンチに陥ったガントの脳裏に、開発者の科学者の声が響く。「ロシア語で考えろ!(Think in Russian!)」。『スター・ウォーズ』(1977年)における「フォースを使え、ルーク」をまるパクリしたパンチライン。しかし、フォースが神秘的な力であるのに対し、こちらは「言語回路の切り替え」という、極めて具体的な脳内作業を要求する。
面白いのは、この言語の扱い方だ。映画の前半、アメリカ人もソ連人も、とにかく英語を喋りまくる。KGBの幹部同士が密室で英語で陰謀を話し合う光景は、ハリウッド映画特有のお約束であり、ある種の便宜だ。観客に字幕を追わせず、ストーリーに没入させるためのフィルターである。だが、
その英語だらけの世界の中で、唯一、最強の兵器を動かすための鍵だけが、ロシア語という不可侵の領域として残されている。日常会話は英語で処理しつつ、殺戮と生存のためのシステムにはロシア語しか受け付けない。
つまり、言語を単なるコミュニケーションツール(合言葉)としてではなく、兵器を稼働させるためのOS(オペレーティングシステム)として描いているのだ。
ガントは敵国に肉体的に潜入するだけではない。自分の脳内、思考の最も深いレベルに、敵の言語という異物をインストールし、完全に同化しないと、生き残ることができないのだ。
これは、スパイ行為を物理的な次元から、精神的・身体的な次元へと拡張した画期的なアイデアだ。「ロシア語で考える」とは、即ち「敵になる」ことと同義なのだから。
それにしても、だ。あれだけ周囲が英語で喋っている中で、コクピットの中だけで必死にロシア語で思考しようとするイーストウッドの姿は、冷静に見るとシュール極まりない。
だが、そのシュールさをねじ伏せて「超絶カッコいい!」と思わせてしまうのが、イーストウッド演出のマジックである。言語という壁を、サスペンスの小道具として使い倒す。このアナログとハイテクの狭間にある泥臭いSF感こそ、80年代映画の醍醐味と言えるだろう。
巨匠イーストウッドが『スター・ウォーズ』の力を借りて到達した境地
クライマックスの空戦シーン。氷壁に囲まれた狭い通路を、超音速で駆け抜ける戦闘機。背後から迫る敵機、前方に見えるわずかな脱出口…。そう、これはどう見ても『スター・ウォーズ』における、デス・スター攻略戦そのまんまだ。
宇宙空間が北極海に、Xウィングがミグ31に変わっただけで、構図からカット割り、スピード感に至るまで、驚くほど似ている。それもそのはず、特撮(VFX)を担当したのは、ルーカスの元で『スター・ウォーズ』を手掛けたジョン・ダイクストラその人なのだから!
「パクリじゃないか!」と目くじらを立てるのは野暮というもの。ここで重要なのは、なぜリアリズム重視の職人監督であるイーストウッドが、あえてこれほど露骨な『スター・ウォーズ』的スペクタクルを取り入れたか、という点である。
第一に、これは1980年代初頭という時代の要請だ。『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』(1980年)が大ヒットし、映画館に観客を呼ぶためには「度肝を抜く特撮アクション」が必須条件となっていた。
渋い冷戦スリラーだけでは、客は呼べない。ならば、流行りの「宇宙戦争」の興奮を、大人のスパイ映画に移植してしまえばいい。イーストウッドは作家である以前に、興行師としての鋭い嗅覚を持つプロデューサーだ。
おそらく彼は、自分の映画に足りない派手さを外注した技術で補強することに、何のためらいもなかったのではないか。この割り切りの良さ、すがすがしい。
第二に、既視感。観客はすでに『スター・ウォーズ』で、あのカメラワークが意味するスピード感や切迫感を学習済みだ。だからこそ、説明不要で一気に心拍数を上げることができる。
これは、観客心理のショートカットともいえる。イーストウッドは、既存の映画文法、成功したフォーマットを借用することで、アクションシーンの演出にかかるコストを圧縮し、そのかわり彼が得意とする「男の孤独」や「焦燥感」の描写に注ぎ込んだ。
彼は、新しいビジュアルを発明しようとはしなかった。代わりに、既存の最強の武器(ダイクストラの特撮)を借りてきて、自分のフィールド(冷戦スリラー)でぶっ放したのだ。
その結果生まれたのが、重厚な政治劇と軽薄なまでのSFアクションが同居する、歪なバランスの映画。作家性よりも面白さを優先し、使えるものは何でも使う。
その貪欲さと柔軟さこそが、クリント・イーストウッドという映画作家が半世紀以上にわたって第一線を走り続けている理由なのかもしれない。
『ファイヤーフォックス』は、イーストウッド映画の中では異色作扱いされることが多い。だが、その荒唐無稽さをねじ伏せる演出力と、時代に合わせて姿を変えるしたたかさは、まさに彼のキャリアそのものを象徴している。
最新鋭の戦闘機を盗むというミッションの裏で、イーストウッド自身もまた、ハリウッドの最新トレンドを盗み出し、自分のものにしていたのだ。
- 原題/Firefox
- 製作年/1982年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/136分
- ジャンル/アクション、サスペンス
- 監督/クリント・イーストウッド
- 脚本/アレックス・ラスカー、ウェンデル・ウェルマン
- 製作/クリント・イーストウッド
- 製作総指揮/フリッツ・マーネイズ
- 原作/クレイグ・トーマス
- 撮影/ブルース・サーティーズ
- 音楽/モーリス・ジャール
- 編集/フェリス・ウェブスター、ロン・スパング
- 美術/ジョン・グレイスマーク、エレイン・セダー
- SFX/ジョン・ダイクストラ
- クリント・イーストウッド
- フレディ・ジョーンズ
- デイヴィッド・ハフマン
- ウォーレン・クラーク
- ロナルド・レイシー
- ケネス・コリー
- クラウス・レーヴィッチェ
- ナイジェル・ホーソーン
- ステファン・シュナーベル
- アイガー・サンクション(1975年/アメリカ)
- ガントレット(1977年/アメリカ)
- ファイヤーフォックス(1982年/アメリカ)
- ホワイトハンター ブラックハート(1990年/アメリカ)
- マディソン郡の橋(1995年/アメリカ)
- ブラッド・ワーク(2002年/アメリカ)
- ミスティック・リバー(2003年/アメリカ)
- チェンジリング(2008年/アメリカ)
- チェンジリング(2008年/アメリカ)
- J・エドガー(2011年/アメリカ)
- J・エドガー(2011年/アメリカ)
- アメリカン・スナイパー(2014年/アメリカ)
- クライ・マッチョ(2021年/アメリカ)
- 陪審員2番(2024年/アメリカ)
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